P29 P28 P27 P26 P25 P24 P23 P22 P21
P20 P19 P18 P17 P16 P15 P14 P13 P12 P11 P10 P09 |P08 P07 P06 P05 P04 P03 P02 P01
GK-185 GK-186

龍文玉壁

玉象
● 時代 : 戦国〜前漢時代
● サイズ : 径 32cm ×厚 0,6cm
● 価格 : \ 問い合わせ

中心部には渦文が刻まれ、その周囲には龍文が表される。円盤形の壁を縄状の圏線で内区と外区に分け、内区に渦文、外区に龍文を施している。表裏両面とも同じ文様を刻んでいる。礼制を整え始めた諸侯の威力を背景にした産物といえよう。圧倒的迫力を有すこれ程の玉壁を入手できることは夢のようなことである。中国の一級文物で知られる漢時代の「銅飛馬」が出土した事で有名な「武威」(青海省)で近時出土。
壁は漢代には装身具として腰間に帯び装飾品として室内に掛け水祭り火祭りの祭祀で使われ魔除の副葬品として墓中に入れた。あるものは死者の胸部や背部に置かれ、あるものは棺と槨との中間に置かれ、また棺の外側に装飾として嵌め込まれたりもした。権威の象徴として欠くことのできないものであった。漢代玉器の製作水準の高さを物語る。当時発掘献上された玉壁・黄を乾隆帝は好んで研屏仕立てとした品が台北故宮博物院に蔵される。茶褐色の玉質。粟粒状の文様には婚礼あるいは難事解決の吉祥文としての意味が秘められていた。元来龍その他の動物文に施された渦文の変化したもので、粟粒というより小さな渦文に近い形を呈するものの多いのはこうした変化を示すもの。日本においては中国古玉の列品展示をする美術館は無く書籍も出版されずで、これでは中国玉の真髄を知る眼も養えないのが残念。台湾故宮博物院、上海博物館には玉展示室も設けられ古玉の素晴らしさを知らせてくれる。
現在発表され知られる最大龍文玉壁は33.4cm。前漢時代の南越王墓の玉衣の下には5ヶの木棺上部にも3ヶの大型玉壁が置かれていた。戦国時代、秦国が趙国に対し秦の15城と趙が宝としていた玉壁(和氏の壁)を交換しようと持ちかけた話が伝えられるがどんな玉壁であったろうか?

参照 : GK-025
● 時代 : 殷〜周時代
● サイズ : 高さ 6cm×横 10cm
● 価格 : \

インド象であり、前千年紀には華中に野生していたことが知られており、安陽小屯の殷墟出土の対の玉象が著名。
背上に3行、5ヶづつの金文が刻される。2行は解読不可であるが、最後の行は「子々孫々永く宝として用いよ」というこの時代の銅器にしばしば刻される言葉が刻まれる。しかし玉への文字刻はあまり見ない。両体面には、雲龍文で囲む丸紋が2ヶづつ装飾される。
象は商代銅器の装飾にしばしば表され、ほとんど常に写実的に表現される。しかし立体的玉象は極めて珍しいものである。
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GK-183 GK-184

玉八角形器

玉剣
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 横 12cm×厚 0,7cm
● 価格 : \

良渚文化。八角形薄板上、大きく円弧を円弧にむかって四周の線同様3本線で放射線を、円弧内一杯に神を表裏に刻する。上段の小さな円い目の神は下手の白目の大きな神の額の上に立ち両手で下の神の目に触れ、下の神も手を広げ何かを掴む。二柱の神を線刻している。八角形は自然現象を象徴する八卦・天・地・雷・風・水・火・山・沢を表現し、自然界と人間社会のあらゆる現象の原初とされている。
石は黄玉の中に朱・白色模様が層となっており、意識的に美しい珍奇な石を選んでいる。良渚文化玉は昔から長江下流域で出土しており、清朝末期から農村では玉器の発掘が冬農閑期の副業とされ上海から海外へと渡った品も数多いという。初出資料。鏡などと共に悪霊に対する魔除として用いられる八卦図は八角形状でもって八卦の周りには北斗などの星が描かれている品が現在でも使われている。現在中国では国家プロジェクトともいえる北京オリンピックを控え、全国で開発が続けられており、新資料が続々と出現すると思われる。
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 長さ 41,5cm
● 価格 : \

握部は2段の突起状となり銅製。「首」「格」は銀でもって製作され嵌め込みとしている。「首」は雲文の刻、「格」は相対するち龍を打ち出しとし、白玉の刃を両側より挟む。玉であることにより殺傷能力はないものと考えられ儀式用であろう。
白玉は透明感ある良質な品であり、湿潤による風化で白濁化が広がり美しい変化をしている。これ程の玉刃を作る研ぎ出し作業には気の遠くなるような時間と労力が費やされたはず。玉は崑崙の玉であって崑崙山系から北流する河川に流れ下りたもので無上の宝とされた。

参照 : DK-072
● 別角度画像 → 裏面拡大 ● 別角度画像 → 裏面握部剣先

GK-181 GK-182

玉魚形佩

玉立人像
● 時代 : 西商時代
● サイズ : 高さ 4,5cm×横 9cm
● 価格 : \ 150,000

透明感ある青玉で造られた魚。湿潤による風化の白泌化が味わい深い。深く彫り込まれた線刻が全体の鋭い造形と相俟って古代玉の魅力を発揮している。2ヶの貫通する穿孔も見事な技術を示している。
魚は古くからしばしば用いられた文様であり魚と余と音が通じることからもよい意味(毎年豊かでお金も余裕もある)と考えられ吉祥文様としても現代まで連続して用いられている。左右2ヶの穴に大小の玉・石の蚕・珠等からなる紐に通され胸飾りの先端に付けた遺品が知られる。

参照 : GK-057GK-037
● 時代 : 西周時代(BC1057〜770)
● サイズ : 高さ 10,5cm
● 価格 : \

裸体の女性立像。乳房・生殖器も刻され、髪は肩半ばまで垂らす。両腕部に穴が穿たれ、紐を通したとしれる。青玉製で湿潤による茶褐色斑風化が全体に及んでいる。玉立人像は類品の極めて少ない品であって特に女性は稀少。人物の立像を丸彫りで表した玉器はすでに新石器時代から見られこれらの人物像には裸体のものと着衣のものがあるが、裸体像が多い。このような像を装身具として身に帯びる事により不祥を避けようとしたと考えられる。
同形状の陶・木製大型俑が明器として多量に出土するのは本来着物が付けられたと考えられている。
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GK-179 GK-180

玉ち虎文壁

玉錐形器
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 高さ 1,5cm×径 6,8cm
● 価格 : \

表面には3匹のち虎を裏面には穀粒文を彫り出している。ホータンの白玉製であって熟坑による長年変化で薄褐色になり美しい。筆架・墨架・書鎮としての用にも適する寸法であり机上の文房飾に相応しい。

参照 : GK-038 、 GK-120
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 長さ 42cm×厚み 3,5cm
● 価格 : \

良渚文化。錐形器といわれる形状。小型品は首飾りの一連の飾り。20cm前後の品は髪飾りとしての用途であったと考えられているが、本品は大きさから祭祀用品であろう。人面は角部に2ヶ所刻される。玉質は鳩骨白化する部分が全体に及ばず、下半分余はもとの白玉部を残している。良渚玉器の素晴らしさに魅了された京セラの稲盛会長が資金を出し現在良渚文化、長江下流域の発掘が進んでおり、新たな発見も期待できる。生坑。

参照 : GK-137
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GK-177 GK-178

玉壁

玉座熊飾
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 径 14cm
● 価格 : \ 問い合わせ

中心円から外周に向かって3頭の鬼面を両面に刻んでいる壁。青玉が風化により白化している。獣面文は饕餮文の変化したもの。鋭利な刃物で彫るのではなくて玉材に砂をまぶしながら紐などを根気よく擦り付けて挽き切り、擦ることで形を整え、文様を研ぎ出して作る作業には時間と労力が費やされた。壁には用例から推して辟邪・昇仙などにかかわる特別の意味があったと考えられる。

参照 : GK-025GK-040GK-063
● 時代 : 戦国〜漢時代
● サイズ : 高さ 4,8cm
● 価格 : \

漢代には様々な動物の形をした鎮が用いられ墓からしばしば出土しているが、特に熊が多い。銅製・石製が多く、四個がセットとなる例が多く、敷物や六博(古代のゲーム)の盤の四隅に押さえたりするのに用いられた。本品は頂上より貫通する穴が穿たれ、佩飾としての用と考えられる。「詩経」には熊の夢を見るのは吉夢であり、男子の生まれる事を意味すると述べられている。又熊は山の中にいることから陽の意味があるともいわれ、出土遺品より辟邪の意味もあったと考えられる。乳房を持つ母親熊が頭上に手を上げた状態で座す形態は銅製にもみられおどけた表情が愛らしい。
類似造形は陜西省感陽博物館に蔵されるが、立体動物玉佩は稀少。実在人物動物型玉器を中国では肖生器という。
香港著名玉収蔵家旧蔵品。

参照 : DK-028
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GK-175 GK-176

龍形玉器

龍形玉器
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 7cm
● 価格 : \

紅山文化。BC4000〜3000年頃。きれいなC字形。背を曲げ尾を巻き長い髪が突出してなびき、天を駆け昇る勢いがある。鼻頭・目と口は凹状、鋭利な刻線が施され、2ヶ肩部に紐通し孔が穿孔。紅山文化に多い透明感ある青玉製で、僅かに風化。参照GK-125 の龍形玉器と共に紅山文化を代表する龍形玉器。龍は鰐・馬・蛇等様々な動物の特徴を合成して表された。

参照 : GK-089GK-125
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 7,8cm
● 価格 : \

紅山文化。C字型龍。中国では「猪龍」「熊龍」とも呼び紅山文化の人々が崇拝した動物。商周時代の青銅器には様々な龍が表されているが、近年になって新石器時代の遺跡や遺物にも龍が表現されていることがわかってきた。墓では死者の胸の位置から出土するため権力者が所有して、首から下げて使用したものと考えられている。風化による白濁部が見られるが、良質な青玉であり、作行きも細微で鋭い。BC4000〜3000年の紅山文化は中国最古の玉器文化。
1996年北京オークションにて、高さ7,7cmの同形品がNT2,420,000(日本円 約3100万円)で落札されている。
参照 : GK-095GK-125
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GK-173 GK-174

翡翠佩

玉踊俑
● 時代 : 清朝初期
● サイズ : 縦 5,5cm×横 7,7cm×厚 1cm
● 価格 : \

古代よりの佩玉風習は連綿と続き清朝時代になると多くは軟玉の白玉で、又、硬玉の翡翠でも造られるようになる。良質翡翠の原石でもって、片面には瑞芝雲・日月双鳥を、片面には竹と鳥を明時代の遺風を残す二段彫刻で卍文の背景に刻している。竹と瑞芝・日・月・部に濃緑色部をうまく取り入れた彫刻は巧みであり工匠の技が光る。吉祥文様であることにより誇示とともに家内祈念でもって佩帯した貴顕土の品。
良質翡翠はミャンマー北部から中国雲南地方一帯で採れ、17世紀清朝時代の品は特に高品質であり市場価値は高い。翡翠は現代中国では宝石というより一種のお守りで、身に付けておくと幸福が訪れるという。翡翠が爆発的な人気を呼び高価となったのは乾隆帝の時代になってからであり又、正式に玉としての扱いを受けるようになったのは、清代の末から。しっとりとしたし玉より冷たい翡翠にとりことなった西太后の影響は大きい。

参照 : WS-019ZK-036GK-088
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 長さ 10,5cm
● 価格 : \ 250,000

西王母に待する王女とされた玉舞人は身分の高い女性に愛用された。1983年広州市前漢時代南越王の右夫人墓から出土した垂飾一連中央部に繋げられた玉舞人が知られる。湿潤風化により茶褐色化している。腰を右へ45度の角度で揺り動かし舞者の最も美しく妙なる姿を捉えている。

参照 : GK-097GK-008
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GK-171 GK-172

玉蝉

玉龍板
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 長さ 7,2cm×横 3,5cm
● 価格 : \

透明感ある青玉に刻まれた蝉。裏面・腹部上の発声腔・下の腹筋の彫刻も入る。薄造り扁平で大振り。「漢八刀」の彫技が魅力。身体の九穴を玉で塞ぐ風習は、前漢の中頃から始まり、後漢後期まで行われた。口に含ませた蝉には握豚同様自然の写実に近いもの、デフォルメ度の進んだものとがある。蝉は露を飲むだけで穀物を食べないといわれ、これは清く高いことと結び付いた。「続漢書」「晋書」には蝉形装飾が宮廷の侍従官の冠に付けられた事が記されている。

参照 : GK-006GK-015GK-069GK-070
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 縦 20cm×横 15cm×厚 0,3cm
● 価格 : \ 問い合わせ

長方形薄板の青玉を9ヶに分けて、それぞれち龍を透彫している。身をくねらす総計17匹のち龍が刻され、全体でもって統一された長方形となる。ち龍の体表には線刻が施される。装飾として家具・調度に貼り付けられたものも漢時代玉器には少なくないことが明らかにされており、そのような用途の品と考えられる。(裏面は平滑である事・飾り用穴が穿たれてないことからも)湿潤による風化が程好い状態となっている。玉に対する信仰的な愛好は、中国人特有のもので世界にも例が無い。後漢時代に篇算された中国の辞書「説文解字」によると「玉」の部首に属する字は124ある。これ程の概念があることは、中華文化と「玉」との異常な係わり合いを示すものといえよう。

参照 : GK-647
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GK-169 GK-170

玉盒

玉蝉
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 高さ 6cm×口径 9cm
● 価格 : \

身・蓋・上面中央のつまみ全てをそれぞれ1つの玉塊から彫り出した容器。青玉製。
蓋部には五列にわたる雲文を合口の縁部には五匹のち虎を身部には六列にわたる雲文を合口の縁部に五匹のち虎を彫出している。門鈕に繋がる縄文形丸輪も蓋部と同一玉塊より削り出す、極めて手間をかけた実用器具。かつて玉盒は1983年、広州南越王墓より出土した品が知られるのみ(2000年東京国立博物館「中国国宝展」に出品)であり極めて珍しいもの。
近時宝鶏近郊墓出土。

参照 : GK-062
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 長さ 6,3cm
● 価格 : \ 問い合わせ

両面蝉を合体させた珍しい形状。両面同形状であって、孔も頂上より下方と通じる単穴であり、通常玉蝉の鼻腔の間にあく2穴と相違する。各部の刻線は極めて鋭い「漢八刀」。「含蝉」「飯含」ともいう。青玉製で湿潤風化による白濁点斑が散在する。形式から葬玉でなく佩玉としての用も考えられる。含蝉としては「金玉が九穴にあれば死者は不巧となる」という観念につながり玉に死体を守る霊力をみとめ穴を塞ぎ気、即ち生命力の放出を防いだ。玉でもって手厚く葬することも後漢時代でだいたい終わってしまう。

参照 : GK-006GK-015GK-069GK-070
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GK-167 GK-168

柱形玉器

玉龍
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 5cm×径 4,5cm
● 価格 : \

良渚文化。細い孔が穿たれた円柱形の玉の側面に2段4列に人面が4ヶ上下に表されている。それぞれ浅い浮彫と線刻を併用し、細密な表現になっている。この形状はjより一時代古い作品と考えられており、BC3300〜2200年頃新石器時代後期に長江下流域に栄えた良渚文化の神の姿を描いたもの。稀品。
● 時代 : 西周時代
● サイズ : 高さ 4,5cm
● 価格 : \

いくつかの玉を連ねた装飾品の一部であろう。両端を龍頭形につくり斜条文が刻線によって施され風化による 白化が美しい。青玉製。
中国はよく「竜の国」であるといわれる。黄河や長江は「大地の竜」の如く洪水で暴れまわり、しばしば河道を変える。大地を走る風水の気の流れは「竜脈」とも呼ばれる。竜は天や皇帝など「聖なるもののシンボル」として建築や器物などを飾り、中国を代表する動物モチーフとなっている。
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GK-165 GK-166

玉腕輪

玉人物佩
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 2,4cm×外径 6,5cm
● 価格 : \

良渚文化。四龍首を浮彫した品が良渚文化の品として知られるが、本品は同形4ヶ所に長方形上簡略した獣面紋を浮彫装飾している。青玉が牙白色に変化し、色の変化が美しい肌合いを作っている。古代玉において祭祀用でない実用玉は資料的にも稀少なもの。良渚文化は今からおよそ4200年前忽然と地上から消え去った(長江の大氾濫で)。5000年前に興った良渚文化の輝かしい歴史はその800年後、神隠しにでもあったように途絶えてしまった。今でも中国では翡翠腕輪を子どもの時にはめるが径が小さい事から当時でも同様であったのであろう。
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 長さ 2cm
● 価格 : \ 80,000

青玉製で極小の人物像佩。長衣を被り手を組む男子。目鼻立ち、衣文の刻線等明確である。含蝉同様頭上左右に貫通する穴が穿たれ(象鼻穿)佩でお守りとしての用をもつ。全面に程好い風化部がみられる。これ程のミニチュアにさえ力強い造形感覚が発揮され中国古代美術の魅力を堪能できる。熟坑。

参照 : GK-009GK-049
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GK-163 GK-164

玉鉞

玉壁
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 長さ 28cm
● 価格 : \ 問い合わせ

良渚文化。この種の器物は、浙江省や江蘇省の良渚文化期の墓葬からも発見されている。歯牙状の突線文様をつけ、なかほどに1孔があけられており柄に固定するためのものであろう。片面中央部に良渚文化の神である獣面が刻されている。何か儀式的な斧として装飾的な作りのものに使われたのであろう。良渚文化の工人の技量は比類なく見事であり、当時すでに玉加工の原始的な機械が揃い、一定の熟練した工人達が擁されていたことなどがわかる。暗褐色の潤い光沢ある玉質。反山遺跡から出土した玉鉞は5点であり玉jの21点。玉辟の125点に比べてはるかに少ない。神が玉鉞に描かれることは玉鉞がなす行為は全て神の意志によるものということであって良渚の社会では玉鉞を持つものが天命を受けて地上を支配したと考えられた。
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 径 17,8cm×厚 0,3cm
● 価格 : \

顆粒文を表裏整然と研ぎ出している壁。刃物による連続した刻線によっているように見えて、刃物ではない小さな工具を用いた研磨による線であり、その集中して時間の経過をものともしない線描・研ぎに表された堅さと力とが戦国末から漢初頭の優れた作行の品。質感に似合わない涼やかな音がする。
壁は先史時代にはじまり、原型が何に基づくかは諸説があって確かでないが、徳の象徴としての意味の外に装飾的機能も加わり室内に掲げあるいは身に帯し、装身具の一部となっている。粟粒状の文様には婚礼、あるいは難事解決の吉祥文としての意味が秘められていた。玉質は半透明で潤いがあり色は薄茶であり、濃い褐色の部分が散在する。
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GK-161 GK-162

翡翠玉

玉蝗
● 時代 : 清朝時代
● サイズ : A 長さ1cm×径0,5cm
: B 径0,8cm×厚0,2cm
● 価格

乾隆年間、翡翠は「翡翠玉」と称された。雍正年間から乾隆期初め、翡翠の価値は高くなかったが乾隆期後期になると、一般の玉よりも高価となる。乾隆期以後、翡翠の価格は引き続き上昇し、清晩期には非常な高額に達し、宮廷と民間で次第に広まり人々に珍重される貴重品となった。乾隆帝は現在のミャンマー近くまで平定し、翡翠を大量に手に入れ翡翠の装飾品の最高傑作を作った。北京故宮には800点余の翡翠製品が所蔵されているが、日本人には台湾故宮の「白菜にキリギリス」置物、「翡翠板屏風」がよく知られている。
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 横 12cm
● 価格 : \


紅山文化。中国の蝗は日本の蝗のように可愛いいものではなく大バッタといった方がいいほど大きい。普通大洪水の跡地などに発生して大繁殖し、天を覆って田畑に飛来し、青いもの全てを食い尽くしてしまう。元時代には廟をいたるところに建てて虫害が自分達の郷村に及ぶことを避けようとしたほど被害をしょっちゅう被ったといわれる。紅山文化の人はどんな意味を込めて蝗を作ったのであろうか。眼の後方に貫通する穴が穿たれ暗褐色の玉が風化によって白濁している。今夏の猛暑でアフリカでは稲子が異常発生し、1K平方m当たり5000〜8000万匹にもなり、小麦等に大きな被害を与えたと報道されている。
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GK-159 GK-160

玉鳥

玉龍佩
● 時代 : 新石器時代
● サイズ : 高さ 5,8cm
● 価格 : \ 100,000

紅山文化。黄緑玉で造られ尾羽の先に紐通しの穴が開けられている。湿潤による風化で全体に白泌点が散在。竜と同様中国人に愛され続けてきた鳳凰、即ち鳥の存在も忘れてはならない。古代美術には竜に劣らぬほど鳥の表現に溢れている。僅かにC字曲線で柔らかく造形されている。古代中国では鳥はしばしば太陽を象徴した。鳥が飛ぶことによって太陽が運行したと考えられた。
● 時代 : 春秋時代晩期
● サイズ : 長さ 5cm
● 価格 : \

小さな作品であるが、体表には密に雲龍文と鰭・眼が刻される青玉の龍佩。商代からの精神性を色濃く残している。穴が穿たれていないので、布や棺に付けた用途のものかと思われる。小品勿ら力強い作行きが古代玉の魅力を持つ。最後の皇帝溥儀がひどく龍に固執したのは「龍の末裔」であることの存在証明であり、彼の住居「故宮」はあらゆる部分が無数の龍で埋め尽くされていた。玉に霊性をみるという、一種の玉信仰は世界でも中国だけのもので、しかも数千年の長きに渡って今なお生きているところに、中華文化の息の長さがある。
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