ケイ州窯。
軍持(ケンディー)と呼ばれる銅製の仏器を写したもの。陸羽の「茶経」はケイ州窯白磁についてよく引用される著作であるが、ここでは茶を飲むのに適した茶碗として当時台頭してきた越州窯との比較から「ケイ瓷」を「銀」や「雪」に例えて記している。
唐代にはケイ州窯の白磁が広く知られていたにもかかわらずその窯址の所在は長く不明で幻の名窯であった。1980年の窯址発見は画期的な成果といわれた。蛇の目高台であることにより晩唐の作品と思われる。
名窯といわれるだけあって、失透明釉白磁はしっとりして極めて美しい。
定窯が河北省の曲陽県に白磁の窯を築いたのはちょうどこの頃でありこの時期を境に白磁の生産はケイ州窯から定窯へと移る事となる。浄瓶は盛唐以降の品が多く以後は北宋前期定窯でも作られた。素地も特別に白い精品である。
荊ケイ州窯蛇の目高台の碗は輸出陶磁として晩唐から五代にかけて世界各地に運ばれている。唐代の工芸品、とりわけ陶磁器には西アジアの影響を受けた形状のものが少なくないが、本品もそのひとつ。 |