DK-341 青銅立人像
時代:前13世紀〜前11世紀 、サイズ:高さ 49.5cm×横 8cm
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古蜀・三星堆文化。
現在では祭りのポーズと考えられている蜀の立人像。人物・台座・怪物・台形の土台からなる顔の形は三星堆出土の人頭像と同じで、その冠の上部は蓮の花のような形をしている。大地に聳える姿からは、この頂点の冠は天を象徴しているのであろう。襟首は後方の方が深いV時であり、人頭像の前後のV字の首の形と同じ。(ここからも残されていない人頭像(参照:DK-124)の下半身は立人像のような身体部分が何らかの形で作られていたことがわかる)。

服装は笛袖の長衣と半袖の上着を重ね着している。下半身の長衣の形は燕尾服のように後の丈が長く、巻き込んでいるのではなく前後で重ね合わせたものになっている。上着も右側面に切れ目があり、頭から被る動きやすい機能的なものといえる。模様は線刻で細かに施されている。装飾のバンドのようなものを肩から袈裟懸けにしている。足首にもバンドを嵌めている。両腕部分の模様は浮彫りに表現されており、服の模様であるのか刺青であろうか。手首には三重のブレスレットを嵌めている。人物が素足で立つ台座は四頭のばんちにも似た怪物の角が支える。
左右の掌は指を丸く結び、一見すると上下斜めに何か棒状のものを握っているようだが、穴の位置は平行でなくずれており指で輪を結ぶ動作は祭祀の時の舞踏のポーズと考えられている。指全体の円形は人物の頭や胴回りにも匹敵し、異様な大きさといえる。人物の胴体部分は円形ではなく五角形のように角張っている。背中部分も四角い形になっていることから、これも実際の人間とはかけ離れている事を示していよう。このような神官の立人像の周りで三星堆の蜀の人々がどのような祭りを行っていたのだろう(1986年広漢市三星堆から出土の同形品は高さ262cm、重量180kgも有る)。着物を左前にまとい、長い髪を後に垂らしているところは「蜀王本紀」に書かれた古蜀人の装束そのもの。

北方を流れる黄河の中・下流域の中原が中国文明の源であり、長江にはこれに匹敵する古代文明はないと考えられていたので、長江上流の三星堆遺跡から高度な技術力を駆使した3000年も前の青銅器が出土したことは従来の古代史定説を覆した。
成都の著名三星堆文物収蔵家旧蔵品であり、数年がかりの懇請によりDK-316 と共に入手。

参照 : GK-442










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