越州窯。
見込みには尾を長く引いた相向かう鳳凰とも鸚鵡とも取れる鳥が宝珠の周りを巡り、口縁内には雲文をそれぞれ線刻で細かく繊細に施し、裏面は大きく三重迎蓮弁浮文で飾る(盛唐以来の金銀器の打ち出しや鏨彫りに倣っての事)。
高台内は長方形状5ヶの目跡があり、中央に「千」の文字の印刻。細密に洗練された胎土であることにより、釉は滑らかにとけたいわゆる秘色釉であり、深い味わいを持つ。殷代以来連綿と続いてきた灰釉が最後に辿り着いた極致の色合いである。薄造りであって軽量。
越州窯系の器は早くは殷時代から淅江省で生産されて、中国南部の窯形式である登窯で還元炎を用いて焼成された。同手品として、繭山順吉氏が「欧米蒐集中国陶磁図録」で紹介の英国デビッド財団蔵
径17,9cmが著名であり(本品は一段と美品)鳳凰文の線刻としては、米国メトロポリタン美術館蔵の水注が知られる(参照:CW-024)。線刻鳳凰文は12世紀前半朝鮮にも影響を与え高麗青磁にも鳳凰線文碗の類品が知られる。古来越州窯の名声は極めて高いにもかかわらず、多嘴壷・長頸瓶など特殊な器種を除くと、不思議と遺品には恵まれず、歴史の謎が秘められているが、この鉢はそうした状況の中にあって重要な資料である。凛と響く造型には北宋11世紀の越州窯の特色が良く示されており、越州窯の傑作。近時杭州郊外墓よりの出土品で、競争業者を差し置いて入手、日本へ運べた喜びは大きい。
五代の呉越王銭氏が越州の磁業に手厚い保護を加えたということは良く知られているが、あるいは王室の銀器などを参考に供したこともあったでろう。その結果としてこういう精作が現れた。この段階に於いて、白磁に先行されていた越州青磁は、殆ど無文の器しか作らなかった白磁を逆にリードする地歩に立ったといえる。 |