漢代を通じて盛行した土偶類の製作も、南北朝に入って一時中断した。しかし、北魏の成立と共に再び見事なものが作られるようになる。それらは技法的には漢代の延長線上にあるが、造形感覚は全く別種のもの。紗帽と呼ばれる被り物を付けて立つ官人で、北魏の代表的な俑。長身に作られており、衣服の鋭い線がそれをより協調する役目を果たしている。正面観照性が強く、背面は衣服などを一応作られてはいるが殆ど平面になっており、僅かに上半身を反り気味に作られている。
類品の北魏俑が昭和10年前後に初めて日本に将来されたが、これらを愛した人々には山村耕花、橋本関雪などがいた。陶俑の鑑賞が始まった明治末年から昭和初期、鑑賞の中心であった画家や研究者の間では華やかな唐俑よりも、静謐な精神性を持つ北朝の俑が寧ろ高く評価された。 |