WS-044 飛天像浮石彫
時代: 北斉時代(AD550〜577)  、 サイズ: 高さ 25cm×肉厚 9.5cm
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インドから伝わった飛天は上半身裸であり、帯をひらひらとさせ、空を舞いながら飛ぶ姿をしている。裸胸をあらわすことは、当時の仏教画・石彫が衣冠を整えるという封建社会の習慣をすでに突き破っていたことを証明している。敦煌・雲嵐・竜門などで衣を脱ぎ、胸をあらわにした菩薩や飛天が現れるようになった。飛天はロマン主義と思考方法の結合の産物であり、古代人の最も善良な最も美しい理想や憧れの更なる飛翔であり昇華であった。

飛天は楽器が一斉に鳴り、天の花が乱れ落ちるという仏の説法の厳粛な場面に現れる。風光明媚な天宮の十宝山に住み、酒肉を口にせず、専ら百花の香露をとり、花の雨を降らせて百花の香を漂わすという。鼓を抱え、まっすぐに下降する飛天はすらりとして細長く、帯紐もすっきりし、足の造型など生動の動きを見せる清秀な体躯である。顔の表情は見るものの心を浄化する古式の笑いで初々しく、上品で美しい。厚みがあり肉感的な豊かさがある。石質は白斑縞が入る硬い灰青色石。1500年余経てもなお極めて表面の風化状況が良好なのは外窟の露仏でなく、内窟の壁面であったため。

インドではブッダの在世当時から夏坐あるいは安居といって雨季に洞窟で修行する習慣があり、やがて後援者の力で仏塔や僧院が作られ石窟寺院へと発展していった。インドで紀元前2世紀にはじまった石窟の造営は紀元1世紀頃にはガンダーラ地方におよび、ガンダーラから一方は東方へと伝播。キジル・クムトラなどの石窟が造られ、敦煌莫高窟・炳霊寺・雲崗へと遺跡を残すこととなる。大きい仏像と相違し、小さい仏にはいっそうの親しみやすい身近な魅力がある。大同近郊石窟よりの引き剥がしであって、北魏王朝が洛陽に遷都するまでの都であった大同は雲岡石窟で名高い(雲岡石窟の発見は、1902年伊藤忠太により発見)。







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