俑の製作は盛唐を過ぎると退潮は著しく、宋代以降の発見は少ない。比較的地域性が強く、かつ小規模のものが多いことなど生産が低調であったと窺える。多くは生活の場面や娯楽又宗教観などを表したものが多い。
輿形の明器で、箱形の輿を4人の男がかつぎ、男は花冠を被り、裸体で褌を巻いている。腰の屋根は笠形で頂上に擬宝珠がついている。宋代には花嫁が輿に乗ることが流行した。元来婚礼の日に新婦を向かえに行く際に使われていた花車にとって代わり、後世に影響を及ぼした。
ほぼ同形状の定窯黒白釉の品が公元977年銘墳墓から出土し、定州市博物館蔵として知られるが、こちらには中に1人の女性が入っているといわれる。 |