DK-462 青銅象尊
時代:西周前期(前11世紀) 、サイズ:高さ 28.5cm×横 35cm×奥行 17.5cm、重量 3.5kg
価格: \

逞しい象の姿を表わした酒を蓄える容器の尊。尊の用途は酒注や酒を蓄えて神前に供える用途。頭部から背にかけてが蓋となる。象を良く知るものでなければなしえない見事な表現であり、両耳はぴんと立ち、大きな目・広がった鼻、背上鈕に鳥が形成され、象文・き文・饕餮文が雷文地の器面を装飾している。尻尾の基にも獣面が飾られる。
饕餮文を器の最も目立つ位置に怪獣の顔面を大きく表現することは、商時代から西周時代前半にかけて流行した(近年中国では獣面文と呼んでいる)。青銅器の最も目立つ部分を飾るので、この時期一番格の高い重要文様であったと考えられ、天の最高神を表した文様とか最高神の使者を表した文様といわれる。現在、象尊は幾種類か知られるが、恐らく初資料の形態。

周王朝の周公や太保召公などのような周初の重臣の領地はみな周原一帯にあり、彼らの一族や子孫も多くこの地に住んでいたが、西周末年、西周が大戎によって滅ぼされると多くの王臣は逃げ出し、周王室の洛陽への東遷に付き従って一族の宋廟の青銅重器を持ちだせず、居住地付近の穴蔵に埋めた。しかし彼らは洛陽到着後、故郷に戻って穴蔵を掘り返す機会を得ず、青銅器は長く地下に埋もれたままとなったが、漢朝以来とりわけここ数十年来、ここで発見調査された穴蔵だけで数十箇所、出土総数は数千点以上といわれる。しかしいまだ日々穴蔵から盗掘され、こうした稀品も出現する嬉しい状況。一部黄色味がかった青銅の地金が見て取れる。優れた造形と怪異な装飾が組み合わさった古代中国青銅器中の屈指の名品。
当時、南方のみならず黄河流域にも象が生息していた。文献の中に「殷人は象を服す」(呂氏春秋)という記載があるが、「象を服す」とはゾウを飼いならして養殖していたこと。

参照 : GK-538
参照本 : 象尊興犠尊 、 中国製銅器全集 商C










← 銅製品のページへ戻る