狆を抱く女俑は京都国立博物館蔵品が知られるが、猫・狆などは当時の貴婦人のペットであった。開元・天宝の頃盛行した豊頬肥満の形。頬はふくよか、大きな髷を結い、上衣と長いスカートを身にまとう当時の理想的女性像が表現されている。長袍には牡丹花が赤・緑・黄色で鮮やかに装飾されている。唐代でも理想とされる女性像は時と共に変遷し、始め細身で楚々とした風情の姿であったものが、その最盛期にあたる玄宗皇帝(在位712〜756)の頃には、この俑に見られるような豊満な肢体をもつ女性へと嗜好が変わっていった。堂々たる量感が眼を圧する。60cmを超える大型品は稀少。極盛期の一抹の不安も無い豊饒の世界、無限の繁栄を思わせる姿。
ところで、唐代の美女の条件は、それまでの社会にあった審美眼とは大きく違っている。例えば漢の時代、美人の誉高い成帝の皇后「趙飛燕」は手のひらに載るほど軽やかだった。女性としての魅力はあくまで細面とスリムな体型にあり、触れなば落ちんとする楚々とした相貌が好まれた。
以降およそ六百年の間、美人の条件は変っていない。それが唐の社会に入ると一転してふっくらとした女性がもてはやされるようになった。則天武后も楊貴妃も豊満な肉体とふくよかな面立ちの美女だったのであろう。90年代洛陽郊外墓出土。
参照 : CT-033 、 CT-021 |