近時中国墓より出土という勾玉(数点出土という)。
縄文時代から古墳時代に生産された我国の勾玉は、朝鮮や中国に運ばれていた。邪馬台国が卑弥呼の死後、248年に三国時代の魏に遣使し、「青大勾玉」二枚を贈ったのはその一例。勾玉の中国での公式出土例報告は少ないが、韓国新羅・加耶では翡翠勾玉が使用され、数的に集中をみるのは新羅・百済の墳墓出土品である。翡翠製品が倭国の特産品として韓国・中国へと渡っていたと知れる。本品が残念ながらどのような状況での出土か、時代・出土地が明確ではない。何にしても日本から1700年余前中国に伝わり又戻るという不思議な縁といえる。僅かに白濁模様を有する極めて良質の美しい翡翠であるが、表面の時代擦れ・経年変化穴の削孔状況より時代の確認は明確にできる。
そもそも緑色をした玉(翡翠・碧玉)には植物にたとえ、生命力や霊力が宿っているとされ神聖視された。玉には硬玉(ジェダイト)と軟玉(ネフライト)の二種類があり、中国古代の玉はもっぱら軟玉で中央アジアのホータンからもたらされて「崑崙の玉」と呼ばれた。翡翠勾玉は普通せいぜい1〜2cm程の品が多く、本品のような大型品でかつ良質品は稀少。かって10数個の中国出土という翡翠勾玉を入手したこともあり、中国考古書には漢時代墓の中で時々見つかると書かれている。中国の奥深さを知らしめる例であろう。
※朝鮮にも翡翠は産出し、朝鮮独自に発達したという意見もある。
※普通の勾玉より孔が極めて小さい。
※日本人はとろりと溶けるような緑色をした半透明の品を琅カンと呼び賞美している。
参照 : GK-173 、 GK-161 、 GK-208 |