乾瓦窯。
遼は契丹族が北地から侵入して出来た王朝であるが、忠実に唐文化を摂取しようとしたようで、工芸遺品にその跡がうかがえる。陶磁における三彩印花器・鋳かえした海獣葡萄文鏡、それに銀器等は中原や江南に建てられた五代の諸国を凌いで唐風を踏襲している。三彩という釉法もさることながら、稜花形の器形や印花で表される華文は、唐末10世紀の銀器の影響を強く受けて成り立っている。恐らく同様の銀器が製作され、その模器としての遼三彩器であろうが、正確に唐風を写した部分遼が有した地方性、それに五代諸国が共有した宋風への傾向などが混在している。牡丹文や中央の捻じ花の芯にあたる部分の花文や牡丹の葉の脈を克明に表した描写は唐末の形式を残している。10世紀初頭唐王朝が崩壊し、中国は五代十国という南北朝分裂時代に入った。それと同時に万里の長城以北に遊牧民の契丹人による帝国・遼が形成された。 |