P29 P28 P27 P26 P25 P24 P23 P22 P21
P20 P19 P18 P17 P16 P15 P14 P13 P12 P11 P10 P09 P08 P07 P06 |P05 P04 P03 P02 P01
GK-109 GK-110

玉鳥

玉魚
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 4,5cm×横 8cm
● 価格 : \

紅山文化。
紅山文化の人々は、鳥を神聖視し、鳥、特に鷹と思われる造型がまま見られる。本品は水鳥が湖面を泳ぐ状態をより立体的に造型しており、頭部後ろに貫通する紐通し孔が穿たれている。良渚文化よりほぼ1000年余遡るBC400〜4000年の紅山文化は最古の玉器文化としての評価が近時とみに上昇、研究・図書出版も多い。紅山玉器は権力者達を埋葬した積石墓や石棺墓の副葬品として出土する。玉鳥は羽根を広げて飛翔する形状が最も知られるが、それらは鷹と考えられている。
自力で飛ぶ力を持たない人間は、自由に空を駆け巡る鳥に憧れを抱き続けてきたが、中でも中国人の鳥への愛着はその歴史の厚みにおいて群を抜いていると言えよう。

参照: GK-061GK-050GK-043
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 6,5cm×横 13,5cm
● 価格 : \

良渚文化。
赤茶褐色の玉に彫刻された丸っこい魚。尾ひれに線状刻鰓部と眼は同心円状に刻され、口は直線的切り落とし。下腹部に2箇所の穴が開けられているのは、良渚文化魚の特色であるが、稀少品である。周時代佩として知られる魚は小品であって、造型は本品と随分相違する。

参照: GK-057GK-037
● 別角度画像 → 裏側拡大底面 ● 別角度画像 → 裏側拡大全体

GK-107 GK-108

玉印章

玉彫辟邪
● 時代 : 秦時代
● サイズ : 高さ 2cm×印面 1,8cm角
● 価格 : \

青玉製であって、湿潤による風化と土錆が全体に拡がる。遺品によって印が確認できるのは戦国時代以降のこと。任官したときには璽を受け、辞した時に返納し、その間の命令文書には全てこの印を押すことで正当性が保障された。古代の璽印は、紙が発明されるまでは、もっぱら封泥に印する為に作られたものである。伝存する大半は青銅が多く、玉は圧倒的に少ない。
戦国時代の印は、漢代以降のものに比べ小さいが、文字の彫りが深く、筆画の肥痩がなく、その均質な筆画と青銅器の鋳出しの文様のような角の取れた力強さが、後世の刻字にはない固有の味わいとなっており、魅力がある。瓦紐。生坑。印面は「肖慣」で私印。
秦印は「印文はほとんど白文」「全て辺縁と界線がある」を特徴とする。秦の始皇帝が天下を統一して印制を定め、美しい玉で印を作り「璽」と称したので、他の者は「璽」字が使えなくなり「印」と改称した。
玉印は印章の中でも比較的少なく・貴重なものであり、篆刻家にとって久しく賞賛されてきた。篆刻技法の中に所謂平刀直下の一種があって、それが切玉法である。漢から唐にいたる古人の棺柩の中には常に明器とした印章が入れられており(官印は原則として返還)殉葬品であった。篆刻家が特に玉印を重視、珍重しているのは、金石の気風を備えているからといえよう。

参照: DK-110
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 3cm×横 4cm
● 価格 : \ 問い合わせ

同一形状で対の辟邪。漢時代流行した辟邪は「魔除け」の意により印鑑紐・帯鉤など多様な造型でもって製作されている。
鉄分の多い土中にあったのであろう白玉が、全体に鉄褐色に風化しているが、造型への侵食・崩れまでには至っていない。稚拙ではあるが力強い削りで製作されており、何とも愛らしい。
顎下と尻尾には紐通しにもなろう孔が穿たれており、貴族が佩として使用したのかもしれない。軽量である。

参照: GK-029GK-067GK-080
● 別角度画像 → 印面拡大 ● 別角度画像 → 後姿拡大底面

GK-105 GK-106

玉跪人物像

玉握豚
● 時代 : 西周時代
● サイズ : 高さ 6cm
● 価格 : \

片膝を立ち半屈みする人物が、蟇蛙と言われる怪獣を抱く造型。眼鼻立ち・手指・頭髪の編目・衣文の模様、そして驚くことに靴底の模様までも細微な刻がなされ、除余の表情も生き生きとしている。頭頂から下まで貫通する穴があることより、佩であったと知れる。茶褐色の玉が湿潤と風化より、斑点渦と成っている。漢玉にはない強烈な力強さでもって、古代玉の魅力を横溢している。食人?と言われる後ろ足で立つ虎が大口を開けて前に抱えた子供を飲もうとしている形の青銅器が西周初期の品として知られるが、共通した雰囲気が有る。香港著名玉収蔵家より強奪。類品を見ない。古玉の虜となる魅力を放つ。熟坑。

参照:GK-051
● 時代 : 後漢時代
● サイズ : 高さ 2,5cm×横 9,5cm
● 価格 : \

玉豚は、不老不死の神仙思想と結び付けられ、死後も裕福であるよう願うもので、底の平らな短い棒状の玉を目鼻の簡単な彫刻によってうずくまった豚を表現しており、また玉は遺体を腐らせず保存する力があると信じられていた。
漢八刀による鋭い削りこみである省略した単純な造型。刀技は生き生きとした豚を見事なまでに表現しており、幾分写実的造型から後漢〜三国時代の品と考えられる。
熟坑であって青玉が深黒色に変化し、青玉色が少ない。

参照: GK-017
● 別角度画像 → 側面後姿底面 ● 別角度画像 → 裏面底面

GK-103 GK-104

双龍形玉コウ

玉龍佩
● 時代 : 春秋戦国時代後期
● サイズ : 長さ 17,5cm × 縦 8,5cm
● 価格 : \

内面に渦文(穀文)が施された2体の龍が背中合わせにつながり、中央には透かし彫りで一対の朱雀が彫られている。透かし部の孔に別の佩玉がぶら下がっていたのであろう。龍・朱雀の輪郭は鋭く立ち上がり、内部を填める渦文もシャープである。透かし彫りの技法は精巧を極め、龍と朱雀の継承は躍動感にあふれている。このような途方もなく手間の掛かった玉器を身につけた人間が、早くも戦国時代に居たという、中国とは得体の知れない国だ。相当の地位ある人物の殉葬玉であって、漢王朝支配層のための器物を造っていた工房の作品であろう。
中国玉器の発展は、戦国時代に至って彫刻技術の面からも造型デザインの面からもまさしく一つの頂点に達した。漢代の玉器はその基本の上に立って、新たな創造と変化を求めていく。

参照: GK-081
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 高さ 9,5cm×横 13,5cm
● 価格 : \

母龍に抱かれるように小龍が彫刻され、母龍の胴全体には渦粒文が穀されている。2000年余の土中による湿潤風化の白濁と、表面に鉄錆がつく。透明度有る青玉製。組の佩飾りの一つであったと思われる。生坑。
● 別角度画像 → 裏面拡大中心部 ● 別角度画像 → 裏面拡大側面

GK-101 GK-102

玉飾

玉爵
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 横 7,6cm × 縦 2,5cm
● 価格 : \

長方形状薄板上に枠を取り熊と戦う武人を薄肉彫りしている。中央には波頭と四囲には雲文を刻し、武人と熊の躍動感あふれる彫刻は、驚くほど緻密で一幅の絵画としている。青玉が湿潤による風化で、全体に白濁。
恐らく衣服に付けられていた装身玉であろう。戦国時代の鏡にも熊・虎と戦う武人模様が見られ、当時最も強い動物として熊・虎は恐れられた。
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 14cm
● 価格 : \

爵は夏時代に出現した酒器であって、酒を湿めて注ぐための器。口縁に注ぎ口(流)と尾と一対の傘形の撮み(柱)が付き、胴部に把手(?)底部に三足がある。
二里頭の夏時代の原型は流が長く、中期以降筒型の小型となり青銅器の礼器として盛行した。はじめは平底であったが、殷代後期のものは丸底で、流と尾とが強調される。西周中期(前9世紀)には消滅する爵は酒器と言うより、現在の徳利のような容器であったことは間違いないだろうと現代の学者は考えている。
本品は玉で写しており、全体に雷文・雲粒文、把手には鬼面が鋭く刻されている。熟坑であって青玉が褐色に変化して味わいある色合いとしている。一本の足先から3cmにおいて折損そのまま接合。
中国の時代劇では酒器として使われる場面が見られるが、あるいはそのような使われ方をしたのかもしれない。中国の古代玉器は全て「真玉」すなわちネフライトで彫刻した。ネフライトは清純で耐久力が強く、容易に角をつけることが出来、色が美しく、又叩くと妙音を発するので中国人の眼には奇跡的な石に見えたのであった。形状は西周時代青銅爵を写している。熟坑。
香港玉器収蔵家旧蔵品。

参照: DK-051
● 別角度画像 → 裏面拡大 ● 別角度画像 → 裏面拡大底面

GK-099 GK-100

玉神人獣面紋コウ形佩

玉飾
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 横 15cm × 縦 7,3cm
● 価格 : \ 問い合わせ

良渚文化。
円盤を半分に割ったような形の飾り板であって、玉管の連と共に繋がれ、中央に位置したものと考えられている。中央に大きく神と人面を左右には鳥を、まさに恐るべき細かさで浮彫と線刻を併用して表わしている。(獣面の完成された姿)。内側に少し凹面とする青玉で作られ、湿潤による風化で、白濁・白化している。
当時、玉の塊を打ち割った後は、砥石や磨き砂をつけた木や竹・革等を用いて、文字通り気長に磨いていくほかなかったわけで、相当の労力を要したであろう執念には驚かされる。無錫郊外太湖周辺農民より買入。
裏に乾隆皇帝が別板に詩文を刻んだ同品が故宮に有る。
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 5,3cm
● 価格 : \

良渚文化。
下半分には外周に縁取りのある大きな目と、左右に開いた鼻を持つ獣の顔が表わされている。この獣の額から首が伸び、その上にもう一つ逆台形の小さい顔が表わされている。こちらの顔は普通の人間の顔に近く、目はアーモンド形。頭には鳥の羽飾りのようなものが付いた冠を被っているように見える。複雑な形を歪みなく彫り出し、細かな紋様を刻み込んでおり、良渚文化の玉器の中でも特に優れた作品。
● 別角度画像 → 裏面拡大 ● 別角度画像 → 後側拡大

GK-097 GK-098

鏤空踊俑文玉壁

玉翁仲佩
● 時代 : 後漢時代
● サイズ : 径 10,5cm × 厚さ 0,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

青玉製。
中心に踊人物を透かし彫り。外区は体をくねらせ波間をぬう3匹のチ龍を陽刻。深く強靭な力技で刻まれている。透明感ある青玉に湿潤による褐色が混じる。チ龍の形象は躍動感にあふれ、縁の削りも鋭く立ち上がっている。表裏両面とも同文様を刻む。漢時代には長い袖を振って舞う女性を表わした玉器が流行し、身分の高い女性用佩として装身具の一つであったが、壁に透彫された品は初見。恐らく玉佩の中心部に繋がれた環の一種であり、質感に似合わない涼やかな音。これらは、身に付けたものにしか理解できない味わいであろう。人の手の前後への動きの砥ぎによって作り出す曲面によって玉の形が作られていく漢代までの玉は、途方もない技の結晶と言える。
舞女は顔かたちの表現が写実的であって、西王母に侍する王女とされている。玉質はは透明感のある良質青玉、熟坑。「玩物喪志」の魅力を持つ古玉と言える。

参照:GK-063GK-040GK-008
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 2,6cm
● 価格 : \

白玉製。
両袖を合わせ、三角形状の顔を長い髭を持つ老翁の定型状。秦朝に阮翁仲という大将がいて、この人は身長が人並みより高く、力は無限であり、警備司令官として匈奴を沈め服従させることに手柄があった。死後、始皇帝は彼を記念するため、阮翁仲の銅像を鋳て、威陽官の司馬門外に置いた。後になって人々は銅像・石造を全て「翁仲」と呼ぶようになった。頭上から下に貫通する穴が穿たれており漢代、普遍的に下げられた佩。

参照 : GK-049GK-085
● 別角度画像 → 裏面拡大 ● 別角度画像 → 後側側面

GK-095 GK-096

龍形玉器

玉彫山子
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 5,5cm
● 価格 : \

紅山文化の人々が崇拝した想像上の動物。C字型に身を曲げた動物を表わしている。耳は大きく立っており、鼻は突き出している。中国の学者は「猪龍」とも呼んでいる。現代中国語の「猪」は豚を意味するから、豚のような顔をした龍という意味。ここから進んで、龍は豚から変化したという学者もいる。
この種の玉器は例が少なく、特殊な地位にあった者が身に付けたものと考えられる。鳩骨白が魅力ある品としており、目・胴部の刻線に土が浸透し模様を引立てている。「紅山文化」は1955年命名され、以後長城以北に分布する新石器文化の代表的文化名として人々の知るところとなった。線刻模様は良渚玉jの紋様と類似しており、両文化の関連も考えられる。
● 時代 : 清朝時代
● サイズ : 高さ 7,5cm×横 9,5cm
● 価格 : \

良質な和田白玉で刻された山子。深く何層にも抉った樹下人物を前後に立体的彫刻している。最高の文人趣味を示す机上の文房飾りとして賞玩されるのが玉であって、現代玉と違ったしっとりした潤いと鈍い光沢を清朝玉は持つ。7年の歳月をかけて乾隆帝が造らせた高さ2,2メートル、重さ5,3トン世界最大の玉彫刻の山子「大禹治水図玉山」は今も寧寿宮に安置され、紫禁城を訪れる人々に感動を与えている。乾隆帝はこよなく玉を愛し、周・漢代の青銅器を模倣し、玉で造らせた品も多く「大清乾隆?古」と刻ませた品が両故宮には多く収蔵されている。

参照:GK-003
● 別角度画像 → 裏面拡大 ● 別角度画像 → 拡大裏側

GK-093 GK-094

白玉彫筆管

玉笄
● 時代 : 清朝時代
● サイズ : 長さ 25cm×径 2cm
● 価格 : \

極めて良質な羊脂白玉の大ぶりな筆管。
火焔珠を追う龍が1匹円筒の上から下まで、溢れるばかりの画面構成で持って力強く刻まれている。頂上に付いた遊円環も一体の玉より削り出されている。玉の軸は握ると冷たく特に夏の使用に適している。

筆管は堆朱・竹製が多く玉製は少ない。玉製の文房具が使用されるようになったのは前漢からであるが、当初はその種類が玉印のみで極めて単一であったという史実が現存物から確認されている。玉は堅く、美しく、潤いを帯びた温かさを持っており、新石器時代に玉を用い始めて以来、今日までずっと、中国の人々は、この玉を愛し続けており数千年の歳月を経ても玉は尚人々の心に輝しく、又奥床しいものとして生きている。
乾隆帝の世になって新彊から運ばれたホータン玉で多種多様な造形物が製作されたわけで、玉筆管は清代に多い。

参照 : ZK-015
● 時代 : 宋時代
● サイズ : 長さ 30cm
● 価格 : \

官人を飾りとした青玉製の笄。
頭頂部の官人は紅筋を伴う褐色であり「巧色」という技術で作られ棒状部青玉との対比が美しい。

明・清時代のかんざしは材質も玉・純金・七宝・貴石等を使った多種多様な品が知られる。この長さの笄は「両把頭」という髪を真中で分け、後頭部で左右に大きく結い分けた髪型を固定するにはなくてはならないもので、横に挿して固定する為にはこれほどの長さを必要とした。官人の飾りに何を願ったのであろうか。高い身分を示す特別な装身具と考えられる。

玉笄は清石器時代龍山文化においても発見されている。かつて北京の胡同を渉猟中呼び込まれた姥からいとおしそうに譲り受けた思いの品であって十分な会話ができれば物語を聞く事ができたろうに・・・・、残念。
1996年西太后の翡翠の髪飾りが香港オークションで4300万円余で落札されている。
● 別角度画像 → 彫刻拡大 ● 別角度画像 → 頭頂部先端

GK-091 GK-092

玉j

玉鳥
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 6cm×径 8,8cm
● 価格 : \

良渚文化。
二段に人面が刻される「巫と怪獣」というテーマに関わる品。上段に巫の小さな目、下段に怪獣の大きな目を描く。 玉jは最高権力者だけが持つ重要な祭器であるのは確かだが、どのように用いられたかについてはいまだ謎が多い。
良渚文化の文明レベルの高さを端的に示すのはその素晴らしい玉器産業であって同時期に玉器を擁する文化圏は他にもあるが良渚文化ほど製作技術が優れ造型的個性が強烈なものはない。精密さを極めたカット、鏡よりも光沢度の高い表面、複数の彫刻技法による立体文様など「ハイテク」の枠をまざまざと見せ付けている。
何にしても玉jは良渚社会における身分の象徴であり、「祭政一致」の社会を具現した遺物。あちこちにのぞく本来の青玉が風化により、白化した事がわかる。内側円の削りは上下から択りずれがあり肉薄である。人面、線刻が厳しく成され、魅力的な玉jとしている。
杭州、太湖周辺 良渚文化地域の農家を回っての買い入れも近時少なくなり良渚玉良品の入手はますます難しくなっている。
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 7,5cm×横 5cm
● 価格 : \

紅山文化。BC4000〜3000年頃。
紅山文化の玉器の中に、現実の動物を表したものがあるがみな小型である。紅山文化の人々が鳥を神聖視していたことが知られるが、大きさから考えるとやや格の低い神であったようである。鷹をあらわしている。

鳥玉器は翼を広げた形状が多い。頭部後に貫通する紐通し穴が穿たれている。素朴であって始原的エネルギーを感じさせる力強い造形。石は濃茶褐色であって6000年余の風化で紅山玉独特の白濁変化をしている。

紅山文化の中心遼寧省西部の牛河梁といわれる遺址辺は荒涼たる丘陵地帯であって当時なぜこのような場所で、玉文化が発達したのか解明されていない。下方尾羽の両先端が欠損しているが全体の美を損ねない。
● 別角度画像 → 正面拡大底面 ● 別角度画像 → 側面裏面拡大

GK-089 GK-090

龍形玉器

高足玉杯托
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 5,1cm
● 価格 : \

紅山文化に特有の形態。
C字形で、頭をあげて背を曲げ尾を巻き長い鬣がなびき、その勢いは天に昇るが如くである。龍の頭には一対の目を彫り、鼻を扁平、口は前に突き出している。背部に紐通し孔が穿孔されている。 透明成ある黄褐色の玉が湿潤による風化で白濁斑が散在する。

同形状の大型高さ26cm余鈎雲形玉製佩と共に、紅山文化を代表する形状。紅山文化は遼寧省西部5000〜6000年前の新石器文化であって、この文化に関する最近の発見が中国新石器時代の全体像の見直しを迫る契機の一つとなったこともあって注目されている。
● 時代 : 戦国〜漢時代
● サイズ : 高さ 11cm×横 13cm
● 価格 : \ 問い合わせ

托に乗る両玉杯。
托は前後・左右にチ龍が彫り出され、左右のチ龍は遊環をくわえ、頭部を前後のチ龍はほ全身を削り出して相対する。
托上の杯は相対する口を覗くチ龍が削り出された同形対の杯が乗る。青玉製で造られており、杯の胴面は戦国時代特有の模様・巻雲文が巡らせている。杯は湿潤による風化で白濁と濃褐色に変化しているが、托は余り変化がみられない。

玉杯は漢代に多く作られ尊ばれた礼器であって瑞祥とした故事も多い。広州南越王墓から出土した吹き鳴らす角のような形をした品と相違し、形状から、祭祀用と思われるが何にしても初見の資料であって相当の墳墓から出土と窺えるが、近時広州近効墓出土を伝えるのみ。
玉彫技術の最高峰の魅力を持つ戦国時代曽候乙墓より禁と呼ばれる台に載る青銅酒壺対が知られるが、同様な品かと考えられる。

参照 : GK-026
● 別角度画像 → 後側拡大 ● 別角度画像 → 側面底面拡大

                      P29 P28 P27 P26 P25 P24 P23 P22 P21
P20 P19 P18 P17 P16 P15 P14 P13 P12 P11 P10 P09 P08 P07 P06 |P05 P04 P03 P02 P01

   e-mail : info@antiques-oota.com