戦国時代になってこの形「羽觴」「耳杯」と通称された飯器が広く使われる事となり、唐時代まで継承された。玉・ガラス・漆・銀・銅・陶とあらゆる材質の品が作られる。緑釉をかけた耳杯は明器であって、所有物の代替品として副葬された。 戦国から漢時代にかけての数々の耳杯の遺例・種類の多さから、いかにこの器が当時の生活と密着し・普及したものであったかという事を物語っている。微妙に変化する銀化と緑との対比が美しい。 觴とは「さかずき」のことで、雀の形を写したところからきた名称と言われ、耳は羽と言うことになるが、これは酒杯を飛ばす、つまり「やりとり」をする義に起因する。
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