首をかしげ静止する馬。鞍を置き、体躯を杏葉と呼ぶ飾りをつけた馬絡で飾っている。鬣を綺麗に三花飾に刈り込んである(髪型にもファッションがあった)。鞍は白釉上に褐釉・緑釉を流し掛けし、全体に美しく藍釉を施している。
中央アジア辺りに産する馬は血の汗を流しながら走る「汗血馬」といわれ貴重とされ重要視された。漢武帝が西域の汗血馬を入手するため李広利将軍を派遣して以来、良馬は歴代の上流階層の富貴のシンボルであった。実用に使用された馬を写したことはいうまでもないが儀仗用の姿を示しているのであろう。唐代の人々の馬に注いだ思いが結実した姿。唐三彩馬には汗血馬と、ずんぐりな東アジアの馬とがある。
小品馬でもってこれ程手の込んだ生気に満ち溢れた精微な作行きの三彩馬は極めて稀少なものであり、一段と貴重な藍釉を使っている事も高級豪族の明器と知れる。又台底裏には「大唐貞観」の印刻がなされているのも(AD627〜649)制作年代が明確な資料で価値大である。627年太宗として即位した李世民は22年間在位したが、彼は後代の人から理想的君主としてその英傑さを称えられその治世は治めた元号の貞観を取って「貞観の治」と言われその後の皇帝の模範となった。太宗と臣下との問答を記した「貞観政要」は、日本でも戦国、江戸時代英雄藩主の間で読まれ政治に生かされたほどであった。その豊かな唐時代の経済生活を偲ばせる。
※鬣を綺麗に切り揃えそのうち長いまま3ヶ所を残し、それぞれに束ねる。これを「三花」と称し、三花飾の馬は当時の宮廷や貴族の間で流行した。近時洛陽郊外墓より相当数の三彩・銀製品等が出土の内。 |