GK-185 龍文玉壁
時代: 戦国〜前漢時代 、サイズ: 径 32cm ×厚 0.6cm
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中心部には渦文が刻まれ、その周囲には龍文が表される。円盤形の壁を縄状の圏線で内区と外区に分け、内区に渦文、外区に龍文を施している。表裏両面とも同じ文様を刻んでいる。礼制を整え始めた諸侯の威力を背景にした産物といえよう。圧倒的迫力を有すこれ程の玉壁を入手できることは夢のようなことである。中国の一級文物で知られる漢時代の「銅飛馬」が出土した事で有名な「武威」(青海省)で近時出土。

壁は漢代には装身具として腰間に帯び装飾品として室内に掛け水祭り火祭りの祭祀で使われ魔除の副葬品として墓中に入れた。あるものは死者の胸部や背部に置かれ、あるものは棺と槨との中間に置かれ、また棺の外側に装飾として嵌め込まれたりもした。権威の象徴として欠くことのできないものであった。漢代玉器の製作水準の高さを物語る。当時発掘献上された玉壁・黄を乾隆帝は好んで研屏仕立てとした品が台北故宮博物院に蔵される。

茶褐色の玉質。粟粒状の文様には婚礼あるいは難事解決の吉祥文としての意味が秘められていた。元来龍その他の動物文に施された渦文の変化したもので、粟粒というより小さな渦文に近い形を呈するものの多いのはこうした変化を示すもの。日本においては中国古玉の列品展示をする美術館は無く書籍も出版されずで、これでは中国玉の真髄を知る眼も養えないのが残念。台湾故宮博物院、上海博物館には玉展示室も設けられ古玉の素晴らしさを知らせてくれる。

現在発表され知られる最大龍文玉壁は33.4cm。前漢時代の南越王墓の玉衣の下には5ヶの木棺上部にも3ヶの大型玉壁が置かれていた。戦国時代、秦国が趙国に対し秦の15城と趙が宝としていた玉壁(和氏の壁)を交換しようと持ちかけた話が伝えられるがどんな玉壁であったろうか?

参照 : GK-025






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