20cmにも達しない小石像だが、面相部の広い額・引き締まった頬・頸・大きな耳など緊張感のある構成。眉・目は線刻で表されすっきりと伸び、鼻・口元なども丁寧に表現され、大きな後背と共に全体に端正で温和な気品ある石仏である。
盛んに石仏が造立された北魏時代、建国から統一までの頃には仏教は非常に盛んになり、太平真君7年(446)には太武帝によって廃仏令が出され仏教は大弾圧を蒙った。興安岩塩(452)には復仏令が出され、更に和平年間(460〜466)には雲岡石窟の開鑿が開始。北魏の仏教美術は一気に開花する・本像の作風にも雲岡石窟初期の造像の強い影響が認められ、当時の北魏の迫力ある造像意欲が投影されているようであって、小像ではあるが量感にあふれた魅力ある小像と言える。
右手は欠けているが、全体の美を損なわない。小金銅仏の遺例は数多いが、小石仏の遺品は少なく石彫の持つ独特な重厚感は好ましく、清新無垢の祈りの思いも伝わる。 |