龍泉窯。
中国の陶磁器の色の本流は「白」と「青」である。故宮博物院に展示されている三千年以上も昔の殷墟帝王墓からも青銅器や玉器と共に青と白の2種類の陶器片が発掘されて話題となった。釉を土に掛け焼成することにより、堅く水をもらさない陶器となる技術が実用化されて間もなく、既に「青」と「白」の陶器が作られていたことを物語る。青い陶器片は、天地の神や先祖の霊に肉を供えるために用いられる青銅器の「豆」という祭祀具をかたどった物だった。当時、青銅器は余程の権力者でなくては手に入れることのできない貴重品であり、青銅器の代用品として青い陶器が用いられた。
宋王朝は定窯・汝窯・官窯などの直営の窯を設けたが、金の侵略によって19年余りで途絶えてしまった。そして脚光を浴びたのがかっての越窯の流れを汲む龍泉窯であった。北宋時代から民間窯として知られ、生活雑器を製造していたが、朝廷にも時々良品を献上していた。南宋の都が近くに移ってきたために、朝廷から直接注文が舞い込むようになった。古玉にたとえられる梅子青・葱翆青と呼ばれる色が古い文物に関心を寄せた南宋の皇帝に愛されたのだろう。
素地に鉄分を含んだ雲母が混ざることが微妙な青を生じさせ、釉には長石の含有量が多く、焼成によってできる細かい気泡が落着いた色合いをつくる。全体のバランスが取れた形状。頸部の左右につけられた鳳凰の造型は力強く、かつ均整の取れた姿で美しく砧青磁として最高の焼き上がりを見せ、極めて優品。造りは薄く軽量である。神品と呼ばれる宋磁の魅力、静謐な美しさが迫る逸品。
南宋の中頃、都市は豊な教養を身につけた商品などの資産家が集まり、ゆとりの有る暮らしをしており、自由な社会の雰囲気の中で宮廷の上品な文化と交わり、都会の知識人は豊かな時代にあった磁器を求めていた。そうした求めに応じて新しい青磁を生み出したのが龍泉窯だった。龍泉には磁器に適した土が豊富であり、水と燃料の木材にも恵まれ、最盛期には200を超える窯がひしめき、互いに色や形を競っていた。窯の長さは66mに達するものも有り、一度に8000点を超える磁器が焼かれたという。
青磁鳳凰耳花生は現在我国に於いて国宝2点、重要文化財3点が指定されているが、特に優品とされる万声・千声に勝るとも劣らない品といえる。香港著名収蔵家旧蔵品。
参照 : CC-125 、 CC-149 、 CC-114 |