丸い顔つき、伏目がちで深い安らぎを感じさせる表情、細身ながら肉体の起伏を伝える密着した薄い衣と、流れるような衣文表現は、一見してインド・グプタ朝の仏像様式を想起させる。
しかし右肩を表わす偏祖右肩の着衣形式にはアラマーバティやナーガールジユナコンダなどの南インドとの関連が指摘されている。グプタ朝様式を感じさせる類似形式品として青州市龍興寺跡出土の石灰石製品が知られる。石英が輝く美しい白大理石製。
本像が出土した山東省の諸城市は、山東半島の中南部にある小都市。近年、南北朝時代(439〜589年)を中心とする造像遺例が次々と発見されている。青州・博興などが北方の渤海湾に近いのに対し、こちらは南方の黄海まで直線距離で100kmほどのところに位置する。北斉の滅亡後、北周(557〜581年)によって華北に廃仏の嵐が吹き荒れた際に、人為的に破壊されてから埋納されたと推測されている。
参照 : WS-039 、 WS-078
参照本 : 中国・美の十字路展 |