Page17 Page16 Page15 Page14 Page13 Page12 Page11
Page10 Page 9 |Page 8 Page 7 Page 6 Page 5 Page 4 Page 3 Page 2 Page 1
▼ DK-240 ▼ DK-241

鍍金観音菩薩像

青銅鏃矢
● 時代 : 清朝時代(18世紀)
● サイズ : 高さ 43cm×横 27cm×奥行 30cm
● 価格 : \

銅製鍍金製の楊柳観音とも言う。水辺の岩の上に安坐する姿に作られ(描かれ)水月観音・白衣観音に類する3つの観音の一つ。この尊に関する独立の径軌はない。
観音菩薩は慈悲の菩薩であり、子供を授けその名を口に唱える全てのものを恐怖から救う。心病める人間達を冷静な距離を置いて見下ろしているが、その眼差しにはセンチメンタルにならない強かさが篭められており、こうした美しい像は宋代の洗練された美的感覚により主として木彫りで造られた。緑錆と鍍金との調和も古玩味が有る。清朝乾隆時代には好まれ多く造られた形姿。
● 時代 : 秦時代
● サイズ : 長さ 57.5cm
● 価格 : \ 50,000

弩によって使用される。先端に取り付けられた鏃は二等辺三角形、竹(あるいは葦)柄には黒漆上朱塗でもって矢紋が丹念に施されており美しい。戦国時代中期に弩とともに出現しており、弩の速度に対応する強靭な鏃が要請されたのであろう。
鏃(やじり)とは矢の先端部分を言い、長さ20cm余りのものを差し込んで矢としている。
100本単位で箙(矢を入れる道具)に入れていたことが秦始皇帝兵馬俑坑の出土状況からわかっている。張騫の従者-匈奴の甘父は弓の名人で、食料が枯渇すると鳥を射・与えたというが、このような鏃矢を携えたのであろう。弩の威力は凄まじく、射程距離は200メートル。鎧も射抜く。

参照 : DK-119DK-120
● 別角度画像 → 後姿側面拡大底面 ● 別角度画像 → 拡大参考本

▼ DK-238 ▼ DK-239

海獣葡萄鏡

青銅鍍金観音像
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 厚さ 1.8cm×径 12cm×700g
● 価格 : \

最盛期の様式の海獣葡萄鏡。内外区に葡萄唐草文を配しその上に内区に5獣、外区に鳥・蝶を描く5匹は上から見た俯瞰鈕の回りを囲む鈕・葡萄唐草の葉などの表現も極めて明瞭に表現されていて、鋳上がりは鮮明かつ良好、厚みもあり重量もある上手品。表面の錆付き状況も良好。
遣唐使などにより、日本にも多くの類品がもたらされ、まだそれを倣ねた鏡も多数製作された。各種の鳥虫獣と葡萄唐草が変幻自在に絡まり、精緻で躍動感溢れる文様構成となっている。白銅製は銅・錫・鉛の化学組成であって、現代のニッケル合金の呼称の白銅とは異なる。海獣葡萄鏡は正倉院にも何面か伝わる。
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 長さ 26.5cm
● 価格 : \

左手に水瓶・右手に香壺を持つ。山吹色の鍍金に輝く。
尖頭形の光背に背の高い本尊四脚座という、縦への伸長を志向する造型。立体感のある体躯で腰を幾分右に捻り、動きが出てきている。長身で細い。
光背の火焔・顔・衣紋には鋭く鏨が入り、全体メリハリの利いた作行きで美事な像としている。台座正面の銘文は「正法永傳」、左右は花枝を線刻する。光背・台は取り外しが出来る。小金銅仏の多くは個人的な念持仏のため20cmを越える品は稀少。仏教伝来の時から現代に至るまで中国では長く仏像が作られ・拝されてきたが、盛んに造仏が行われ、信仰の熱意が示されたのは北魏から唐時代にかけての500年間であった。唐時代の仏像の形式は仏像にも人体の理想形を追求しようとしている。

参照 : DK-109
● 別角度画像 → 内部拡大本体 ● 別角度画像 → 裏・側面底面拡大

▼ DK-236 ▼ DK-237

金銅誕生釈迦如来立像

銀鍍金双蜂団華文董球
● 時代 : 明〜清時代
● サイズ : 高さ 16cm
● 価格 : \

腹掛けをし、蓮弁台上左手を上げ「天上天下唯我独尊」を唱える釈迦誕生仏。全体鍍金が施される。
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 鎖長 16.5cm×口径 13.7cm
● 価格 : \ 問い合わせ

本品は法門寺地宮後室から発見された皇室の奉納品の董球と同作品であって、この種の遺例の中では最大級の作例。大きさ故に、常時携行でなく、儀礼用。半球形に成形した蓋と身を蝶番によって撃げて開閉できる仕組みとし、蝶番と対称位置の蓋側面に釣針状の金具を付け、蓋が開かないよう身側面の小鐶にかけて固定する。表面には花文を刻んでその間に透かしを設け2匹の蜂が飛び交う団華文を10個配し、上下2個の団華文には4匹を配している。
蓋と身の口縁に唐草文を巡らし、さらに団華文と口縁部に鍍金を施す華麗な品。球と鎖の中間部は球形鈴の飾具で繋がれている。
色彩の鮮やかな対比や各種の文様の巧みな組み合わせ、また香が漂うための小孔を多数開けるという実用上の配慮など全体に巧みな設計がなされている。鎖部の作行きも丁寧である。
唐時代、蜂は海獣葡萄鏡・陶磁の文様として暫々取り上げられている。ありがたいことに中国全国規模での道路・建築開発はかってない程の珍奇品々を眠りの世から登場させ我手で出来る喜びを味あわせてくれる。近時洛陽郊外出土。
法門寺出土品の口径は、12.8cmで発表品董球では最大径。唐時代の金銀器を見るとほとんど国内製作と見られるが、唐草文様や伸びやかな動植物の図案や器の外形などに、西方の影響を嗅ぎ取ることが出来る。当時の唐人の開放性と感性のしなやかさを示すといえよう。又、金銀文化を盛んにするには金銀の量的増大も必要な条件であり、隋唐期になると周辺から金銀が流れ込むと共に国内の金銀の産出が飛躍的に高まったことも影響している。何にしても、金銀文化を受け止めた主体である上層階級の感性や意識が成金的庶民的レベルでなく、貴族趣味とも言うべき感性でもってこのような作品に結実しており、唐代物質的文化の絆といわれる、金銀器においても貴族性が大きく影響していることを示している。

参照 : DK-132
● 別角度画像 → 側・裏面拡大底面 ● 別角度画像 → 台付き拡大内部

▼ DK-234 ▼ DK-235

透彫花唐草文銀董球

青銅剣
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 長さ 17cm×球径 4.5cm
● 価格 : \ 250,000

法門寺地宮後室から発見された董球は、今のところこの種の遺例中最大 径12.8cmの品と小ぶりの径5.8cmが納められていた。小品は身や服に香を帯びるために携帯する、いわば香袋に類する器物。鎖を腰帯などに留めて使用した。花唐草を華麗に透彫としている。

参照 : DK-172
● 時代 : 春秋戦国時代早期(BC5〜4)
● サイズ : 長さ 50cm
● 価格 : \ 問い合わせ

剣は春秋戦国において車上・馬上で自分の身を守るために使用され急速に発達した。中国の戦法は古来馬車戦であり、戈や戟を操り戦うものであったが、北方の匈奴など遊牧騎馬民族との接触は騎馬戦法をもたらし、接近戦に際して剣が普及する。
国宝永青文庫蔵、、青銅金銀錯狩猟文鏡、背文様には剣を握る騎士が描写されている。莖と言われる剣柄に糸を巻いて太くし、掌にしっかり収まるようにし、木柄に挿入して使用した。両刃の中央は従といわれ、別地金の質の相違する銅が鋳継がれている。
格は鬼面文、莖の突出円形部2個には雲文、首の凹部には菱形文が囲む中央に獣面文が陽刻される。従部の他は全体美しい灰青色に変化し(参照DK-096)従部の銅色との対比が美しい。
鋒部は錫の含有量を少なくし、刃部は多くして堅強で鋭利としているのがこの時代の剣の特徴。殺傷武器でありながら高い装飾性を持ち、鞘から抜いた時の保持者の心映えが想像できる。又武器は死者を鎮魂する道具でもあり、死者と共に埋葬された。有名な越王匈践剣も同形式。青銅剣も漢代に鉄剣が流行するや次第に姿を消していった。

参照 : DK−207DK-072
● 別角度画像 → 内部拡大本体 ● 別角度画像 → 側面拡大1拡大2

▼ DK-232 ▼ DK-233

鍍金銅香炉

透木嵌銅鏡
● 時代 : 明時代
● サイズ : 高さ 6cm×横 11,5cm
● 価格 : \

短い3足。省略された鬼面に不遊環が付く。銅質は宣徳銅といわれる香炉。本来は全面鍍金が施されていた。底裏には「大明宣徳年製」と陽刻される。銀火屋は我国の誂え。
宣徳銅は銅に鉛を混ぜた合金であり、明の宣宗は宣徳3年(1428)鍛冶局を設けて諸外国の金属を集め、様々なものを鋳造した。香炉は本来仏器や聞香の器の転用であり、我国では茶席の雰囲気を崇高なものに引き上げてくれる茶道の中でも特殊な位置に置かれる
● 時代 : 戦国時代前期(BC5〜4)
● サイズ : 径 21cm×厚 0.5cm×重量 480g
● 価格 : \

無紋の銅製円盤上に、文様を表した別作りの木彫透板を嵌めこんだもの。戦国時代特有のいわゆる二重体鏡。姿を映す鏡面は錆に覆われ緩やかな凸面をなしており、自動車のバックミラー同様広い範囲が映ることとなる。背面には中央に紐を通す鈕があり、その下には柿葉文でこれは銅製。地金が残っていて本来は金色に輝いていたと知れる。柿葉文を囲んで合い向かう瑞鳥の4組8羽が連結され、外側の円形枠に繋がっている全面を装飾している。
木部分は全体が繋がる一体成形。木には黒漆が鳥の眼・体表には朱・褐色漆で細描され、外周枠には雷文繋ぎが朱色漆で施される。木の下の胴面は黒漆を塗った上に、黒円で方々描き、残面には朱漆を施している。龍が天体を動かしているという思想でもって、多くは龍文が多く、鳥文は珍しい。銅製二重体鏡は様々なバリエーションでもっての品が知られるが、木製嵌は初見。柿葉文が輝き、彩色を施した本来の状態は、すこぶる華美なものであったろうと思われる。稀少な戦国鏡初期の完好な遺品としても貴重なもの。
近時長沙郊外墓出土。
● 別角度画像 → 内部拡大底部 ● 別角度画像 → 裏面拡大

▼ DK-230 ▼ DK-231

青銅仏

貼銀鍍金12支四獣鏡
● 時代 : チベット・中国様式 17世紀
● サイズ : 高さ 23cm
● 価格 : \

精細な仕上げの明代のチベット・中国様式の金銅仏。サングアラとその神妃ヴァジュラヴァーラーヒーにおける17世紀の表現が刺激的で強烈な作品。サンヴァラは眉をよせて分怒の表情をし、激しくヴァジュラヴァーラーヒーを抱擁している。豊かな半貴石(トルコ石・赤瑪瑙)の埋め込みは絢爛である。チベットに7世紀仏教がもたらされて以来かって数千の寺院があり、その中には1万人もの僧侶がいるものもあって大いに栄えたが、文化大革命により寺院はかってない迫害・略奪に遭い、多くの美術品が失われ、又海外に流出した。
我国にあっては必ずしも正当な評価を与えられていないチベット美術は近年になって重要さが見直され、展覧・出版が行われるようになった。一般には「歓喜仏」ともいわれ、当初の宗教には陰陽の抱擁交合の仏像はなかったが、人口の増加を奨励の意で造られたという。

参照 : DK-038DK-125
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 19cm×厚さ 1cm、重量 700g
● 価格 : \

青銅で作られた円鏡。背面に鍍金した銀板を貼付した鏡。銀盤上12支と四神を叩き出し、動物文に鍍金している。外区は12支、内区は四神を明瞭に浮き出し、全身に鏨を入れ全てが生々と力強い。地は花唐草と魚子文を稠密に刻んでいる。
鈕は半球状。華やかな雰囲気に満ちた鏡背である。唐になると伝統的な円形・方形を打破し、八角形・菱形・海棠花形など多種の様式が現れた。構図も多様、制作は精巧美麗になった。唐の玄宗は常に百官に鏡を下賜したし、又銅鏡は当時の娘が必ず準備した嫁入り道具であった。唐朝の金銀器の造形や花紋は中国の伝統を継承し、またペルシャなどの芸術のスタイルも吸収しており、二者は巧みに結合して古いものの中から新しいものを編み出した。恐らく模様配置は初出資料。
四神は朱雀・白虎・玄武・青竜であり、四方を守り、12支は昼夜12時にわたり守護することを表わしている。四方の星座を動物にみたてた四神の観念は戦国〜前漢時代に成立し後漢にかけて流行した。六朝〜隋唐時代以後、朝鮮半島・日本に及んだ。初期の隋唐鏡には倣古的要素が強かったことを知らしめる例。戦国時代以来千年以上続いた鈕を中心にして同心円状に構成する鏡の文様が8世紀中葉を境として鏡背を一つの画面にみたてた絵模様に変っていく(参照:DK-201)。
四神は明日香村のキトラ古墳壁画にも描かれており(7世紀〜8世紀初)日本にも影響を与えている。

参照 : DK-095
● 別角度画像 → 後面底面拡大 ● 別角度画像 → 後側拡大

▼ DK-228 ▼ DK-229

青銅闘獣文戈

青銅矛頭
● 時代 : 西周時代
● サイズ : 高さ 11cm×横 24cm
● 価格 : \ 問い合わせ

2匹の怪獣が柄部に絡まる装飾。怪鳥が柄部を抑え頭上に怪獣が乗り、刃部を銜え込む形状。 両怪獣の体表面には鱗文を密に、刃部は輪部を取って雷紋が施される。柄部には前後に貫通する穴が穿たれ、ここに泌を固定する。怪鳥に怪獣が襲いかかる、いわゆるスキタイ民族などの動物意匠の系譜に属するもの。錆が局部表出し、白銅との対比が美しく見事。古代金工品の魅力を存分に堪能できる。白銅製であり肉厚、重量がある。長い泌は4m17cmを超えるものが取り付けられた。刃先はそれ程鋭利でないこと。大型であることから儀礼器であろう。

参照 : DK-027
● 時代 : 秦時代
● サイズ : 長さ 16,5cm
● 価格 : \ 120,000

参照 DK:121
矛は古代中国における最も普遍的な突き刺す為の攻撃用武器。 日本における槍に相当し、軍隊の標準装備として重要な役割を有していた。商代の矛は全長1,4mくらいと比較的短く混戦での使用に適し、先細りの幅広い柳葉形の刃が付く重厚な形式。「周礼」の規格によると柄の長さは歩兵で4,5m、戦車兵で5,4mであったが、身長の3倍を越すと使い物にならず、実際には2〜3mのものが良く使われた。矛は戈と同じくらいの古い伝統をもち、戦車兵の主要な装備となっていた。戦車が廃れた後でも鉄に変えて歩兵にも騎兵にも使用された。

参照 : DK-221DK-091
● 別角度画像 → 後面底面拡大 ● 別角度画像 → 後側底部拡大

▼ DK-226 ▼ DK-227

銅じこう蓋

銅平底爵
● 時代 : 西周早期(BC11〜10世紀)
● サイズ : 高さ 4,5cm×横 12cm
● 価格 : \

器身は直方体をし、蓋は獣・虎頭の品を”じこう”よ呼び、酒器(殷 商〜西周時代)キリンの角状の角を持つ奇怪な獣頭を持つ獣面の体は巻雲状の凸状模様で表現されている。四囲内側に段差を持ち、蓋としての用を備え、小型”じこう”の品とうかがえる。
”じこう”は造型と装飾に優れたものが多く、身分が特に高い人物が持つことのできた格の高い青銅器であった。勺と共に用いられたのであって、まさに現代のカレーの容器と似た形をしている。
前11世紀後半に西方に興った周族が商王朝を滅ぼし、西周王朝を立てた。西周時代初期は商の青銅器を継承したが、やがて商とは異なる青銅器文化を発展させた。西周時代の青銅器には製作の事情などを記した銘文を持つものが多く、歴史の研究に貴重な資料となっている。本品もおそらく身の内面には銘文があったでろう。長年月大切にされた伝世・銅味となっている。3000年余前の品がこんな形で残り、愛玩できることの不思議さと楽しさは中国古物愛好家冥利と言えよう。
● 時代 : 商時代前期(BC17〜15世紀)
● サイズ : 高さ 17cm×横 17cm
● 価格 : \

胴横断面が棗形をした薄手の爵。注ぎ口(流)は非常に幅が狭く、付根に立つ双柱は短く小さい。胴は中央で段を形成しており、下部が膨れている。底部は完全な平底で、底端部より3本の細い突足が伸びる。文様は胴中央の段をはさんで左右に饕餮文が施される。商代前期(二里岡期)の最も古い形式に属する。扁平なほど鋳型を作りやすかったのであろう。翼を広げて今にも飛び立とうとする鳥を連想させないでもなく、実際古い書物の中には爵の形を小鳥に喩えた記述がある。爵の用途としては酒を温めたり(底に火で焼かれた跡の残っているものもある)注いだりする以外に、杯としても使用されたのではないかとも言われており、学者や専門家の間でも意見が一致していない。古い書物の中では、爵は飲酒器であると記述されているが、いつも觚と呼ばれる青銅器と一緒に出土するのが常と言われ、觚が一つ出土すれば爵が一つ、二つ出土すれば爵も二つ、常に対になって出土すると言われる。このことから考古学者はこの二つの器には密接な関係、酒杯と徳利の関係があると考えている(又酒を温めて飲むときは勺を、温める必要のないときは觚を用いたとも考えている)。
見る人に与える安定感、作品の素晴らしい出来上がりから、かつてはこの爵が青銅器最古萌芽期の作品とは思えず、もっと早い時期の青銅器作品が他に存在するに違いないと考えられていた。もともと新石器時代以来の白陶や黒陶からなる”き” や ”か”といった酒器が青銅器に置き換わったもの。平底爵は近年の新発掘でも極めて少なく世界の収蔵家・美術館渇望の品。
香港著名銅器収蔵家旧蔵。支え飾り台付き。

参照 : DK-051
● 別角度画像 → 正面底面参考本 ● 別角度画像 → 裏側拡大1拡大2

▼ DK-224 ▼ DK-225

銅扁壷

青銅鍍金菩薩立像
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 高さ 15cm
● 価格 : \

春秋末期から戦国期にかけて発達した壷類の一種にあたる扁壷は、扁平な楕円形の器身を持つ。北方騎馬民族の水筒から形を写した可能性があると考えられ、それまでの青銅器の伝統的な器形とは趣を異にする。漢代に入ると無文化して器身も低くなり退化するが、本例は器表に凸文で3区に分けられた下段から狩猟文・刑罰文・演楽文・生活文と所狭し生き生きと表現され、この時期の生活を知る資料として極めて貴重と言える。商から西周までの青銅器は、獣面や龍、鳳などの文様が多いが、戦国になるとこうした写実的な文様が登場する。

参照 : DK-014
● 時代 : 北魏太和3年(AD479)
● サイズ : 高さ 18,5cm
● 価格 : \

像も光背も非常に厚い造りで、古様を残した作風を持つ像。光背から像が凸出して丸彫に近い態様。大きな宝冠をあらわし、彫刻的なはりを見せる面長の頭部、鋳造後の彫はさらえて線描によって光背の火焔が刻み出されている。両手は天衣の端をとり、衣も身つきも柔らかくまとまっている。太和初期の特徴である鏨の彫りの強さ・彫刻の冴え・刻線の精繊と優れた作風を持ち、厚い鍍金が目を射る美しさの優品である。
「太和三年佛第子尹二為七世先亡後為一切衆生離苦得楽敬造真身菩薩壷躯」。
四脚座の左右に「和家供養」「永保平安」縦罫を引いて刻まれている。
太和期(477〜499)北魏初期の金銅仏の遺品として極めて貴重。六朝仏の典範ともいうべき黄色にかがやく。
● 別角度画像 → 後面底面拡大 ● 別角度画像 → 後側全体文字部

▼ DK-222 ▼ DK-223

銀鍍金唐草鴛鴦文貝型盒

六角銀塔
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 3cm×横 7,5cm×奥行 7cm
● 価格 : \

唐時代には、我国で練り薬を入れて家々にあったような蛤の殻を利用した盒がある。漆による装飾を加えたものであるが、これはその形を銀器に写した一例。円盒・八花形盒に比べると極めて数は少ないもの。当時は流行りの器形であったのであろう。脂粉を容れて箱中に収めた女性の用具。細かい魚子地に宝相華文と鳥を打ち出しで表わしたいかにも唐らしい意匠。合わせ目で連接して開閉できるように作られている。樹枝に止まる双鳥と瑞獣が表わされ、鍍金により婦好の装身具に相応しい華やかさが巧みに演出されている。

参照 : DK-193
● 時代 : 遼時代
● サイズ : 高さ 56cm
● 価格 : \ 問い合わせ

銀板を加工して各部を作り、それらを組み立てて全体を形作る6角2層の宝塔。2層には仏坐像を正面に置き、後面にも同様他の4面には刀を持つ武人を2面に、琵琶を持つ武人と宝塔を持つ武人を1面づつに線刻している。各層に庇状の屋根を取り付け、欄干を巡らせ、下の基台は鬼面の打出しで6面を飾っている。庇状の屋根の先端には上部に花形の飾り、下には風鐸を下げている(3ヶ紛失)。基壇の六隅に6ヶ2層の仏坐像、左右には6ヶ、武人像左右には4ヶ、頂上・相輪部には上下3ヶづつの緑色玉を基台鬼面上部に2ヶづつ計12ヶの珊瑚玉を嵌め込んでいる。2層の武人左右には7〜8ヶの真珠玉を繋げ、相輪部にも3本の連結した真珠玉輪を飾っている。頂上部と相輪部、1層・2層と外せる構成で、外した1層・2層の台上に天珠玉を差し込む構造である。昔よりチベットでは天主を神様の化身として邪気を払い、幸福・病気・災害から身を守る玉として珍重しているが、天珠玉がこのような使われ方をしているのは初見であり(舎利のつもりであろう)資料的にも貴重な仏教遺物と言える。2層の6面全てに花唐草と魚子文がびっしりと刻されている(魚子文様の技術はペルシャ独特のものであった)。鍍金で被われた外観には金銀器ならではの華やかな趣が漂っている。底裏には8行46文字の銘文が刻される。
このような仏塔は、宋時代を中心に仏や先祖への供養あるいは功徳を積むため当時奉納品として好まれていたと考えられる。同様品は定州市の仏塔跡地下室に安置されていた石函の中から発見されているが、これ程の玉・珊瑚等でもって装飾を施された品は見ない(類品は2004年、東京国立博物館 中国国宝展に出品された)。記録によればこのような霊塔の風鐸の音が風の強いに日は遥か遠くからも聞こえ、又塔頂の宝珠や屋根の部分の鍍金が陽光に反射して放った光が遠方からも望まれたとある。内モンゴル赤峰市に、1049年完成の遼時代 釈迦仏舎利塔が残るが同形式。

参照 : ZK-022
● 別角度画像 → 裏面内側外側拡大 ● 別角度画像 → 裏側分割拡大底面

▼ DK-220 ▼ DK-221

子母銅印

青銅矛頭
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 母印/ 高さ2,2cm×印面1,8cm角
: 子印/ 高さ 2cm×印面1,1cm角
● 価格 : \

子母印であり、合体すると亀鈕になるが、単体の子印は水鳥の鈕とする珍品。天空を見据えた顔の表情、亀甲の刻みは印面の深い彫りと共に力強く精緻で魅力的な印としている。私印であって2人の名前であり、夫婦・友人か。
印面母印は「趙邑桓」、子印は「李吉」。
秦の中国統一に伴ない、「璽」字は皇帝の専用となり、その他の公私に用いられるものは「印」と改称された。漢代では諸侯王の印象も「璽」と呼ばれるようになり、官印に始めて「章」「印章」の呼名が生れた。先秦・秦・漢の印にはみな佩帯用の印鈕がつき、封泥の刻印に用いた。字の部分を彫り去り、文字部分を凸状とした印章文字は陽文・朱文という。
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 長さ 18cm

● 価格 : \ 問い合わせ

2〜3mの柄を差し込んで使用する。差込口は菱形形状、本来矛は槍の古名。両刃には龍が銀象嵌され、中間部は鬼面、基部には縄文文様、間は菱形文が施される華麗な品であるが、うち続く戦乱の経験の中から実践的な効果を目指して鋭利に整えている。
柄には撓むように木、又は竹を用い端にバランス上鐓(石突)をつける。 矛は弥生後期、日本でも鋳造されるようになるが扁平・大型で刃もなく実用に耐えない象徴的な武器である。

参照 : DK-064DK-091DK-121
● 別角度画像 → 分割印面印影 ● 別角度画像 → 裏側拡大

▼ DK-218 ▼ DK-219

獅子銅香炉

青銅三尊仏坐像
● 時代 : 明時代
● サイズ : 高さ 12cm×横 17,5cm
● 価格 : \

蓋鈕は房を垂らした宝珠。蓋に雲文で4ヶ所開孔、炉胎は長楕円形とし、左右を獅子が立ち抱え支える特異な形状をする香炉。獅子の体の一部、宝珠に鍍金が施される。普通獅子は同方向を向いており、従って前後があるが、本品は前後逆向きでもって2匹が支えていること、蝋付けでなく鋳造であるのも珍しい。炉体裏に三文字の銘文が刻されるが判読不能。長年使い経た宣徳銅といわれる銅味は魅力的であり、相当な寺院で使われたものであろう。日本伝世品。
● 時代 : 北斉時代
● サイズ : 高さ 8,3cm
● 価格 : \

蓮座上に船形光背を後にした三仏が並座する。小仏ゆえの省略・青銅を刻むぎこちなさが相まって、たくまぬ優しさと親しみやすさが漂っている。こうした雰囲気が威力と慈悲を表わす大像とは別に仏を信じる庶人にとって好まれたことは、日本近世の例と同様であろう。光背には四行に渡る年号・銘文が刻されるが明確には解読できない(河清二年四月二十一日 宝敬観世音佛一躯)。
二仏並坐(参照:DK-044)の偏袒右肩で禅定印を結ぶ形式と同様。二仏並座に比べ三仏並座は稀少。
DK-044同様古くから日本に将来された品。収蔵家による木台が誂えてあり、深い伝世味古銅の味わいも良く、慈しんだ先人の眼の高さは賞賛に値する。
● 別角度画像 → 内部底部拡大 ● 別角度画像 → 裏側底面木台付裏拡大

▼ DK-216 ▼ DK-217

銀鍍金双鳥文盒

鍍金銀温酒尊
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 1,2cm×横 5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

盒は今の日本では普通「合」または「合子」と表記し、蓋を備え、蓋と身がおよそ同形になる容器をさす。中国では古くから用いられた伝統的な機種の一つで、唐代には金銀・青銅・漆木・陶磁など、種々の素材によって円形・方形・菱形・花形・貝型といった大小様々なものが製作された。貴重品や嗜好品、食料、更に化粧料などを収め、時には薬入れともなる。
上面は双鳥を打出し唐草を鏨彫り、地は魚子で側面は斜線文様を刻し、内を魚子で装飾し、部分的に鍍金を施している。薄造りであって、唐代晩期の作品。銀器の遺品は貴族層を中心に日常の様々の場面で用いられたもの。魚子打ちが極めて見事に整然と打たれており、上手品。
● 時代 : 前漢時代(BC1〜AO1)
● サイズ : 高さ 15cm×横 17cm
● 価格 : \

前漢時代の主要な器形の一つ。縁・褐釉陶や彩画陶としても盛んに作られた。従来鏡などの粧具類を収める容器、「れん」と呼ばれた器形であるが、同種の器の銘文により、このような器が「温酒尊」(樽)と呼ばれたことが知られ、元来は酒を温めるための器であった。三足は火にかけるために付けられたものであり、その小ささからすれば炭火を入れた炉が用いられたのであろう。客に供する時は火から下ろし、承盤にのせて出され、勺が添えられた。その様子は画像石などの描写にも見受けられる。酒ばかりでなく、羹を容れて供されることもあった。漢代の鍍金は金・銀アマルガムが用いられ、金のみを塗る場合、銀を下地としてその上に金を塗る場合、更に金銀アマルガムを用いて文様を描く場合があり、この尊の外側には先ず鏨による点線で雲気文と魚文を表わし、その上に銀を全面に塗り、更に必要部分のみを残して金を塗って仕上げるという方法がとられている。胴両側には遊環付きの鬼面が、蓋部にも四葉文上に遊環が付けられている。胴部は三段の帯、蓋部には二重圏の帯が鍍金され、鍍金銀という装飾法が華麗な効果を上げている。相当貴族の備品であったと知れる。
近時洛陽郊外墓出土であり、土錆に被われた状態で収蔵。除去を進めるうちに美しい状態があらわれた。大きな承盤が添う出土例もある。
※羹とは五味で調味した肉類、あるいは野菜のスープ。

DK-195DK-196DK-069 と同墓より出土。
● 別角度画像 → 内側外側拡大 ● 別角度画像 → 裏側内部底面拡大

▼ DK-214 ▼ DK-215

青銅方鼎

銅鐘
● 時代 : 西周時代初(BC11〜10世紀)
● サイズ : 高さ 21,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

鼎は円器、三足で口縁に把手が二つ立てられるのが古い器制で遺品も多いが、このように方器に四足が付く例があり、有名な安陽武官村出土の司母戊鼎のように1,37mの高さという大器もある。方鼎は通常一対で使われていた。
各面に二匹の龍文一対が縁下部に配されて主文となり、足の上部も饕餮面が見え文様は全て浮彫風の凸文となっている。厚い器胎・がっしりと太い耳・太く短い四足と各面の稜飾など極めて構築的な一器。後世、青銅器が鑑賞される一つの要素として三千年、土中にある間に形成される錆の色がある。濃緑の錆が前面に生じ掘り出されたままの印象を残し美しい肌である。内側面に3文字の銘が陰文で見られる(恐らく持ち主の名)。鼎は数多い青銅器の中で最も格の高い神器であって、天地を祀り、祖先の霊を拝する時に用いる礼器として常に祖廟の一角に置かれた。祖廟に安置する鼎は天子が9、諸侯が7、大夫が5、一般の士は1と定められていた。「天円地方」と言うように、円は天を、方形は地を意味した。
鼎は帝位の象徴でもあったことから故事「鼎の軽重を問う」とは「相手の実力や内情を見透かして、その弱みに付け入る」と言う意味に用いられるようになった。
今迄に発見された一番大きな青銅器は同器形の司母戊鼎で、 高さ1.33メートル×長さ1.1メートル×幅78セ ンチ、重量833Kg。
● 時代 : 西周後期
● サイズ : 高さ 13cm
● 価格 : \

本来9〜64個程度で構成される編鐘の一つ。大きさの違ういくつかの鐘を順に並べ吊るしたのが編鐘。篆と鉦の区画は凹線で表わされ、、文様は甬部に環帯文・その下の幹と篆間に曲文、鼓には一対の象鼻ち文、舞上に凹線で巻雲文を配している。文様の輪郭はいずれもシャープに鋳出されており、形も良く整った優品。
殷や周の時代、祖先や神々をまつる祭祀や賓客を迎えての宴会の折りには、必ず音楽が演奏され「鐘」は楽隊の中でも最も重要な役割を持つ楽器の一つであった。吊り下げの突起部を「甬」環を通す半円部を「旋」胴部の突起を「枚」、鳴らす部分を「鼓」と名称が付けられている。青銅は銅と錫を混ぜた合金であり、二種類以上の金属を混ぜて新たに合金を作ることは人類にとって大発明であった。合金は元の金属には無い特徴を持つからである。青銅はすでに殷代からあったが周の青銅器は圧倒的であるため、周代を青銅器時代とも呼び青銅器の豊富さは驚く程である。寸法から編鐘の最後の方の一つと考えられ、愛玩寸法であること、小品ながら中国古代金工の魅力を存分に味あわせてくれることが嬉しい。下辺が内湾したものを鐘、一直線になったものをハクと呼び分け、鐘は更に吊手が棒状になった甬鐘とコ字形把手になった鈕鐘に区分けしている。甬鐘は西周前期に出現し、戦国前期までハクは春秋中期に出現し、戦国前期まで製作された。
※ 香港著名銅器収蔵家旧蔵品であり、飾台・撞木付

参照 : DK-029安徴省博物館名品展カタログ
● 別角度画像 → 後面文字部拡大 ● 別角度画像 → 単体裏側拡大

▼ DK-212 ▼ DK-213

青銅金銀青石瑪瑙象嵌熊鎮

子母銀印
● 時代 : 戦国〜漢時代
● サイズ : 高さ 3,8cm×横 6cm
● 価格 : \

漢時代の大墓には葬礼の明器・種々の人像・生活器具に混じって、熊・虎・駱駝・怪鳥等を象った小品がある。材質は主に青銅であるが、白玉の遺品もある。古来この形態の副葬品は、袖鎮あるいは袖押さえ、墓鎮とも呼ばれていた。学術的な発掘がなされる前、墓室内での初見によっての呼称と思われ、何か布状のものの上に置かれていたのではないかと考えられる。前方を見据え咆哮する熊であり、毛並みを金銀象嵌、眼を主として黒瑪瑙、他にトルコ石・赤瑪瑙を象嵌する。金象嵌と嵌玉の色彩が美しく技巧的にも優れた逸品。貴石象嵌の品は泉屋博古館蔵「角端鎮子」が我国で知られる逸品であり、多くは金銀象嵌の遺品が殆どであり、稀少なもの。
熊は博山の三中、鏡背の文様、画像石・器脚など漢代文物の所々に意匠され、龍・鳳・虎に次いで重んじられた神聖と辟邪の意味があったのであろう。
● 時代 : 後漢時代
● サイズ : 高さ 1,5cm:母印1,8cm角、子印1,5cm角
● 価格 : \

瓦鈕。合金の白銅印。入子式に2ヶの印を伴うのを子母印、3ヶの印を子母孫印と呼んでおり存外少ない。このような印の設計は実用的・経済的・且つ美しく、古代の作者の知恵を伺うことができる。
印面は母印「寿髞V印」 で白文、子印は「寿驕vで朱文。私印。
印面は深く鋭く仕上げられており、当時の最高の技術を表わしている。手慣れた味であり相当年伝世しており、風格が抜きん出て力強く佳品であって、古印の魅力を充分に発揮している。戦国秦漢の古印は芸術性豊かな最高の古典であるばかりでなく、当時の書法・文字・官制・地理・史学・姓韻などの様々な分野に及ぶ広範囲な研究資料で、その一大宝庫と言うべきもの。故宮には乾隆帝が収集した古銅印(漢代〜明代に至る官私印)1295個が知られるが、1926年博物院は印譜26部作っただけのため現在入手不可能となっており詳細不明。
● 別角度画像 → 側面後側底面拡大 ● 別角度画像 → 印面印影分割

      Page17 Page16 Page15 Page14 Page13 Page12 Page11
Page10 Page 9 |Page 8 Page 7 Page 6 Page 5 Page 4 Page 3 Page 2 Page 1
 

 e-mail : info@antiques-oota.com