景徳鎮窯。
青味を含んだ白磁が青白磁であり、およそ北宋の西暦1000年頃に景徳鎮窯がつくり出し、以後南宋・元時代に華南一帯の窯の基本の白磁となった。梅瓶とは口が小さく、丈の長い瓶の事で宋時代に登場する新製器種。
素地が純白で成形はまことに流麗、口造りは鋭く端厳、その均衡も美しく、あちこちに青味を帯びる透明釉が更に緊迫感をそそっている。釉下には手慣れた箆使いで牡丹唐草文を器面一杯に刻んでいる。極上の美作である。青味の強い光沢豊かな釉の美しさ、特に櫛目で器面にびっしりと刻まれた唐草文の溝に厚くたまって一層青味を増し釉に陰影があたえられ気品は一層高くなった。
梅瓶とは清朝の呼称で当時からこう呼ばれていたわけではない。白磁梅瓶は鎌倉時代盛んに舶載され、特に鎌倉を中心とする東国の武士達の間で珍重された。白磁の出来ない日本では瀬戸において鉄釉・灰釉の模倣梅瓶が作られる事となる。
高台内釉がかかる湖田窯作品であって最上級の青白磁を焼成した窯として知られる。梅瓶といわれる瓶は、もともと酒を入れる酒器であったものが、元時代の頃からは花器にも用いられるようになったという。
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