磁州窯は河南省から河北省にかけて、北宋時代に白掻落し透明釉のやきものを焼いて特色を発揮したが、遅れて金時代から元時代に掛かる時期に山西省においては黒釉自体を掻落し、粗悪な素地との対比で文様を浮き上がらせるという黒釉掻落が再び流行し始めた。この時期はむしろ作陶が再び力を増してくる時期にもあたっており、黒釉掻落しの作品には元時代らしい雄輝なデザイン表現がうかがわれる。窓をとり、その中に童子が蓮花の中で遊ぶ図柄を、平面肩部には大柄な蓮弁文・七宝繋ぎ文を施している。蓮には良縁を祝詞、子孫繁栄を願う意味があり、青花の荷を転じた和(荷は和と音通)と童子の子をとって「子孫和合」 或いは引き続き子供に恵まれることを意味する「連生貴子」を寓意し、当時流行した模様。
参照本 : 平凡社版 中国の陶磁E 天目」 |