| 時代: 唐時代 、サイズ: 高さ 15cm×横19,5cm |
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藍彩の衣装は白抜き、両肩からつながる領巾というショールは褐釉、両髷は茶褐色の加彩、髪・眼・眉は墨彩、口には朱彩が施される。座して腰鼓を打つ。数体有ったであろう奏楽者セットの一つ。
俑は唐墓の墓室を華やかに演出するためになくてはならないものであって、必要な三彩の明器は貴族・官僚の死にあたって官から下賜されたと考えられている。しかし王陵墓においても、三彩俑は騎馬俑・文官・武官・女官・動物等がほとんどの副葬品であり、楽人俑が入れられている事は稀少である。唐女子の鬢は多種形状有り、双髷をつくっているのは童女をあらわしており、顔つきも初々しく豊満であり唐美人の典型的顔(唐時代の女性の髪型には様々なものがあり、一人一人が異なる髪形であって唐美人俑にみることができる)。裏面には荒々しい手作りの跡が見られる。楽人俑は加彩が多く三彩は稀少。
今から1200年余前(我国では天平時代)、やっと全国に国郡制が布かれたばかりの唐代には4〜5千万人以上の人口を持っていたというのであるから大唐帝国の名に相応しい大国であった。そして大国の首都は洛陽と長安であり、長安の人口は百万以上であったといわれている。ここには天子が住みこれをとりまく貴族・官僚が住んでいたわけでここに集中して発見される唐三彩は彼らに奉仕するために作られた器物に他ならない。長安の人々は春の訪れとともに、牡丹の花などを求めて屋外へと繰り出す。宴を張り歌舞・音曲に酒食を伴ない賑やかに催された。胡姫のダンスにあわせて玄宗自ら羯鼓を打ち、楊貴妃が琵琶を、玄宗の兄が玉笛を奏したという伝をみても、この時代の楽舞がいかに盛んだったかと知ることができる。6人以上の楽人と2人以上の舞人とのセットで出土することが暫々であり、その中の一つ。 |




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