本品は法門寺地宮後室から発見された皇室の奉納品の董球と同作品であって、この種の遺例の中では最大級の作例。大きさ故に、常時携行でなく、儀礼用。
半球形に成形した蓋と身を蝶番によって撃げて開閉できる仕組みとし、蝶番と対称位置の蓋側面に釣針状の金具を付け、蓋が開かないよう身側面の小鐶にかけて固定する。表面には花文を刻んでその間に透かしを設け2匹の蜂が飛び交う団華文を10個配し、上下2個の団華文には4匹を配している。蓋と身の口縁に唐草文を巡らし、さらに団華文と口縁部に鍍金を施す華麗な品。球と鎖の中間部は球形鈴の飾具で繋がれている。色彩の鮮やかな対比や各種の文様の巧みな組み合わせ、また香が漂うための小孔を多数開けるという実用上の配慮など全体に巧みな設計がなされている。鎖部の作行きも丁寧である。唐時代、蜂は海獣葡萄鏡・陶磁の文様として暫々取り上げられている。ありがたいことに中国全国規模での道路・建築開発はかってない程の珍奇品々を眠りの世から登場させ我手で出来る喜びを味あわせてくれる。近時洛陽郊外出土。
法門寺出土品の口径は、12.8cmで発表品董球では最大径。唐時代の金銀器を見るとほとんど国内製作と見られるが、唐草文様や伸びやかな動植物の図案や器の外形などに、西方の影響を嗅ぎ取ることが出来る。当時の唐人の開放性と感性のしなやかさを示すといえよう。又、金銀文化を盛んにするには金銀の量的増大も必要な条件であり、隋唐期になると周辺から金銀が流れ込むと共に国内の金銀の産出が飛躍的に高まったことも影響している。何にしても、金銀文化を受け止めた主体である上層階級の感性や意識が成金的庶民的レベルでなく、貴族趣味とも言うべき感性でもってこのような作品に結実しており、唐代物質的文化の絆といわれる、金銀器においても貴族性が大きく影響していることを示している。
参照 : DK-132
参照本 : MIHO MUSEUM 開館一周年記念展 |