青白磁は制作当時から中国の内需だけをまかなうのでは無く、海外にも広く輸出され日本の遺跡からもその遺品が多く発見されている。その日本出土のものの中にこの式の梅瓶と呼ばれる瓶がある。それらの大部分は南宋以後になるものが多いが、本品は肩の張り・文様の彫りの精細から北宋に上ると思われる。古瀬戸の瓶子の原型となったことは周知のこと。 景徳鎮窯は、金の侵攻にかかわり無く、北宋から南宋へ一続きに業を継いでいることもあり、ほぼ百年の青白磁の編年は立てにくい。