DK-223 遼時代
時代: 唐時代 、サイズ:高さ 56cm
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銀板を加工して各部を作り、それらを組み立てて全体を形作る6角2層の宝塔。2層には仏坐像を正面に置き、後面にも同様他の4面には刀を持つ武人を2面に、琵琶を持つ武人と宝塔を持つ武人を1面づつに線刻している。各層に庇状の屋根を取り付け、欄干を巡らせ、下の基台は鬼面の打出しで6面を飾っている。庇状の屋根の先端には上部に花形の飾り、下には風鐸を下げている(3ヶ紛失)。基壇の六隅に6ヶ2層の仏坐像、左右には6ヶ、武人像左右には4ヶ、頂上・相輪部には上下3ヶづつの緑色玉を基台鬼面上部に2ヶづつ計12ヶの珊瑚玉を嵌め込んでいる。2層の武人左右には7〜8ヶの真珠玉を繋げ、相輪部にも3本の連結した真珠玉輪を飾っている。頂上部と相輪部、1層・2層と外せる構成で、外した1層・2層の台上に天珠玉を差し込む構造である。

昔よりチベットでは天主を神様の化身として邪気を払い、幸福・病気・災害から身を守る玉として珍重しているが、天珠玉がこのような使われ方をしているのは初見であり(舎利のつもりであろう)資料的にも貴重な仏教遺物と言える。2層の6面全てに花唐草と魚子文がびっしりと刻されている(魚子文様の技術はペルシャ独特のものであった)。鍍金で被われた外観には金銀器ならではの華やかな趣が漂っている。底裏には8行46文字の銘文が刻される。

このような仏塔は、宋時代を中心に仏や先祖への供養あるいは功徳を積むため当時奉納品として好まれていたと考えられる。同様品は定州市の仏塔跡地下室に安置されていた石函の中から発見されているが、これ程の玉・珊瑚等でもって装飾を施された品は見ない(類品は2004年、東京国立博物館 中国国宝展に出品された)。記録によればこのような霊塔の風鐸の音が風の強いに日は遥か遠くからも聞こえ、又塔頂の宝珠や屋根の部分の鍍金が陽光に反射して放った光が遠方からも望まれたとある。内モンゴル赤峰市に、1049年完成の遼時代 釈迦仏舎利塔が残るが同形式。

参照 : ZK-022









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