P29 P28 P27 P26 P25 P24 P23 P22 P21
P20 P19 P18 P17 P16 P15 P14 P13 P12 P11 P10 |P09 P08 P07 P06 P05 P04 P03 P02 P01
GK-211 GK-212

龍形玉器

正方柱 柄形飾
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 6cm
● 価格 : \

紅山文化。
C字形に身を曲げた動物。一般の玉龍と幾分造型が相違。耳が立ち、目が突出、口が前方に出、肩が屈曲している。青玉製であるが湿潤風化により複雑な濃淡の局部紅化をし古意が有る。

参照 : GK-125
● 時代 : 西周時代
● サイズ : 長さ 6,8cm (角 0,3cm×0,4cm)
● 価格 : \ 70,000

扇方注形。節は三本の玄紋、四面全てに雲文を刻む。佩としての用で、上から下まで大きく貫通する穴を穿っている。風化による褐色斑が出る白玉製で極めて軽量。細微な根気のいる作りには驚く。
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GK-209 GK-210

玉龍佩

玉ち文衛
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 高さ 11cm×長さ 23cm
● 価格 : \

青緑色の玉材を使用したS字龍。薄い玉の平板から彫り出した龍で、戦国期様式の代表的なもの。屈曲した形態、体表の円渦文様ともにこの期の特徴を示している。長く伸びた胴はS字形に巻き、頭を後に向ける。曲線・対極線の均衡が良く、尾から伸びた渦巻型が頭と対称してバランスをとっている。
極めて大型であるが、礼制を整え始めた戦国諸侯の威力を示す佩玉であり、全て先端は平頭に切り落とされているのは実用に供されたことを示している。硬い青玉のため風化による変色は僅かであって、透明感あり美しい。これほどの大型S字形龍は余り見ない。

参照 : GK−032
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 横 6cm
● 価格 : \

上面一杯に身をくねらせたち龍が這う姿を彫り出した玉具剣の衛。ち虎は剣の神として装飾されることが多く、表現は簡潔で力強く、漢代玉彫の魅力が十分である。漢代の上族貴族が佩用した玉具剣の装具が衛。
表面はぬめやかで湿潤。青玉製で湿潤風化の局部紅化が複雑で古玉の味わいと長年の風雪に絶えた古意があり、深い魅力ある品としている。衛としては随分小型である。

参照 : GK-140GK-112GK-056GK-022
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GK-207 GK-208

玉剣飾り

翡翠官帽飾
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 解説内参照
● 価格 : \ 問い合わせ

「荊軻 秦王を刺す」という戦国時代の刺客の話が知られるが、春秋戦国時代には既に非常に鋭利な宝剣が鋳造されるようになり、剣にはめ込む玉の飾りに意趣を凝らしている。このような玉の飾りのある剣は「玉具剣」と称され、戦国時代や漢時代に流行した。漢代の玉の剣飾りには様々な様式があるが、玉剣首・玉剣格・玉剣衛・玉剣泌で一揃いになっている。剣と剣の鞘に付けられた玉の飾りは、剣の華麗さと高貴さを際立たせ美しい玉具剣を身につけることは地位の高さを表わすものであった。漢代の皇帝は、功績のあった大臣や外国の使節によく玉具剣を下賜している。
武器には実用に作られているものもあれば、ただ儀仗あるいは装飾用に作られているものもある。実用の武器は主にその鋭利さを求め、儀仗・装飾用のものはただ外見の美しさを求めるのは古代の武器も同様である。戈・戟・刀にもみな実用と儀仗の区別があった。
玉匠は玉の色の変化を巧みに使っており、長年の愛玩により(熟坑)赤褐色の部分と青黄色の部分と色の対比の面白さが一層効果的に表れている。4個セットで残ることは稀であり、貴重資料。

1. 剣首 (横6cm)
銅柄の先に付ける。裏面には一つの丸い溝が有り、剣柄の先端はこの溝に差し込む。溝の外側に三つの小さな穴が有り、斜めに溝に突き抜けており、剣柄を溝に差し込んでからここから3本の小さな釘を打ち込むと剣首は脱け落ちない。二匹の瑞獣が雲文の中に陽刻。

2 剣格 (横 7cm)
刀剣の柄と刀身の間にはさみ、鍔の役目をする。片面は鬼面、片面は二匹の瑞獣を陽刻。

3 剣衛 (横 3cm×長 11,5cm)
剣鞘の装飾品であって、穴に華帯を通し、剣を下げる為のもの。虎と瑞獣を陽刻。

4 剣泌 (横 7cm)
剣鞘の末端の飾玉。上端の中心に丸い穴があり、その脇に二つの小さな穴があき、これで鞘と接合する。片面は鬼面、片面は腰掛ける人物と駆ける馬が陽刻。

4ヶに表わされる意匠は、類品を見ない稀少図柄。剣衛に紐を通して腰に付ける剣の付け方は中国特有であって、それが西方に伝わりクシャーン朝からギリシャ・ローマの兵士も皆この方法をまねて剣を身につけている。
● 時代 : 清朝時代
● サイズ : 高さ 6,5cm×径 1,3cm
● 価格 : \

難試験の科挙を通った清朝時代官人が被る官帽には孔雀の羽根を付け、羽根の種類枚数によって官位が分かるようになっていたが、その羽根を差し込む部品。材質は白玉・翡翠とで官位は厳格に決められ用いられた。翡翠は極めて少ない。退官後、紐を通し腰佩としても用いられたという。下から1/3までを中空とする。

参照 : GK-173と同様近時発掘によるもの。翡翠は古代中国では玉といわれたものの中には含まれない。現代では玉には軟玉と硬玉の2種類があるとされ、古代から真玉とされていたのはこのうちの軟玉だけしかなかった。翡翠が玉なみの扱いをされ始めたのは乾隆帝の時代になってからで、正式に玉としての扱いを受けるようになったのは清代の末から。しっとりした玉の「仁」よりも冷たい石(翡翠)の輝きに目が眩んだのであろう。
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GK-205 GK-206

玉人佩

玉騎牛
● 時代 : 春秋戦国時代
● サイズ : 高さ 5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

両手を前で組み跪く武人であろう。両袖・両膝は流水紋を、空間は雲文を力強く刻している。

青玉が湿潤風化により、暗茶色・褐色と変化しており、古玉の持つ魅力を増している。
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 5,5cm
● 価格 : \

堂々とした犀牛(いわゆる水牛)に人物が乗る丸彫立体玉。牛・人物の体表には雲文が陽刻されている。怪異な表情をする牛に乗る造型は初見であり、人物の顔の表現など全体の力強い造型から西周時代の作品と考えられる。
辟邪に乗る人物(仙人)はままみられ、アメリカ サツカラーコレクションの仙人が辟邪に乗る品が知られ、邪悪を御し祓う造型と考えられているので、同様な意があるのであろう。青玉製であり湿潤による風化が見られる。漢時代丸彫玉の優品。
香港著名古玉収蔵家旧蔵品であり、撫玩するに足る品。※片角折損。

参照 : DK-050
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GK-203 GK-204

白玉

龍形玉器
● 時代
● サイズ : 縦 6,5cm×横 4,5cm
● 価格 : \

近時採集の白玉の中でも最高級品質である羊脂玉。新疆ウイグル自治区西南の和田玉。和田はタクラマン砂漠と崑崙山脈にはさまれたオアシス都市で、中国でほとんど産出しない玉は大部分西域和田から運ばれた。湿ったような暖かさ、淡い透明感ぬめやかさは宝石には無いもので、玉の魅力は格別で中国人を魅了しつづけてきた。
軟玉についていわゆる水気は人間の精液に対比されており、玉の中でも白玉を見ると確かに似た感じである。玉が生産・再生の力を持つのは、人間の生殖の根源の液体との類似と言う素朴な感覚に根ざすものであったのだろう。現在では川で拾う程の良玉捜しは難しく、かっての河川敷を大規模に掘り起こして見つける状態。初期の楼蘭は玉の中継市場と隊商宿からなる小さな街としても知られていたし、漢の武帝が敦煌郊外に設置した玉門関という関所はまさに西方の玉が漢に運び込まれる関所という意味である。
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 14cm
● 価格 : \

紅山文化(BC4000〜3000)。
「玉龍」 「猪龍」と呼ぶC字形に身を曲げた動物を表わしている。牛河梁遺跡から出土した玉龍は高さ10,3cm、遺体の胸の部分で左右一つずつ発見されている。身に穿たれた孔で紐を通して下げたと言われるが、20cmを超える大きな品も発見されており全て身につけたかは明確でない。耳は大きく立ち目は丸く、鼻は突き出して皺があり、鼻の穴は横に細長い。
現代中国語の「猪」は豚を意味するから豚のような顔をしたという意味で中国の学者は「猪龍」と呼んでいるのであろう。ここから進んで、龍は豚から変化したと主張する学者もいる。中国では古代から現在まで豚は豊かさを代表する動物であり、新石器時代のモンゴル高原の住人たちは羊の放牧と豚に代表される農業とを両立させていたのであろう。深緑色石であり、氷裂状・波浪状褐泌が全体に及び美しい。

参照 : GK-176GK-125
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GK-201 GK-202

玉人形飾

玉辟邪
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 9cm
● 価格 : \

紅山文化。
膝に手を置き半屈みする紅山文化の太陽神といわれる造型。紅山文化だけに見られる特有の美しい青黄色玉製。後頭部首の左右に貫通する穴が穿たれており、驚くことに直立するように細工されている。
BC4000〜3000年頃の紅山文化といえば、遡る6000年〜5000年前であり、気の遠くなる時空の隔たりだ。
呼和浩特(フフホト)玉収蔵家旧蔵品。美玉を意識的に選んでいることがわかる。
● 時代 : 後漢時代
● サイズ : 横 19cm×高さ 9,5cm
● 価格 : \

墓守りをした辟邪は、石造りの大きなものだったが、後に玉で作った小さい辟邪が魔除けとして使われるようになった。玉の霊性と神獣の威嚇力があいまって絶大な効験が信じられたことだろう。
漢時代の墓の前には右側に辟邪、左側に天禄と言う守護神が立っており、辟邪は「邪悪なものを避ける」、天禄は鹿と同音で縁起のいい動物とされた。褐色の斑文の入った白玉の丸彫り。頭は虎か獅子に似るが頭に二本の角、前足には羽が生えている。玉辟邪は台湾故宮のシンボルとして知られる乾隆帝による讃と刻印が刻まれた品が知られる。
古物の持つ古代を偲ばせる幽情がしみじみ感じられ撫玩に足る。新疆ウイグル自治区の和田玉であり、綿密な加工で美しく磨かれている。湿ったような暖かさ・滑やかさは宝石にない心の落ち着きを感じさせる。全体に褐泌文が入る。熟坑。

参照 : GK-135GK-080GK-067GK-029
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GK-199 GK-200

玉魚

玉j管
● 時代 : 西周時代
● サイズ : 横 5,9cm
● 価格 : A・B 各1ヶ\ 35,000

青玉製。鰭・鰓・眼に鋭いカットがなされ、尾鰭がわかれる魚佩。単純な造形ではあるが、古意がある。
(画像手前がA、奥がB)

参照 : GK-037 GK-057GK-083
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 横 6,5cm×高さ 3,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

良渚文化。
幾分下方に搾まる方形状の四角に、怪獣の目をはさんで巫の小さな目、いわゆる「大眼小眼紋」が刻されている。小品ながら鋭いカットがなされ、本来の青玉が風化により白化する変化も見られ、、魅力ある品としている。jは地のシンボルで当時中国では地球は四角いものと考えていた(「天円地方」)。良渚遺跡は、1993年梅原猛氏が現地で玉の重要性を指摘して以来、日中共同の学術調査が開始された経緯がある。

参照 : GK-033GK-087GK-158
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GK-195 GK-196

玉神人獣面紋コウ形佩

龍形玉ケツ
● 時代 : 西周時代(BC1057〜770)
● サイズ : 高さ 5cm
● 価格 : \

うずくまり前方を見据え、立派な角を持つ鹿を薄板で造形している。胸部に小穴が掛穿たれ佩としての用と知れる。西周時代、薄玉板でもってわずかなカットを施す単純形状で造られた兎・鳥・魚などは魅力有る古玉の分野である。白玉が全体泌白色化が蝋状光沢を持ち美しい。3000年余前とは思えない造形感覚と言える。

参照 : GK-036
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 横 15cm×高さ 9,5cm
● 価格 : \

漢代になり「天禄」と「辟邪」を呼び合わせる霊獣が出現。たなびかせる背中の翼・一本の角・先端が二つに分かれた尾を持つ天禄。威嚇し、のし歩く躍動的態様を的確に捉え作品としている。青玉製であり、近年出土玉の特殊性・地域性関連を考察させる品。
立体玉は数も少なく、半宝玉のゆえに財貨としての価値をみなし、西洋人の収集が盛ん。
生坑(近時の出土品)であり、鉄錆(中国では「辰砂」 「シュ砂」という)が付着。「天禄辟邪」は天の賜った禄をいただき、邪悪を避け、取り除くという意味でこれらを墓守りとして大型石製で造られた。
天禄は麒麟ほど知名度はない。清代では三品官の墓に天禄の彫刻を用いても良いことになっていた。
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GK-195 GK-196

玉神人獣面紋コウ形佩

龍形玉ケツ
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 横 15,5cm×縦 5,7cm
● 価格 : \

良渚文化。
中央に人面を左右には鳥を陽刻する。上部の2穴で玉管と共に繋がれ、一連とされた胸飾板(1986年浙江省余杭県反山墓の出土状況は約長さ3cm余の玉管12ヶと共に出土しており、吊り下げ状態では獣面が上下逆になる)。
表面は緩やかなカーブで孤面に向けて裏面は胸肌に合う事を考えたのであろう。凹面状に丁寧な研磨をしている。故宮には同品で乾隆帝が別板上に詩文を刻んだ品が知られており、当時出土し献上されたのであろう。本来は薄茶色の玉が鳩骨白化、紅化と変化する状況で複雑な色合いとなり美しい。
コウは六器のうち北方を礼するもので、亀(弦武)の甲を象っている。下がっては漢時代にも多く造られ、頂上部に穴があけられ佩としての用が明らかなもの。

参照 : GK-099
● 時代 : 西周時代
● サイズ : 高さ 5,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

ケツといわれる耳飾り形状。薄板青玉であり、体表は細線で背の鰭部は鋭いカットで造形され力強い形状としている。
ケツと呼ばれる円環に切れ目のある耳飾りは、遼寧西部・内蒙古東部では紅山文化より3000年以上も前から用いられている。青玉製で全体が美しく白泌化。

参照 : GK-123GK-168
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GK-193 GK-194

蟠ち雲文角杯

玉j
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 高さ 17,5cm
● 価格 : \

水牛角形の片面には口縁に向かってのち龍と下にも一匹の2匹が片面には一段と大きなち龍がまさに口縁に顎を付け身を乗り出す状況で立体的・高浮彫に削り出されている。器表は3段に分け、異なったモチーフを表わす。上段はC字形鈎状雲文、中段はさらに精緻細密な渦文、下段は斜線波状文でもって鋭く稜線が刻まれ龍の尾を表わしていると思われる。
角型玉杯は、1983年広州南越王墓で出土し始めて漢時代の角型玉杯と言うものが知られることとなったもの。それまでは伝世する角型玉杯の年代は全て宋〜明代と考えられ漢代にまで遡るのとは考えられていなかった。(角杯の一番古いものは唐代の陶磁角杯が一番古いと考えられていた)
前漢時代の高級貴族に愛好された優品であり絶品である。青玉製であり、褐泌化が全体に及んでいる。熟坑。ち龍の翼先を始めとする、突出部の削りは鋭角的であり、工匠の並々ならぬ造型感覚が全体に溢れている。
長年の懇請により香港著名玉収集家より譲受品。
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 4,5cm×径 7cm
● 価格 : \

良渚文化。
約5000年前長江流域に発達した幾分下方に窄まる方形状の四隅には、巫女の顔が上方2段に細微な線状でもって刻される。上方から見た形状は真円を囲んで緩やかな美しいカーブを持つ突状で四隅を形成している。精密を極める全体のカットは肉薄の造形と共に、数有る玉jの中でも一段と見事。又、原石の色を全く残さず、完璧な状態でもって鳩骨白色をしているのは珍しく、撫元にたる古玉の魅力を醸している。
jは地のシンボルで、当時中国では地球は四角いものと考えていた(天円地方)。


参照 : GK-091GK-012GK-152
     GK-145GK-146
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GK-191 GK-192

双龍玉佩

双龍玉佩
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 長さ 19,5cm×高さ 6,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

2頭の龍が背中合わせになっているさまを透彫で表わしている。数点の玉器を吊り下げた飾り物の一部を構成したもの。濃緑色の碧玉製であるため風化は少ない。
「君子無故、玉不去身」(君子たる者は、理由もなく玉を身から離さない)と言われるほど中国古代の貴族は皆玉を佩用していた。また玉を擬人化して五徳を持つと考えていて、「君子比徳如玉」(君子の徳は玉のようである)と言っていた。中国において碧玉製品は、他玉に比べ一段と評価が高い。
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 長さ 19,5cm×高さ 6,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

GK-091と対で出土。(「宝鶏」郊外墓)

参照 : GK-150
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GK-189 GK-190

玉龍佩

玉太陽神
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 横 8,5cm×高さ 6,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

戦国時代には変化に富んだ龍形の玉佩が数多く作られた。生き生きと躍動感あふれる龍の形象は、この時代の性格を最も良く現している。
龍形の玉佩の多くは「S」字形を呈しており、「S龍」はこの時期の龍形玉佩の別称となっている。全身を勾雲文に包まれ、躍るように身をくねらせ、今にも動き出しそうである傑作と言える。天上に穴が開いているところから組になった玉佩の一部。透明感ある青玉製。古玩とは手で触り愛撫し、ためつすがめつして味を感得するものであることを実感できるのが古玉の良さであろう。
参照 : GK-032
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 12cm
● 価格 : \

紅山文化。
BC4000〜3000年頃。膝に手を置き半屈みする人物らしき形態。大きく広がった耳、頭上に伸びた環状の被り物を着け、顔は大きな眼、突き出た口を持つ。紅山文化の神といわれる太陽神。頭部下方には左右に貫通する穴が穿たれている。紅山文化特有の黄緑色の美しい玉で作られている。直立するこの種の玉器は極めて遺品が少なく、市場価も高い。金属器の無い当時、硬い玉をここまで加工するには相当の時間と労力を要したことであろう。いかにも呪術的な力を感じさせる玉器。三星堆の青銅面を始めとする異形の銅器と紅山文化の玉器はかって知られなかった現代人の度肝を抜く造形感覚であり、中国古代文明の奥深さを知らしめる。
1996年北京オークションにてNT2,420,000(日本円約3,200万円)で落札され、かって遺品の少なかった紅山玉器に俄かに関心が高まった。やっと1984年遼寧省牛河梁の発掘でもって紅山文化玉は知られることとなったもので(「紅山文化」命名は1955年)、1936年に調査が始まった良渚文化玉に比べて半世紀余も後のこと。中国最古の玉である紅山玉は中国において人気が高く、競売においても高価に取引されている。
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GK-187 GK-188

緑松石飾

玉透彫龍形紋環形佩
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 長さ 1,2cm×0,5角
● 価格 : \

長方形に成型され、糸が繋がるほどの小穴を貫通させた緑松石。
戦国〜漢時代に、銅製品に象嵌したりして用いられた緑松石は誰が見てもわかる美しさで愛された。
それぞれ湿潤による風化で茶褐色に変化し味わい有る。1個造るにも大変な労力と時間を要したであろう。環形の耳飾りも遺品がある。
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 径 5,7cm
● 価格 : \

丸環の中に辟邪を立体透彫。辟邪の顔の表情・鬣・足毛等全てにわたっての細微な彫刻は驚嘆に価し、漢代玉彫の頂点を極めると言える。中央にち虎を透彫する壁はまま見られるが、普通ち虎の彫りは平面的であり、これ程の立体感を持ち神業といえる程の彫技を表わす品は類品が無く、しかも些かの損傷も見られず奇跡と言える。長年の懇願により香港著名玉収蔵家より譲受。漢王朝の支配層のための器物を作っていた工房の作品と言えよう。広州市南越王墓出土の優品。
「龍鳳紋透彫玉飾」が参考になる。
漢代の丸瓦には同形意匠が見られ、四神の内東方の守り神である青龍を表わしていると知れる。
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