Page20 Page19 Page18 Page17 Page16 Page15 Page14 Page13 Page12 Page11
Page10 Page 9 Page 8 Page 7 Page 6 |Page 5 Page 4 Page 3 Page 2 Page 1
▼ DK-149 ▼ DK-150

龍文銅戚

貼銀八陵鏡
● 時代 : 商晩期(紀元前14世紀〜前11世紀)
● サイズ : 長さ 20,3cm
● 価格 : \ 問い合わせ

鉞と戚はいずれも斧を祖形とするが、中型・小型に属するものは兵器であり、特大のものは軍事権力の象徴。青銅戚は商代兵器のなかでもけっして普遍的なものではなく、そのための使用はある程度の制限があり一般的な兵卒が使うような兵器のセットには入らない。
本品は白銅製。丸まった龍を中央に透かし、頭上に鬼面を鋳出している。2ヶ所の紐通し穴が穿がたれている。両刃で極めて鋭利。泥銹と白銅との色調が美しい。
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 10cm×厚 0,9cm×重量 280g
● 価格 : \

円紐の左右には端雲、上部には衣装を翻し麒麟に乗る仙女、下部には花喰いの双鳥を薄板銀でもって細微に打ち出したものを白銅八陵鏡に貼付けており平脱鏡の一形態といえようが類品を見ない。側面に段差がつけられ、八陵の切込みも鋭い美鏡である。青貝を薄板状として漆でもって貼付ける平脱螺鈿鏡は往時の華美を物語るものとして正倉院の遺宝でも知られるが、新中国の発掘によって多種多様な新資料出現は古鏡も同様。文様の細部は鏨を密に打ち連ねた刻線で表現されている。人の姿を写す鏡には独特の霊力があると殷の時代から信じられてきた。
● 別角度画像 → 後側拡大 ● 別角度画像 → 裏側拡大

▼ DK-147 ▼ DK-148

銅馬鐸

鍍金銅佛像
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 高さ 6cm×横 7cm
● 価格 : \

馬鐸は胸繋と呼ばれる一種の飾り帯に付けられた小さなベル。方形の鈕と横断面が杏仁形となる中空の身から成り、裾は弧状に抉れている。舌という銅片が残り、馬の歩みと共に侘しげな涼しく乾いた音を奏でるのが嬉しい。身の表面は、縦・斜めの突線乳頭の模様が打出されており、薄造り。

参照: DK-017
● 時代 : 明時代
● サイズ : 高さ 9,5cm
● 価格 : \

ふくよかであって厳しく凛々しい顔相、流麗な印相、細部にわたる抜け、鏨の細微な刻(衣紋)小粒に揃えた螺髪等、小品勿ら作行き良好の如来坐像。
長年の愛玩により、銅と鍍金味とも好ましい味としている。

所有者が造らせた木彫蓮花台も嬉しい。底羽目板は欠。左指先欠損、昔の修理。
● 別角度画像 → 近影拡大内側 ● 別角度画像 → 裏側底面拡大

▼ DK-145 ▼ DK-146

青銅鍍金仏坐像

銅錫杖
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 9cm
● 価格 : \

釈迦牟尼像。肉付きよく、張りきっているが、尚堅さを残した顔かたち、坐して止まった姿勢、彫りが深く力のこもった目鼻、大きく垂れ下がった耳朶などは初唐の諸像に連なる作風。厚く塗られた金の下に、澱みのない爽やかな鏨の動きがあらわれ、一層きらびやかな像容を見せている。後頭に光背をかけるための柄が残る。
右手を大きく広げており、北魏時代大和仏の形式を継いでいる。台とも一鋳である。この種の金銅仏を個人用に注文できるのは、限られた権勢家であった。
● 時代 : 宋時代 あるいは朝鮮高麗時代
● サイズ : 高さ 22,5cm×横 13,5cm
● 価格 : \

仏教の僧具である錫杖は道を行くにあたって携帯する杖。インドでは山野遊行のおり、毒蛇害虫を防ぐためこれを鳴らして歩いたと言うが、法界や乞食の際にも用いる。又、仏像では千手観音・地蔵菩薩などの持物。石突きの長い杖の先に付けたものと、短い棒先につけたものとある。頭の中心に宝珠・双竜・五輪塔・三尊仏などを飾ることがある。日本では奈良時代の鉄錫杖が正倉院に、清水市鉄舟寺の康治元年(1142)銘で平安時代の品。四国善通寺空海請来の伝承を持つ唐時代、3尊と四天王を表わす錫杖が国宝として知られる。本品は左右の蓮枝蕾に支えられ、蓮台上に阿弥陀如来が大きく乗り、頭には五輪塔が配された類品を見ない形式。左右に付けられていたであろう丸輪6ヶは紛失している(古い形式は丸輪が一鋳でなく嵌め込みの為紛失しやすい)が、あるいは儀式用として最初から無いものであった可能性もある。部分的に泥銹が付く。砂張質の銅味も魅力ある味わいとしている。左手半分が欠損。大振り豪華な造りから見て、実用品と言うより祭祀儀式用象徴品と思われる。多重高層塔は中国で創造された形態。
● 別角度画像 → 後姿側面底面 ● 別角度画像 → 裏側拡大

▼ DK-143 ▼ DK-144

六面銅印

青銅馬首剣
● 時代 : 南北朝時代
● サイズ : 縦 1,8cm×横 1,8cm×高さ 3,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

南北朝時代の殉葬私印。六面印は南北朝時代に流行ったもので、六面に印文を刻る。六面の印文の内容は、生命・字・号・本籍・言事などが刻される。漢代には男子は臣と称し、女子は妾と称するのが常。
六面銅印は極めて珍しい。
印面は「?徴」「趙国?嘉之印」「?徴幸事」「?徴印?」「徴臣」。
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 長さ 46,5cm
● 価格 : \

かなり重量も有る半月形の大振りな剣。馬首が握先端に造型され、目は穴けられ、口はいななく状態。立髪が2本あるが、1本は欠損。首下に吊輪がある。握部は両面とも文字が5文字刻される。刃の先端が欠損。刃が研ぎ出されておらず、祭祀用品であった可能性がある。全体錆味となっている。遊牧民匈奴の品。

参照:DK-089DK-043
● 別角度画像 → 拡大1拡大2 ● 別角度画像 → 馬首握部刃先

▼ DK-141 ▼ DK-142

青銅海獣葡萄文寸鏡

青銅海獣葡萄文方鏡
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 3,5cm×厚さ 0,5cm×重量 40g
● 価格 : \

4cmに満たない小型の懐中鏡。寸鏡と言う名は日本での通称で、袖鏡と言う呼び方もあり、これは中国でも通用している。女性が携帯して用いたと考えての命名であろう。寸鏡は漢時代には少なく唐時代に多い。
鋳あがりもやや粗い明器として製作された品が多いが、本品は伏獣形鈕と,5頭の海獣、葡萄唐草文も抜けは良く実用品であったろう。かって鏡は寸鏡と径20cmを越える鏡が高価であったが、現在では出土品の増大により全てが求め易い値となったことは陶磁器と同様である。

参照:DK-082
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 角 3,6cm×厚さ 0,4cm×重量 40g
● 価格 : \

海獣の「海」と言う字は海馬・海石榴というのと同じように「海のかなたの」という意味で、4匹と鈕の獅子を海獣と呼ぶ。 小品ながら内区の葡萄唐草、外区の巻草文も良く抜けている。小方鏡(懐中鏡)であって愛らしい。漢から唐にかけての寸鏡と通称される小鏡は、時に明器として作られた粗製のものもあるが、それよりも実用された精作が多く伝存し、本品もそれに連なるもの。袖鏡とも呼ばれるように、携行したり合わせ鏡として用いられた。寸鏡の収集は人気ある一分野。方鏡では普通4cm余であって、これほど極小は珍品。

参照:DK-078
● 別角度画像 → 鏡面拡大 ● 別角度画像 → 鏡面拡大

▼ DK-139 ▼ DK-140

蟠チ透かし文鏡

貼銀鳥文八稜鏡
● 時代 : 春秋晩期
● サイズ : 径 8,5cm×厚さ 0,5cm×重量 140g
● 価格 : \ 問い合わせ

いわゆる二重体鏡と呼ばれる鏡で、文様を透かして表わした板(鏡背)に無文の円板(鏡面)を嵌め込んだ形式。春秋式鏡とも言う。 蟠チの立体的打出しは精緻であって、鋳造にはない二重であることの重厚感は魅力的である。蟠チの体の模様・表情の抜けも厳しく鋭利で、状態の良好な二重体鏡は稀である。戦国〜漢時代の四虎文鏡に連なる品。三弦紐。
縁の立ち上がりも厳しく、鏡背、面共に現れる錆状態も一層の味わいを深め、小型古鏡の魅力を存分に持つ。

参照: DK-076DK-058
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 145cm×厚さ 2cm×重量 500g
● 価格 : \

海獣葡萄鏡と同一の伏獣鈕の周囲に、相対する配置で鳳凰・鳥を間に、草花を銀板上に打ち出し、金メッキを施して嵌め込んでいる。銀板の打出しも高く、表現も鋭く、且つ精緻である。宝飾背鏡は単に文様鋳造で表わしただけの単色・単調な一般の青銅鏡との比較の上からも、高級品としての地位を占めていたであろう事は容易に想定できる。鏡面の反りが強い。
こうした目を奪う色鮮やかな唐鏡は国力民生共に豊な時代であってこそ生まれたもので、唐末の動乱時代になるとすっかり影を潜めた。

参照:DK-082
● 別角度画像 → 鏡面拡大 ● 別角度画像 → 鏡面拡大

▼ DK-137 ▼ DK-138

貼銀鍍金飛鳥文鏡

武士闘獣文青銅鏡
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 9cm×厚さ 1cm×重量 220g
● 価格 : \ 問い合わせ

二態様の鳥と、間に花を4ヶ。地は極小の魚々子小円をぎっしりと銀板上に打出し、僅かに陵花とする素文鏡に嵌め込み、地だけ残し鍍金している。
華麗な宝飾背鏡は、唐代の文化の華やかさと国際性を凝縮したものと言える。
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 径 19,5cm×厚さ 0,5cm×重量 890g
● 価格 : \ 問い合わせ

鏡の裏面は中央部に三弦鈕があり、その周囲を円形の鈕座が二重に囲んでいる。周縁はヒ面で、その内側に弦文が二週巡る。花菱文状帯が囲む4ヶ所の内には武人と獣と戦う狩猟文を描く。2人の武人は肌脱ぎに裸足の様相で、右手には剣を持ち、左手には盾を持つ。その姿はまさに二匹の猛獣(虎と豹)と格闘せんとする緊張感に溢れている。武士闘獣文で地文が細かい点で表わされた鉤連雲雷文を配している品は知られるが、三階菱文は稀少。極めて抜けも良く、錆味も美を損なわない程度であって美鏡。山子文の変化形、又は省略形であった可能性もある。
中国の鏡が使いやすい四角形でなく、円形に作られてきたのは、それが単なる姿見ではなく、天や太陽の象徴物ゆえである。背面から一部割れ傷が入っているが離れてはいない。
● 別角度画像 → 鏡面拡大 ● 別角度画像 → 鏡面拡大

▼ DK-135 ▼ DK-136

青銅鏡

貼銀鍍金海獣葡萄鏡
● 時代 : 商時代後期(殷時代)
● サイズ : 径 11,5cm×厚さ 0,5cm×重量 160g
● 価格 : \

背面は飾弦紋が同心円で六周巡らされ、弦紋間は直短線が整然と突状線で並んでいる。
1976年河南省安陽殷墟婦好墓で、同類品が4件出土して、最古の鏡として知られることとなった。環紐。単純な幾何学文様が不思議な魅力を持つ。銅鏡はどんなに磨きをかけても像を写す明晰度はたいしたことはないが、ガラスを比較するものがなかった昔の人にとっては銅鏡は姿を写し容姿を整える必要を満たすものであった。稀少品。

参照:DK-115
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 11,3cm×厚さ 1,3cm×重量 540g
● 価格 : \

分厚い素文の鏡に、文様を打ち出した銀板に金メッキを施して嵌め込んでいる。
中央の紐の海獣を始め、葡萄唐草は槌で叩き銀板を伸ばして浮彫風に浮かび上がらせたもので、地には魚々子と呼ばれる小円をぎっしりと打って敷き詰めている。唐代は西アジアから流入した金銀器の製作技術が頂点を極めた時期で、本鏡はその技術が鏡に導入されたもの。銀貼鏡は平脱鏡・螺鈿鏡と共に宝飾背鏡とも称される。盛唐時代には、単なる鋳造の青銅鏡には表現できない一層の装飾性と色彩的華やかさが鏡に求められた。銀板の打出しも高く、表現も鋭く、且つ整然精緻な魚々子打、華麗な鍍金と極めて優品と言える。 肉厚である。近時「宝鶏」 近郊墓出土品。
自分の人生の何十倍もの時空を越えて現れる古美術品の中に、何か訴えかける強いものを感じるのはこのような良品に対峙したときと言える。

参照:DK-082DK-054
● 別角度画像 → 鏡面拡大 ● 別角度画像 → 鏡面拡大

▼ DK-133 ▼ DK-134

銅鍍金人物像

携帯用龕像
● 時代 : 前13世紀〜前11世紀
● サイズ : 高さ 15cm
● 価格 : \

古蜀文化。
角のような冠をかぶり、右足を曲げて膝を地面に付ける姿勢をし、両手を膝と下腹部に当てて瞑想にふける格好。 服装は前開きで、捧げるポーズをとっていると見られ、祭祀活動に参加した人々の姿を具体的に示すことが、三星堆出土の玉璋に刻まれた人物から確認されている。薄板の銅で作られ、中に土を入れ重量を増している。
黄河流域で殷王朝(BC1600〜1050年頃)が栄えていた頃、中国西南部の四川では謎の青銅器文化が密かに花開いていた。その中の一つが1986年発見された三星埋遺蹟であり、各地で多元的に青銅器文化が展開していたと知られるようになった。

地下から突如現れたこれらのユニークな青銅器は、大きく中国古代史を書き換えた。同型類品は三星堆からも、又玉製品でも知られる。本来は全体を鍍金で被っていたが、錆により、部分的な表出としている。
蜀といえば「三国志」。劉備が蜀漢の国を建設し、関羽・張飛たちが活躍した地。三星堆遺蹟のあたりは、ちょうど諸葛孔明が魏を攻略するためにとったというルート上に位置している。「三国志」の英傑たちが飛び回っていた地面の下に、貴重な古代遺跡が眠っていたという訳である。

参照:DK-124
● 時代 : 明時代
● サイズ : 高さ 10cm
● 価格 :\

開けると内部に仏像が納められている銅製の龕像で、旅の僧や信者の念持仏。 龕部は紫檀の一木彫り厨子であって、薄板の落とし蓋となって収まる。厨子の内部薄板の表には、明時代緞子が貼られており、ほぼ同時代の製作であろう。

蓋裏には
「併説造佛量度経●
出ト同ジキ●像アリ
無量寿仏
●学居士 銘 」 と墨書。

仏像はまさに宣徳銅といわれる褐色銅味。顔の部分は鍍金があったものと分かる。螺髪・冠・顔相など彫りは細微で厳しい作り。日本伝世品。
無量寿は阿弥陀と同じ名号。大乗仏教の初期から現れ、西方極楽浄土の教主として最も人気のあった大乗の理想仏。チベットでは銀製同形状の厨子の大小携帯用龕像が知られている。
● 別角度画像 → 後姿底面拡大 ● 別角度画像 → 後姿全体拡大

▼ DK-131 ▼ DK-132

銅れき

銀鍍金鳥華文薫球
● 時代 : 西周時代
● サイズ : 長さ 18cm
● 価格 : \

3本の袋状の脚に嘴状の注口。把手がついたこの形状は「れき」と呼ばれ、新石器時代の良渚文化において土器で造られている。土器も「れき」の口に水こしのフィルターがついている品が出土しており、生活器として用いられていた可能性をうかがわせている。
本品はまさに実用器として作られた品であろうが、いまだ青銅製の「れき」は初見。胴部と注口に乳頭が2ヶづつ付けられ正面から見ると鳥が口ばしを伸ばして鳴いているようにも見える。

参照 : CK-033CK-006
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 8cm×鎖長 18,5cm
● 価格 : \

身や服に香りをおびる為に携帯する香り袋に類する。内部の小皿に香を入れて焚きしめ、上部についた鎖を腰帯などに留めて使用した。内部の小皿は二重の鐶によって支持され、それらの鐶は各々独立して回転する仕組み、所謂ジャイロスコープの原理である(この原理の発明は、西方に比べ八〜九百年ばかり先んずる)。常時携行するには扱いにくい大きさであるので儀礼用に製作されたものであろう。法門寺塔基地宮から径12,8cm・径5,8cmの2種類が出土している。半球形に成形した蓋と身を蝶番によって繋げて開閉できる仕組みとし、蝶番と対称位置の蓋側面に鉤り針状の金具を付け、携行時にも蓋が開かないよう身側面の小鐶にかけて固定する。表面には唐草文を刻み、瑞鳥を上下面に四羽づつ飛び交う配置としている。鳥と口縁部・内部の小皿外面に鍍金を施す。香りが漂うための小穴を多数開けるという実用上の配慮など全体に巧みな設計がなされ、貴族層の豪奢な生活を偲べる。
類する品は正倉院にも蔵されている。
● 別角度画像 → 後面底面拡大 ● 別角度画像 → 内部全体

DK-129 DK-130

金銅観世音菩薩三尊像

青銅六博盤
● 時代 : 北斎時代
● サイズ : 長さ 15,2cm
● 価格 : \

主尊は頭に高い宝冠を戴き、面相は清秀・細面で天衣が翻り、足元にまで垂れている。
右手は施無畏印に、左手は甘露手印につくり、裸足で蓮華座に立っている。

像の背後には蓮弁文の頭火を火焔文の挙身光背、両脇には脇侍菩薩が立ち、その足元を雲気文と忍冬文が支えている。鍍金が厚くかかり、極めて美しい。

同形式で上海博物館に天保2年銘の品が知られており、北斎時代の作と知れる。中国では鍍金を”リュウ金”と言っているが、水銀アマルガムによるメッキという事。
● 時代 : 戦国〜漢時代
● サイズ : 24.8cm×19,8cm×高さ 3、5cm
● 価格 : \

漢代の貴族たちにとって最大の娯楽であった「六博」盤。青銅製で四方に白玉製の座人物が支えとなっている。上面周囲を巡って一段と高く枠が取られ、龍と菱文で連続模様が型抜きされ、四角には大きめの半球型の菱文の間には小振りな孔雀石が嵌め込まれている。
盤上は方形とTLV字形の模様が銀象嵌されており美しい。
六博は双六と将棋を合わせたようなボードゲームで戦国時代から中国全土に普及し、漢代になって爆発的に流行した。仕事も忘れ、夜に日を継いで熱中した者も多かったという。負けたものは罰として酒を飲まされることになっていたから、ゲームが進むうちに両者ともに酔いが回り、興奮し大喧嘩になることも多かったといわれる。当然死後も続けたいと思うわけで、戦国時代から漢代にかけての墳墓から、副葬品として多くは陶製・木製が出土する。漢代画像石においても、貴顕の人々が六博にうち興じる姿があらわされ、死後の世界でも最大の娯楽であった。
今では遊び方も不明となり「謎のゲーム」となってしまっている。木製・緑釉陶で相対する人物と六博盤の組合せの明器出土例は知られるが、銅製また実物使用道具の本品は初見であって貴重と思われる。
良質の白玉製、精緻な作行き、緑松石の飾り等、相当な豪族の持物であったのであろう。実用品として山東省博物館蔵に4匹の熊足の石製品が知られる。
香港著名収蔵家旧蔵品。

参考資料 :

● 別角度画像 → 側面裏面底面 ● 別角度画像 → 盤面拡大底面

DK-127 DK-128

双駝紋鍍金帯飾板 一対

青銅金青石象嵌獣面文帯鉤
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 長さ 11cm×幅 5,4cm
● 価格 : \ 問い合わせ

佇立した2頭の駱駝が向かい合う図柄の透かし彫りの帯飾板。いわゆる「動物意匠」。2頭の駱駝の間には植物のようなものが見え、その枝は駱駝の身体の上にも被さっている。枠は2本のゆるい縄目紋によって形成される。

表面は鍍金され、裏面は突出する止め具2ヶが付けられている。浮彫りと透かし彫り式の折衷形式であって類品も知られるが、本品は特に抜け・浮きが見事の作行である。人馬が使う革帯・鎧や甲などに付けられたものであろうが、こうした装飾を着けて草原の日の光のもとを駆け巡る姿はきらびやかなものであったことだろう。

参照 : DK-023
参照 : 大草原の騎馬民族 中国北方の青銅器
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 長さ 21cm
● 価格 : \

革製の帯と帯鉤が使われるようになったのは春秋時代の末のことで、馬に乗って戦い、狩りをした草原の民・胡人達の風俗が取り入れられた結果であった。馬に乗るにはズボン状の衣服が便利であり、ユーラシア大陸の北辺に広がっていた騎馬民族の間ではあまねく革帯が用いられていた。春秋時代の帯鉤は小型で簡素な実用品であったが、戦国時代も半ばになると青銅を金や銀で包み込んだり、金・銀・宝玉を象嵌したもの、さらに金・銀・玉製のものなどきらびやかに装飾され、それとともに大型になっていく。

それでもなお兵士などは実用を旨とした小鉤を着けており、大きく華美な帯鉤は高位の人達が晴れの場で着用した。本品は龍首で、眼は黒瑪瑙、全体に緑松石・金・銀で象嵌と覆い尽くす。裏面は薄銀板が嵌せられた華麗な品で損傷が全く無いのが稀少。
裏面フック上部に「東宮」の刻銘が有る。
● 別角度画像 → 裏面拡大 ● 別角度画像 → 獣面拡大刻銘
DK-125 DK-126

鍍金銅佛像

鈴付青銅刀子
● 時代 : 清朝時代(18世紀)
● サイズ : 高さ 13,5cm
● 価格 : \

いわゆるチベット仏。
厚い鍍金でおおわれた「緑救度佛母」。観世音菩薩は世の中のあらゆる所の苦難を救う為に姿を変えてこの世に現れるといわれ、チベット仏教の中で広く信仰を集めている。

左手に三宝印、右手に与願印を結び、右足を下ろして蓮台に座す。像全体の形が端正で重々しく、鋳造・彫刻技術が巧みでチベット仏の持つ独特の魅力がある優品。清王朝の統治者となった満州族は、新彊・蒙古・チベットなどの辺境地区へ版図を拡げたが緩和政策として、チベットや蒙古で盛んであったラマ教を尊崇した。なかでも乾隆帝は敬虔なラマ教徒であって宗教的活動も盛んに執り行われ紫禁城内に多数の佛堂・佛間が設けられ佛像・佛塔・法器が無数に安置された。

近年西蔵(チベット)鍍金仏の評価の高まりと中国経済向上によって値段は急上昇しており、いつも後追いの日本とならないよう注目すべき分野といえる。(北京においても西蔵文物専門店が増加している)
● 時代 : 春秋時代
● サイズ : 長さ 21cm
● 価格 : \ 問い合わせ

鈴型の柄頭。柄は刃の方にやや反る形状。鈴型の中には丸い小石が残り、良い音がするのは嬉しい。

北方騎馬民族である匈奴文化の品であって「オルドス青銅器文化」を代表する遺物。オルドスは内蒙古自治区、黄河の湾曲部を指し、フフホトを中心とする地域。この一帯は漢時代以前は匈奴を中心とする遊牧諸族の活動範囲であり、彼らが遺した青銅の器具を総称して「オルドス青銅器」あるいは「すい遠青銅器」という(すい遠は、フフホトのこと)

参照 : 「大草原の騎馬民族 - 中国北方の青銅器
DK-043
● 別角度画像 → 側面底面拡大 ● 別角度画像 → 柄頭先端拡大

DK-123 DK-124

鍍金鼎

鍍金青銅人頭像
● 時代 : 秦時代
● サイズ : 長さ 5,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

「鼎」はその象形文字。
起源は竜山文化の土器にある。殷周時代の鼎と変化し、秦秋時代中頃から蓋が伴う形となり漢代まで使用された古代中国で最も普遍的な器種。後代、鼎の器型は香炉に残る。

本品は通常大小9ケが副葬されるミニアチュア明器。両耳・足も力強く小品勿ら銅器の魅力を発する。子母口(身側に受けが造られた口づくり)に造られた蓋は大型品では突起が付けられており、逆さに置くと浅い皿となるよう造られているのが普通。鼎は素文が普通であって本品の如く前面に施される細微な古龍文様足部の鬼面等、余程の人物の明器と思われる。

何よりも純金と思える程の厚い鍍金が美しい。近時「天水」近効唐墓よりの出土品。中国全工品の魅力が堪能できる。
● 時代 : 前13世紀〜前11世紀
● サイズ : 高さ 11cm
● 価格 : \

三星堆。1986年の夏、四川省成都市の北、広漢市の三星堆において、二つの坑から巨大な青銅製仮面や、様々な形状の人頭像・王石器が大量に出土し、一躍その名を知られるようになり考古学者は唖然とし言葉を失った。

円い顔で前面に鍍金がなされ頭頂は円く、顔には頭頂にまで達する仮面を被っており、雲雷文状の大きな耳をつけ耳たぶには孔が開いている。現在発表された青銅人頭像は薄板金仮面がつけられた品がしられるが、鍍金の品は初見。
1929年以来三星堆近辺においては玉器を中心として地元民により数々の発掘品が知られており度々盗掘されてきた。
太い首の下は鋭い三角形となっており木造の構築物あるいは土で作られた身体に嵌め込んで使用された可能性がかなり高いと考えている。

中国古代の二文明地区である黄河流域と長江流域の間にある四川盆地は、土地が肥沃で物産は豊か気候も良く「天府」と呼ばれてきた。盆地の中の成都平原は、その天府の国の「宝の庫」といえ古代の蜀族はこの宝の庫の中で生活した居住民であった。夏から殷にかけての頃蜀人はすでに国を建て殷代には殷王朝との間に密接な交流があった。
4000年余前の遺物が愛玩できる幸福感は何物にも変え難い古美術愛好家だけが知る至福であって、古代中国文明の内容の豊かさには、改めて感嘆せざるを得ない。
● 別角度画像 → 内部底面拡大 ● 別角度画像 → 後面底面拡大

DK-121 DK-122

青銅矛頭

堤梁籠
● 時代 : 秦時代
● サイズ : 長さ 16,5cm
● 価格 : \

矛は槍の古名で、下部の”コウ”と呼ばれる筒部に柄を差込、突き刺すのに用いた。柄は突く折、歪みが生じないよう断面がほぼ円形であることが戈の秘と異なる。内がなく柄を内部に差し込む装着法も、突いた時、最も力が加わる方法である。

筒部には蜥蜴状の蟠龍が両面貼付している。両耳は紐で柄に結ぶ為。実用武器の持つ厳しい造形美が見事。

近時多様な古代武器が出土し、それぞれ地域差のある造型を持ち楽しい。切っ先は5.4mと「周礼」で規格されているが、実際には2.3mのものがよく使われた。

参照 : DK-064DK-091
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 18cm×高さ 20cm
● 価格 : \ 問い合わせ

銀製。
打ち出しと透彫の技法を併用し、番の鴻(大形の雁)が何組も飛び交う様と、円紋が連なったいわゆる「七宝繋ぎ」の紋様を表した手提げ式の籠。茶を容れて乾燥させるのに用いられてと考えられている。

唐代の茶葉は葉を蒸して固めた餅茶といわれるもので、それを小型の臼で挽いて使用した。円筒形の身の上にこんもりと盛り描く把手が取り付けられ、洗練された仕上がりをみせる。
「品」字を形成する3枚の花弁が足となり、それは胴体部分に溶接されている。ほぼ同形状の鍍金の品が陜西省法門寺から1987年出土している。
● 別角度画像 → 裏面底面拡大 ● 別角度画像 → 内部底面拡大

Page20 Page19 Page18 Page17 Page16 Page15 Page14 Page13 Page12 Page11
Page10 Page 9 Page 8 Page 7 Page 6 |Page 5 Page 4 Page 3 Page 2 Page 1
 

   
e-mail : info@antiques-oota.com