口唇部は外折れし、立耳が付いている。器腹は下部がやや窄まり、細長い柱足を持つ。器腹には饕餮文を大きく、足部には獣首を装飾、器腹の四隅には突稜が付く。器内底には3行書幾文字銘がある。九鼎は西周時代でもっとも神聖な礼器で、周王の権力の象徴。
九鼎は都の宗廟内の最も尊貴な場所に供えられ、周王が重大な国家儀式を行う時にのみ使用された。鼎が安定すれば国は栄え、鼎を失うと国は滅ぶということ。西周末年、王室は衰退し、楽邑に遷都した時に真っ先に九鼎を新都に移して安置し、国家の安定を確保した。現時点では周王の九鼎はまだ発見されていない。
天子は九鼎、卿は7鼎、大夫は5鼎、士は3鼎と定められ、それによって「上下を別ち、貴財を明らかにす」る標識とした。鼎の殆どには銘文が刻されている。青銅器の製造工房はいずれも王都のそばにあった。鼎はそこで作られ属国の首長や各地に派遣した軍司令官などに忠臣の誉れとして授けられた。
宋代の文人士大夫は骨董、特に殷や周時代の青銅器の収集と鑑賞に夢中になり、鐘・鼎などを飾って楽しんだことは徴宗皇帝を描いた書画にも見られるし、発掘品は数が限られたため倣青銅器が北宋後期から造られ始める。
一つの約束は九つの鼎のように重い、つまり約束を守ることは大事なことなのだの意で「一言九鼎」が使われる。
参照 : DK-428 |