身は平たくやや下膨れであり、肩部には龍文が表わされ、獣蹄形脚部に獣面文を飾り、耳が立つ。西周早期の青銅器の特色を持つ。端整厳粛な宗教的雰囲気、神秘的険しさを持っており、重厚で美しい。饗宴の際は、主人の地位・階級によって厳格な規定があり、天子は9鼎、卿は7鼎、大夫は5鼎、士は3鼎と定められ、それによって「上下を別ち、貴賤を明らかにす」る標識とした。最大の鼎として知られる高さ102cmの大盂鼎はこの形式。
礼器は大きく、酒を盛る盛酒器・盛食器・調理器・飲酒器・楽器に分けられるが、鼎は食にかかわる礼器の中心であり、伝国の宝器・王の徳と覇者の象徴ともいうべきものであったし、中国の文化においては法統(国家継承の正統性)の象徴である。三代(夏・商・周)では鼎を実際に国家を継承するものとして用いたが、秦の始皇帝が正統性を欠いていた為に三代の九鼎はみずから泗水に沈み失われた。それ以後、中国では御璽で国を伝承するようになった。しかし中国人の精神上では鼎は依然として法統である事に変わりはない。
青銅器の製造は西周の主な手工業であり、陶器製造同様細かく分業され「百工」と呼ばれていた。奴隷主は手工業を独占し、奴隷は常に懸命に働いていた。青銅器上には周の天子が一貴族に褒美として1700人以上の奴隷を与えたり、奴隷主から5人の奴隷を馬一頭と糸一束とで交換したとか記載されている。
参照 : DK-286 |