青銅器は、新石器時代後期には中国西北部を中心に華北各地に現れるが、青銅の容器が作られ始めるのは二里頭文化になってから。長城地帯の北方青銅器文化が銅剣などの武器を中心とするのに対し、二里頭文化や殷代の青銅器は容器が主体。この青銅容器のことを青銅彝器と呼ぶ。儀礼に用いられた彝器は、元々新石器時代以来の白陶や黒陶からなる「き」や「か」といった酒器が青銅器に置き換わったもの。二里頭文化では、酒器を中心として青銅彝器が身分を示す礼制の要となった。
現在中国では、国家をあげて夏・殷・周三代を科学的に証明しようとしている。国家的プロジェクトを立ち上げて夏王朝の存在を証明し、殷周の暦年代を証明することは現代中国の国家的威信を高め、中国国民のアイデンティティを確率する試みでもある。二里頭遺跡の宮殿区が夏王朝の都であるとする中国考古・歴史学会の見解に対して、それと同時代の文学史料から論証されねば王朝の存在を認められないとする日本や欧米の研究者との意見の違いが見られる。爵は平底形に始まり、西周になると殆どが丸底となる。胴部饕餮文も含めて優美と力強さを兼借し、最も優れた青銅器が作られた時期の特徴を示している。
参照 : DK-257 |