灰陶上に黒漆を厚く塗り、朱・肌・黄・銀色で彩色する。撥状に裾まで広がる長衣を着て屈む、丸顔の柔和な表情の俑。
胸から黄・壁・管を連ねた玉組飾りが下げられている。組玉佩は西周で盛んに用いられたが、厳格な佩玉制度があり、春秋戦国時代にも組玉佩は依然として流行した。春秋戦国時代、殉葬という習俗はだんだんと廃止され、俑を副葬するように改められた。これは人物彫塑作品の発展を促した。同型式の加彩灰陶作品は知られるが、陶胎彩色作品は稀品。
木俑は長江流域の楚国から、陶俑は斉魯地方で多く発見され形は木俑より小さいが、姿形は生き生きとしているのを特色とし、高い工芸水準を示している。これは斉魯地方で活発だった学術思想と関係があり、のちの漢朝の彫塑芸術に直接的な影響を与えた。
参照 : CT-006
参照 : 館蔵東洋陶磁名品 図録-松岡美術館 |