P29 P28 P27 P26 P25 P24 P23 P22 P21
P20 P19 P18 P17 P16 P15 P14 P13 P12 |P11 P10 P09 P08 P07 P06 P05 P04 P03 P02 P01
GK-261 GK-262

翡翠勾玉

玉象
● 時代 : 弥生〜古墳時代
● サイズ : A(左) 高さ 3,5cm 、B(右) 高さ 3,5cm
● 価格 : \

近時中国墓より出土という勾玉(数点出土という)。
縄文時代から古墳時代に生産された我国の勾玉は、朝鮮や中国に運ばれていた。邪馬台国が卑弥呼の死後、248年に三国時代の魏に遣使し、「青大勾玉」二枚を贈ったのはその一例。勾玉の中国での公式出土例報告は少ないが、韓国新羅・加耶では翡翠勾玉が使用され、数的に集中をみるのは新羅・百済の墳墓出土品である。翡翠製品が倭国の特産品として韓国・中国へと渡っていたと知れる。本品が残念ながらどのような状況での出土か、時代・出土地が明確ではない。何にしても日本から1700年余前中国に伝わり又戻るという不思議な縁といえる。僅かに白濁模様を有する極めて良質の美しい翡翠であるが、表面の時代擦れ・経年変化穴の削孔状況より時代の確認は明確にできる。
そもそも緑色をした玉(翡翠・碧玉)には植物にたとえ、生命力や霊力が宿っているとされ神聖視された。玉には硬玉(ジェダイト)と軟玉(ネフライト)の二種類があり、中国古代の玉はもっぱら軟玉で中央アジアのホータンからもたらされて「崑崙の玉」と呼ばれた。翡翠勾玉は普通せいぜい1〜2cm程の品が多く、本品のような大型品でかつ良質品は稀少。かって10数個の中国出土という翡翠勾玉を入手したこともあり、中国考古書には漢時代墓の中で時々見つかると書かれている。中国の奥深さを知らしめる例であろう。

※朝鮮にも翡翠は産出し、朝鮮独自に発達したという意見もある。
※普通の勾玉より孔が極めて小さい。
※日本人はとろりと溶けるような緑色をした半透明の品を琅カンと呼び賞美している。

参照 : GK-173GK-161GK-208
● 時代 : 商代晩期(BC11世紀)
● サイズ : 高さ 3cm×横 5cm
● 価格 : \

褐色玉で製作された長鼻をあげた象。臣字眼・背には雲文が刻される。剛健な短い足、堂々とした体躯で適確に表現している。
象は先史時代には北中国にも生息しており、商代になっても揚子江より北にまだ見出すことができた。商王朝の皇帝の一人が象を愛玩していたことも知られる。
「南史」という南朝時代の歴史を伝えた史書の一節に、南朝の梁の末のこととして「淮南に野象数百があって人の家を壊した」という記述が見える。淮南とは現在の長江以北の江蘇省。安徽省などの地域を指すが、この記事はそこに数百の野生象が生息していたことを伝えている。5世紀この時代の史書には野性象の存在を伝える記載がこの他にも見受けられ、その分布はもっと広い範囲に及んでいたと考えられ、中国のずっと古い時代にはさらに広い分布が見られたのであろうと推測できる。1976年殷墟、婦好墓から750数点の玉器が発見されており、一対の本品類似品が出土しているのが知られ風化による局部白泌化。後頭部より腹にかけて貫通する穴が穿たれている。私事ながら25年余前、香港玉専門家訪問の際、収蔵同品は¥350万円といわれ流石に諦めた経緯があり、今回の入手は珠の外嬉しい。同時代、銅器で象尊といわれる酒容器も知られる。極めて珍しい品。
商時代の人々が動物に対して強い愛着を持っていたことは、彼らの墳墓に埋められた種々の動物の数がよく物語っている。西安玉収蔵家より入手。

参照 : GK-186
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GK-259 GK-260

龍形玉器

龍文出廊玉壁
● 時代 : 新石器時代(BC4000〜3000)
● サイズ : 高さ 14,8cm×横 16cm
● 価格 : \

紅山文化。
C字形の龍であり、背を曲げ尾を巻き、長い髪が突出してなびき、眼・口・鼻孔の刻も鋭く、極めて端正に造形されている。玉質は透明感有る黄緑色であり美しく、魅力的な品としている。全体に紅化白泌化変化が見られる。中腰部には貫通する孔を、鼻穴には僅かな窪みを施す。当時すでに意識的に美玉を選び取っていたと知れる。
玉は新石器時代において最も貴重なものであり、社会に階層差が生じると玉器は次第に威信財となり、階層上位者の身分を示すものとなるが、そのような事を知らしめる良玉といえよう。北京故宮博物院には60cmの黄緑色玉龍が蔵されている。
紅山玉龍は、現在知られている最古の龍を表現した品。黄緑色製玉は美しいことにより紅山玉製品の中でも市場価は特に高い。
瀋陽玉収蔵家旧蔵品。

参照 : GK-233GK-175GK-089
● 時代 : 後漢時代
● サイズ : 長さ 26cm
● 価格 : \

装飾用の壁であり、黄褐色の玉。壁の縁部は鋭く立ち上がり、内部は渦文が変形した乳状突起(いわゆる穀文)と線刻雲文でうずめている。出廊・帯飾といわれる突出部は普通左右対称の龍の造形が多い。戦国〜漢時代に流行した形状。本品の如く3匹の龍とち虎が複雑に絡み合う非対称の造型は初見。漢時代玉器工芸を代表する優品であり、漢王朝支配層のための器物。
玉はほとんど風化しておらず、美しい色艶、局部紅化泌の対比が美しい。良質新疆ウィグル自治区ホータン産玉と知れる。
神を祀る時や封建君主から下賜するときに用いられた玉器が壁であり、環状の玉で孔の部分の径の倍の径を持つものが正式であったようだが、これは必ずしも守られていない。北京故宮にはおそらく乾隆帝が収集した品であろう、頂上部・双龍を挟んで「長楽」 「宣子孫」 「益寿」の銘文を透彫した出廊壁玉が数点蔵されており、乾隆帝はこの形状を非常に好み、「長楽」銘の品の壁外縁に、詩文を刻していることでも知られる。
珍奇な酒・玉酒・美しい女性・玉女・天子の椅子・玉座・玉は貴き光を放ち、徳を見えるとされる石であって7000年も前、新石器時代から中国では、玉すなわち透閃石(軟玉)を偏愛。武器や装飾具、玉jや玉壁など、祭祀や儀礼の際の礼器として用いられた。

参照 : GK-216GK-132GK-129
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GK-257 GK-258

龍形玉器

獣面帯歯形動物 玉佩
● 時代 : 新石器時代(BC4000〜3000)
● サイズ : 高さ 11,5cm
● 価格 : \

紅山文化。
円形に近い造形の玉龍。灰青玉に海苔状緑色が散在し、氷裂文状模様が美事な美玉でもって作られている。幾分軽量な玉質。
金属器のない当時、硬い玉をここまで加工するには相当の時間と労力を要した。
口部の水平の上下の削り、2穴の削岩の鋭さには驚くものがある。全表面にわたって丁寧な研磨跡が見られ、慈しみ製作した6000年余前の古代人の息吹きが伝わる思い。中国美術の鑑賞や蒐集となると熱狂的となる西洋人が感ずる内的生命の躍動感がまさに表現されているといえよう。

参照 :GK-125GK-176 、 GK-204GK-211
● 時代 : 新石器時代(BC4000〜3000)
● サイズ : 高さ 10cm×横 24cm
● 価格 : \ 問い合わせ

紅山文化。
龍形玉器とともに紅山文化特有の造形であって、類品に勾雲形玉器も知られる。葬者の胸の部分に置かれた状態での出土例が知られる。両眼が開けられ上には眉が有り、下には二股に分かれた5個の突歯が形成され、頂上には穴が穿たれる。普通の動物とは思われないから神の形をしたものであろう。顔の表現には、のちの二里頭文化(夏といわれている)の獣面紋飾板や商商青銅器の饕餮紋に通じる点がある。両面とも同紋様であり、両面を見せるような使い方をしたのであろう。
大きな品は30cm余のものも小さい品は数cm余の品も知られ、葬玉と佩玉の区別があったと思われる。
青黄玉製で精細に琢磨しており極めて薄い。いかにも呪術的な力を感じさせる玉器といえる。全体に白濁泌が表れている。金属器のないこの時代、途方もない労力と技術を要してよくも製作されたものと思わずにはいられない。牛河梁の女性墓で、胸前に一個の勾雲形佩、手碗に二個のショクの出土例が知られる。
フホホト玉収蔵家旧蔵品。
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GK-255 GK-256

玉鳥

玉腕輪
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 5cm×横 5cm
● 価格 : \

紅山文化。
碧緑色玉で作られた紅山文化特有の形状。翼を広げた鷹を薄方状に作成している。この形状鷹は北方地区からの出土が多い。紅山文化の人々が鳥を神聖視していたことを物語る。背部には鼻状穿孔が有る。
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 2,5cm×径 8,3cm
● 価格 : \

「ショク」と呼ぶ腕輪。3ヶ所に鬼面が陽刻されている。青玉製で褐色泌化が広がる。熟坑(伝世品)。
現代人の腕輪と何ら変らない用に徹した形状である。

参照 : GK-213GK-165
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GK-253 GK-254

青黄玉鳳

玉闘獣文戈
● 時代 : 東周時代
● サイズ : 高さ 4,5cm
● 価格 : \

前方を見据えてうずくまる鳥(鸚鵡)。楕円形状柱の青玉に彫刻している。頭上には髪飾り・背面には凸状飾りを、体表は雲文・羽状部を凸状線で陽刻、眼はこの時代特徴の臣字眼。底は平面ではなく、抉りの有る全体に美しい力強い造形となっており、この時代の玉に共通する呪術的雰囲気がある。龍と同様に中国人に愛され続けてきた鳳凰の存在は大きい。
今から6000年以上前に造られた紅山文化の鳥を始めとしてBC11〜10世紀の三星堆文化の銅鳥と、中国人の鳥への愛着はその歴史の厚みにおいて群を抜いている。古代美術の鳥たちは華麗で威厳に満ち、またユーモラスでもあり様々な表情を持っている。玉は非常に硬質なので、細工をすることは容易ではない。どんな石や金属によっても単独では玉を切ることはできず、そのためには必ず研磨剤を必要とする。時間さえかければ竹の弓錐と金剛砂だけで玉の盤に孔を穿つことも可能であると実験で確かめられている。
陽刻線として残し、面を平滑にするのは大変な手間を要す技法。

参照 : GK-050GK-061
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 7,5cm×横 17,3cm
● 価格 : \

戈は殷代中期に始まり、前漢中頃まで存続したが、鉄製武器の普及に伴い姿を消した古代中国の武器の一種。
中国の戦法は古来馬車戦であり、一輌に戦士と介添えの兵士と御者の3人が乗り、戦士は長柄の戈や戟を振り回し、敵戦士の首をはね、鎧甲の札の糸を切り刺して闘った。長いものは4m余を数え、短戈は1m50cm程で、細かく割った竹を20本近く巻きつけ糸で全体を巻き締め、上から朱漆や黒漆を装飾的に塗り分けは補強した丸棒の先端に取り付けられた。玉であることは実戦用でなく、明器か儀杖用に製作されたもの。
刃の部分はチ虎と鳳凰を極薄に透かし彫りし、柄部は刃を銜える態様で瑞鳥と瑞獣を力強く大きく削り出す。差込み部には並列穀文を装飾し、差し込まれる木を固定するため、貫通する2穴が穿たれている。瑞獣の体表には雲文を尻尾には斜線文を刻している。驚く程精微・繊細な刻がなされた戈である。青玉製であり、局部紅泌化している。些かの損傷もない。銅製戈を写しているのであって、スキタイ系の流れの模様でもある。刃の部分を「援」、柄取付部を「内」、下方部を「胡」という。

参照 : DK-027
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GK-251 GK-252

龍文玉こう

龍形玉器
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 高さ 13cm×横 22,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

両端を龍頭形とし、龍の身体には穀文を。彫技の乱れをまったく見せず、極めて整って刻されている大型のこう。この文様は戦国晩期に特徴的なもの。このような大型の佩玉は春秋時代には見られず、戦国晩期になると散見されるようになる。礼制を整え始めた戦国諸侯の威力を背景にした産物といえる。青玉が土中によって美しい濃淡の赤褐色泌としている。頂上に穴が穿たれる。
● 時代 : 新石器時代(BC4000〜3000)
● サイズ : 高さ 6cm×長さ 5,8cm
● 価格 : \

紅山文化。紅山文化特有の黒皮といわれる玉。まま複合形状が見られる紅山文化独特の龍形玉器の上に鳥を複合させた形状。鳥はまさに飛び立とうとする鷹を表わしている。
黒色玉が局部褐斑泌化している。玉には「五徳」有りと古代から伝承があるほど、中国の人々が玉に対して示した関心の深さ・敬意の深さががこの品にも感じられるといえよう。座人物の頭に同様鷹が乗る品も知られる。

参照 : GK-119
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GK-249 GK-250

怪鳥龍文佩

玉彫人像
● 時代 : 商晩期(BC14〜11)
● サイズ : 高さ 5,5cm×横 13cm
● 価格 : \

相向かう龍が刻された佩。器身を飾る全ての模様稜線は、極めて低い丸状凸線で表わし、残部分は平面に削り取る技法であり、線刻より一段と優れた複雑細微な琢玉技術である(この技法の品は稀少)。商代の晩期は殷墟時期にあたり、この時期は古代の琢玉工芸が最も隆盛した時代で、玉製装飾品の生産量が激増したのもこの時代。独特の「臣字」眼が2ヶ所装飾されており、商時代玉の特徴。本来青玉が土中により濃淡の赤褐黄色泌化して美しい。商時代玉には古代人の動物に対する畏怖が表現されている。婦好墓より同形品が出土している。
● 時代 : 新石器時代(BC4000〜3000)
● サイズ : 高さ 10,5cm
● 価格 : \

紅山文化。
頭上に二股に分かれた蝉形管状被物を付け、両手を添えた両膝をあわせ座す人物。眼はアーモンド形状、頭上の冠には斜線文を施す。頭部中央に左右に貫通する穴を穿っている。偶像崇拝 紅山文化の神と考えられており、呪術的な力を感じさせる。青玉製で局部白濁風化。
両手を膝に添え、屈む姿態は、殷墟安陽侯蚊荘出土の石虎においてもみられ、神に祈る姿であったのであろう。

参照 : GK-239GK-201GK-190
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GK-247 GK-248

双獣面鏤彫龍紋壁

玉ち文佩
● 時代 : 戦国末〜漢時代
● サイズ : 長さ 14,3cm×横 10,5cm
● 価格 : \

中央丸環の中に龍を外環との間には上下に装飾された獣の手足を模様化して透彫とし、上下に獣面を出廊彫刻する珍しい形状壁。中央の龍は漢代瓦当に同態様で持って表現されていることから、四神のうち東方の守り神=青龍を表わしていると知れる。
鏨の削りは稜を鋭角に、体表面を斜めにと漢代独特の力強い彫琢技術を見せ、良質ホータン白玉は淡緑・深緑・白濁に変化し玩味が有り美しく撫玩に足る。中央青磁の形状は西漢南越王墓出土の著名な壁にも鏤彫されており、流行し玉壁に定式化される。優れた作行きの品。おそらく玉佩の中心部分に繋がれた環であろう。金属器にもない凝り固まった力を見せる龍の姿と、質感に似合わない涼やかな音。これらは身に付けた者にしか理解できない味わいであろう。
動乱の相次いだこの時代に完成された造型感覚は、中国の工芸芸術上の重要な要素と構成原理となり、その後の中国の歴史を通じて芸術表現の特色ある形式を残すこととなる。

参照 : GK-188
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 横 5cm、幅 2cm×2cm
● 価格 : \

長方形角柱の全体を絡む態様で、前後に大きな2匹のち虎を立体的に彫刻。両側面には左右に貫通する2穴を並列に穿つ。類品を見ない形状の佩飾。白玉が局部褐色紅化して古意雅趣が有る。
生坑(近時の発掘品)。
後漢の古典学者許慎は 「説文解字」の中で、「玉は石の中で最も優れたもので、それは五つの徳を備えている。耀き、しかも温かみのある光沢は仁を象徴する。中に含まれた色も何もかも見透かせる透明さは廉直なることを示す。叩いた時に生ずる澄んだ美しい音は遠くまで響く知性を意味する。折れるまで曲げることができないのは勇気である。角は鋭いが人を傷つけることの無い点は 公正を表わしている」と説明している。
周代末から漢代はじめまでに玉の細工技術は研磨用具鉄器を導入して、長足の進歩を遂げた。鉄製の錐によって石を深く穿つことができ、円板状の玉磨の道具はかなり大きな原料を化粧箱や碗などの形に刳り貫くことも可能にした。この新しい技術によって、工人たちは一層の創意を燃やし、人物や動物などの丸彫り像も作られることとなった。
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GK-245 GK-246

龍鳳文玉辟

玉蝉
● 時代 : 戦国後期
● サイズ : 高さ 15cm×横 19cm
● 価格 : \

穀粒文でうめられた壁。
孔の部分には龍、周縁には長い尾羽を伸ばした二体の鳳凰が彫られている。白玉(新疆ホータン産)で作られている。褐色鉄鉱に被われた状況で近時西安郊外墓より出土。除去により、鳳凰の片尾羽先が欠損。
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 2,8cm×長さ 5,8cm
● 価格 : \

濃緑色の碧玉製。
裏面は発声腔・腹筋などの刻も入らない。固い碧玉のため殆ど風化の白泌化が見られず、ガラスの如く美しい。鋭い漢八刀の彫技、鼻孔の両穴の穿ち等、数ある玉蝉の中でも一段と魅力ある品としている。古玉収集家であった谷川徹三氏旧蔵品であり、桐箱仕込付。

参照 : GK-006GK-015GK-069
     GK-070GK-0171
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GK-243 GK-244

玉翁仲佩

玉翁仲佩
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 2,6cm
● 価格 : \

白玉製。
両袖を合わせ三角形状の顔と長い髭を持つ老翁の定型状。頭上から下に貫通する穴が穿たれており漢代、普遍的に下げられた佩。お守りとして愛用され、後世まで造られており、代下がり倣古品が多い。



参照 : GK-049GK-085GK-098
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 4cm
● 価格 : \

眼・鼻・口・髭・耳等を始めとする彫技は鋭く、懐手にした全身像も丸彫立体的に削られているお守りとしての紐通し穴は衣の両面下・頭上に施されており、複雑な貫通穴には驚く。青玉製で僅かな褐泌化しか見られない。多種多様な造型が有る老翁玉佩は楽しい。漢代の玉器の遺品が多いのは西域との交流も始まり、玉の材料が入手しやすかったこともあろう。

参照 : GK-049GK-085GK-098
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GK-241 GK-242

龍形玉器

玉兎
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 18cm
● 価格 : \

紅山文化。
C字形の猪龍。紅山文化を代表する玉器。淡緑玉で氷裂状・波浪状など複雑な白泌化が全体に広がり、古意がある味わい。
BC4000〜3000年頃にかけて、遼寧省西部から内蒙古自治区東南部にあった紅山文化の担い手は、アワの栽培と採集・狩猟などによって食料を得ていた。牛河梁と呼ばれる地域は標高600〜650mの丘陵地帯であるが、この一帯に神殿・祭壇・墓が有り、紅山文化の一大宗教センターと考えられ、一部の墓から本品のような玉器が発見されている。
玉器は中国文明を代表する工芸品ということができるが、新石器時代に既に玉の工芸は完成の域に達していた。玉器が特に発達したのは、後の中国文明の中心地となる黄河流域からは遠く離れた遼河流域(紅山文化)・長江下流域(良渚文化)であったことは中国文明の成り立ちを考える上で興味深い事実といえる。我国では2000年の東京国立博物館「中国国宝展」において初めて紅山文化玉器は紹介された。
カラホト古玉収蔵家旧蔵品。

参照 : GK-176 、 GK-204GK-236
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 1cm×横 1,5cm
● 価格 : \ 40,000

多宝串といわれる重飾一連に付けられる極小品。蹲る背中から腹下に貫通する穿孔が有る。
丸玉・管玉・小壁・錐形器・翁仲などと一緒に紐通し、佩玉とし佩玉としたもの。
西周時代、扁平玉佩の兎が知られてるが、
存外古代兎造型品は少ない。
褐色玉が局部白泌化している。


参照 : GK-157
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GK-239 GK-240

玉立彫神人

玉辟邪
● 時代 : 新石器時代(BC4000〜3000)
● サイズ : 高さ 12,5cm
● 価格 : \

紅山文化。
紅山文化の神といわれる太陽神。膝に手を上向きに合わせて置き、半屈みする人物。大きく左右に広がり立つ耳、大きな突出した目と口、頭上には二股に分かれる蝉形管状被物をつける。両膝を合わせ足は突出する。冠状被り物は中央で左右に切断し深く切込み、頭部には左右に貫通する孔が穿たれている。背面には大きく2穴が穿たれ、下方から胸部にかけては深く滑らかな曲面で抉られている。意識的に選ばれた青緑色玉で作られ、背部に褐色泌化の風化した部分が見られるのみで、美しい玉質を保っている。驚くことには自立直立するバランスで作られている。全体削りと研磨が丁寧になされ、滑らかな玉肌は撫玩に足る。尋常ならざる根気と独創的な技と共に7000年余前の品であることは中国古代文明の驚異と言える。

熟坑(伝世品)であり、長年愛玩されたものと玉肌から知れる。紅山文化と良渚文化の玉器の間には、器形は必ずしも似ていないが、意匠には共通する点がある。大きく著された獣面・龍のような胴の長い獣、そして渦紋であって両者の玉に対する観念、玉を用いた宗教の性格に共通する点があったという可能性が見られる。

参照 : GK-201GK-190
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 12cm×横 18cm
● 価格 : \

四肢を踏ん張り咆哮する姿。二本の角を持つ頭をもたげ、両翼をたなびかせ遠吠えするように口を開けた姿を丸彫している。この姿勢は洛陽などから出土する後漢時代の墓前石刻に類似している。丹をまぶした中に葬されたと思われ、主に口中に多く朱が残る。良質な和田白玉であり、局部褐泌斑化。
古来より玉は中国人にとって黄金や宝石よりも貴重な石として神聖視されてきた。その清純で艶やかな色彩、叩けば妙音を発し、強靭である。その著名な産地 和田の緑玉河では盛んに採り出され中華に運ばれた。その神秘性が生命力・権力のシンボルとなり君子の徳に比される。また腐食を避け、不祥を避け、悪霊を祓う。呪力の有るものとされた。玉を粉にして服用すれば長生きさえするといわれた。それが古来礼器として、祭器として、ないしは符節・佩飾・裳葬の用具として広く用いられた所以であろう。
このような玉器に対する信仰はすでに新石器時代遥か7000年余前に始まり、殷(商)・周・秦・漢代を経て現代にまで続いており、まさに中国的文物の代表である。玩好(愛玩物)にたる優品といえる。



参照 : GK-202GK-135GK-067GK-029 
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   e-mail : info@antiques-oota.com