細かな渦文と雷文を無作為に描き分けた緻密な地文の上に、連続の龍文様を描く薄手の三弦鈕白銅鏡。前漢前期の50〜70年ぐらいの期間は、戦国期の文化的伝統が色濃く残された時期で、蟠ち文鏡も地文が次第に粗雑なものに退化してゆきながら製作され続けていた。「抱朴子」には青銅鏡を用いた仙薬の調合法や邪気から身を守る鏡の威力について述べられているので、鏡は単に化粧品の道具ではなかった。幡ち文青銅鏡は長沙馬王堆女性墓の持ち物として出土している。 老舗「壷中居」扱い品と桐箱貼札で知れる。