漢時代には「杯」と呼び後世「羽觴」と称した両側に羽翼のような把手をもつこの形の杯は、春秋・戦国時代にはじまり、六朝時代まで実用された代表的な飲食器であった。酒ばかりでなくスープ類や食物を盛り、調味料を容れたであろう事が考証されている。銀・灰陶・緑・禍釉・青磁・玉石を用いた遺品もあり、南はベトナム北部からも出土するから、極めて広汎な普及をしていたと知れる。
杯を受ける器具は「染炉」といわれ、耳杯と染炉が組合されて出土した例や画像石中の描写から、これら2種の器具は木炭の火で耳杯に容れた調味料・スープ・酒の類をあたためるために使われたものと理解できる。染炉の筒状の立ち上がり部分にはいかにも前漢らしい四神が透かし彫りされているのが珍しい。(四神とは白虎・青龍・朱雀・玄武)四足は熊足である。耳杯は参照 DK-069 と同一品である。
染炉・杯ともに鍍金銀であって、熊足・四神の作行きが一段と優れている。四神は五行思想に基づき、四方を守り、陰陽を順調にする神々であって、邪気を祓う力をもっと考えられた漢時代の主要な文様であった。染炉の把手はこのころの携行器具の通例に従って先端が平らに作られている。杯・炉が完備している例は稀であり貴重な遺品。又一般的に作り込みの荒い品がこの手は多く、本品は鍍金銀という高級品であるだけに作が精微であり芸術品にまで高めている。
参照 : DK-069 |