鴟きょう形の銅器は近年発掘の殷虚婦好墓出土の大型鴟きょう尊を初めとして、商代後期に時折みられる。しかし西周時代以降は殆ど例が無く、前漢時代になると灰陶の鴟きょう形容器が再び現れる。あるいはフクロウについての観念の変化を反映しているのかもしれない。殷周時代青銅は「金」と呼ばれ、黄金と同じように貴重な金属であり、王や貴族以外は所有することができなかった。
殷王朝では貴族のみならず庶民達も酒に溺れていたと考えていた。周初のことを記した「書経」の「酒詰」の中で、周公は殷の庶民は大挙して酒を飲み、その酒の匂いが天にまで届いていたので、天は殷王朝を滅ぼすようにと天命を下したのだといっているほど。
参照 : DK-536 |