前後、獅子に乗る胡人と鳳凰が装飾され、緑・褐・白・藍彩が掛けられる初期唐三彩に比べると形式化された傾向であるが、三彩の発色は明るく美しくなっている。三彩は他の明器のように全国各地にその例を見るというような広い地理的分布を持たない。その出土は長安・洛陽の2京附近に限られている。この事実はその作行きの贅を尽くしたものが多い点から考えても、中央の王侯・貴族の為のものだったことが察せられる。
唐三彩の古窯址としては、西安北方の耀州窯黄堡鎮窯址と、洛陽東北の小黄治村窯址の2ヶ所が現在知られるが、まだ他に発見される可能性がある。唐三彩の明器は一般の人が自由に作って良いものではなく、法令に従って厳格な規制の下に役所で製作され、帝室や貴族の葬礼に供給された。その場合、官位によってその数が決められており、位階三品以上が70点、五品以上が40点、九品以上が20点、庶人は15点に限られた。この規制にもかかわらず、葬礼を手厚く行う厚葬の風習は止められなかったらしく、禁止令が何度も出されている。貴族や富豪は唐三彩などの明器を葬儀の場に陳列し、それらを担いで街々を練り歩き人々に見せた。そうしたことがあったからこそ、大型の美しい三彩俑などが造られた訳で、見栄を張るのは昔も今も都会人の業なのであろう。
参照 : CS-026
参照本:世界陶磁全集J 隋・唐 |