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▼ DK-460 ▼ DK-461

青銅多鈕細文鏡

青銅鼎
● 時代 : 戦国時代(朝鮮 青銅器時代BC770〜221)
● サイズ : 径 28cm×厚 1cm×重量 1680g
● 価格 : \ 問い合わせ

春秋戦国時代、中国の東北地方で生活していたいくつかの旧来の部族は「東北夷」と呼ばれ、それには粛慎・わい貊・夫余などの民族がいた。戦国時代にはわい貊族の一部が発展して夫余族となったが、夫余族の作品。夫余の主な活動地域は松花江中流の平原地帯であって、彼らと中原地域との往来は魏普時代まで続き、南北朝時代になって高句麗に滅ぼされた。細密で規則正しい三角形の葉文がある。

参照 : BK-035
● 時代 : 西周時代早期(紀元前11世紀〜前10世紀)
● サイズ : 高さ 25cm×横 18cm×奥行 18cm
● 価格 : \

堂々として荘厳な器形。青銅の食器と酒器は、いずれも儀礼の場面での重要な礼器で、用途も明確に分かれていた。火にかけて祭祀の際の最も重要な捧げものである動物の肉や穀類を煮るためのもので、茅が蓋代わりに用いられた。鼎に盛られる肉は主に牛・羊・猪などであった。実用の炊事用具のため、器内に銘文は無い。
陶器では新石器時代に出現しており、銅器では商中期から漢代まで継続して製作された。西周後期からは大小の異なる複数個を一組とする列鼎も出現した。
胴体が長方形の四足の方鼎は商後期から西周後期まで製作された。現在知られている超特大の鼎には、方鼎が極めて多い。三本の脚は一本では立たないものが、三本が結束することで安定するということのひとつの譬え。

参照 : DK-416
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▼ DK-458 ▼ DK-459

彩漆獣文銅鏡

青銅鍍金亀鈕印章
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 径 12.2cm×厚 0.4cm×重量 220g
● 価格 : \

背面には黒漆を塗り、朱・黄・青色漆で鹿・虎・鳥・狼と瑞雲文を鈕の四囲を回るように描く。戦国時代には珍しい六稜鏡。彩色・描画とも美しく佳品である。
前漢前期までの青銅鏡にはただ単に鋳造しただけというモノトーンの世界に終わらずに、絵画的な色彩感覚まで多く求められていたのであろう。同時代の青銅器上に見られる図案と比べて、漆絵は大きな進歩がある。漆絵に表現されているのは浪漫的想像に満ちた激しい情熱的な芸術世界といえよう。

参照 : DK-343
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 2cm×印面 1.6cm
● 価格 : \ 問い合わせ

頭を突き出した亀の眼・体表・甲・足等には鏨で細かく線刻され、作行きは鋭い。鍍金は厚く、重量があり、印面の刻も鋭く魅力的な印としている。

参照 : DK-335
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▼ DK-456 ▼ DK-457

青銅鍍金金具

彩漆獣文銅鏡
● 時代 : 前漢時代(前2世紀)
● サイズ : 高さ cm×横 cm×奥行 cm
● 価格 : \ 150,000

蛇を踏みつける一頭の大きな牛に、二頭の虎が襲いかかる様を薄板から打ち出し、体表には細かな線刻を施している。一瞬の動きを捉え、動的に作られている飾り金具。
今の昆明近くのテン国の作品であるが、スキタイ文化の動物意匠の影響。テン文化では牛が突出した扱いを受けており、青銅器の装飾を開始した当初の段階は、その意匠の殆どが牛で占められていた。

参照 : DK-189DK-320DK-359
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 厚 0.3cm×径 10.2cm×重量 100g
● 価格 : \ 問い合わせ

黒漆上、朱・黄・青色漆で三頭の獣と瑞雲文を鈕を中心として回る様に描く。当時の墨家は鏡面の反射原理を利用して、月と地球が日光に対して反射しているという現像を説明している。これは光学と天文学の発展史上傑出した成果である。

参照 : DK-343
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▼ DK-454 ▼ DK-455

青銅双柱爵

青銅鍍金達磨
● 時代 : 西周早期(BC11世紀)
● サイズ : 高さ 18cm×横 16cm×奥行 8cm
● 価格 : \ 問い合わせ

流寄りの口縁に茸状の柱が立ち、器身には獣首を飾った把手が付いている。器腹はやや脹れ、円底で三角錐形の足が付く。器腹には饕餮文・鳥文を飾っている。酒を温める器。
商前期より見られ、商後期に大量に造られ、西周時代には激減し、後半期には姿を消す。器体文様ともに優れた鋳上がり、錆味も美しい。

参照 : DK-390
● 時代 : 明時代(17世紀)
● サイズ : 高さ 9.5cm×横 11cm×奥行 3.5cm
● 価格 : \

通称菩提達磨の達磨は、中国禅僧の開祖。印度から笹舟に乗って中国に渡海したという伝説がある。衣文・笹舟・顔の表情等、厳しい刻がされ、鍍金が施されている。書鎮の用。日本輸出の銅によって作られた日本注文品であろう。
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▼ DK-452 ▼ DK-453

銀貼鍍金獣文地獣文鏡

青銅虎食人ゆう
● 時代 : 戦国時代後期(前3C)
● サイズ : 直径 19.5cm×高 1cm×重量 900g
● 価格 : \

粗い表現の羽状獣文の地文の上に4頭の獣が巡る。顔を鈕に向け、前足は鈕と外区を支える。鈕と獣文の稜線は鍍金された打ち出し銀板が嵌め込まれている。文様は精緻で美しく、その獣文の形は奇異であり、楚鏡の中の佳品である。
中国の青銅器技術が殷周青銅い器とはまた別の分野で一つの頂点を極めたものとみなすことができよう。

参照 : DK-307
● 時代 : 殷晩期〜周初
● サイズ : 高さ 37cm×横 24cm×奥行 17cm
● 価格 : \ 問い合わせ

座っている虎の姿につくられている。器頂には蓋があり、蓋の上には立獣がついている。提梁は全体にち文を飾り、両端に獣首を配している。虎の前足には顧首龍文を飾っている。
虎と思しき怪獣に人が正に食われようとしている姿であるとも、また逆に虎が子供に乳を与えている様だとも言われるが、いずれにしてもその怪異大胆な造形意匠は近代人の発想を超えたものがある。未開のエネルギーを豪放に形象化しながらも、器面全体にはそれを覆うように精緻な雷文や動物文が深く穿たれており、その創造が極めて高度の彫塑鋳造技術に支えられている。全体に漲る高い緊張感は古代とその時代を生きた工人の異様なまでの精魂の傾注を物語っている。虎は神権と王権の力を表している。
当時の工人は、殆どが殷との戦いに敗れ捕らわれて奴隷とされた異民族の人々であり、鋳造工房は失敗すれば殺されかねない緊迫したものであったろう。現在見ることが出来る青銅器は青・緑・黒などの色調を呈するが、これらはいずれも錆びた結果である。青銅は錫と銅、鉛などからなる合金で本来は金色を呈する。本来は丁寧に磨かれて金色に輝き、当時の人々に驚異と憧れの念をもよおさせたことであろうが、その痕跡が見られる。同型同意匠品は現在2点のみ知られる。一つは今日に至るまで数ある住友コレクション、泉屋博古館の白眉とされシンボルでもあり、義和団事件後ほどなく日本に流入したといわれる品。もう一点は辛亥革命直後収蔵されたパリのチェルヌスキー博物館の一点。宝鶏青銅器収蔵家より強奪。

参照 : GK-654
参照本 : 泉屋博古 中国古銅器編
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▼ DK-450 ▼ DK-451

青銅人頭像

彩漆青銅剣
● 時代 : 商時代(前13〜11世紀)
● サイズ : 高さ 11.3cm×横 5.5cm×奥行 5.5cm
● 価格 : \

三星堆文化。
平頭、アーモンド形の目は中央に稜線をもって突起する。頬骨がシャープに隆起し、三角状の鼻筋が伸び、眉は太い。唇は薄く、口を一文字に固く結んでいる。生硬な造形だが、眉が横に伸びているため、表情が穏やかに見える。耳の後まで下顎の突起が続き、髭の表現と見る意見もある。耳には羽根状の文様を施し、耳朶には円い孔を開けている。冠の表現はなく、長髪を耳の後で三つ編に編んで首まで垂らし、上端を帯で束ねている。長い首は前後がV字型にのびる中空で、元は別に木か土で作った体にこれを組み合わせていたのであろう。三星堆遺跡出土同意匠品は、高さ39.8cm×横 18.1cmの大型品である。
殷人と同様に、蜀人は神霊との交渉を重視し、祭祀に大きな精力を注いだ。

参照 : DK-437
参照本 : 三星堆 中国5000年の謎・驚異の仮面王国
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 長さ 57.5cm×横 5.7cm
● 価格 : \ 問い合わせ

剣身は剣先まで中央の稜を挟んで瑞雲を、剣格は獣面を装飾。稜線には金漆、瑞雲には朱・黒漆が塗られる華麗な儀杖剣。鍍金銀貴石嵌を始めとする美しい剣が近時の発掘により見られるが、彩漆剣は初見。
中国古代、捕虜はほとんど殺されるか耳を削ぎ取られたが、呉の国にいた刀剣の技術者と織物の技術者だけは殺されずに済んだのは、戦国末期の呉の国が越の国に滅ぼされた時の話。

参照 : DK-425
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▼ DK-448 ▼ DK-449

鍍金青銅仏

青銅鍍金大威徳像
● 時代 : 清朝時代(19世紀)
● サイズ : 高さ 34cm×横 19.5cm×奥行 13cm
● 価格 : \

冠・衣紋・胸飾り等に緑松石・瑪瑙などの貴石を嵌め込む。宝塔を持ち、蓮台に座す仏は蓮弁・八宝等で飾られた光背を持つ。全体極めて厚い鍍金が施され華麗。作行き鋭い。
底面には「羯磨・チベット文字・士歓呼園克園重金敬造」 が刻される。 極端に重量が有るので、内容物が有ると思われる。
● 時代 : 明時代(16世紀)
● サイズ : 高さ 8.5cm×横 6cm×奥行 2cm
● 価格 : \

蓮弁台上の寝そべる二人を踏みつける大威徳明王と女神の合体像を浮彫りした銅板を合わせ鍍金する。
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▼ DK-446 ▼ DK-447

青銅獣文鬲

青銅鍍金帯華蓋仏坐像
● 時代 : 西周中期(BC8世紀)
● サイズ : 高さ 14.3cm×口径 18cm
● 価格 : \

外折した幅広の口唇部、袋足が付く。足上部には突稜を挟んで相向かう獣面が飾られる。形は鼎と鬲の中間に当たる。青銅鬲の形式は陶鬲から発展してきたもので、商代の墓葬において副葬される鬲は大変少ない。西周中期以降に至っては鬲は盛行し、鼎と一緒に出土する。しかも暫々組を成しており、一組の鬲の形態・大きさ・文様とも基本的に同じ。
用途は肉類を煮たり、穀物を調理したりするのに用いられた。漆黒の銅地である。殷王朝を倒し、西周時代300年間の都が置かれていた西安郊外墓からの出土。

参照 : DK-338
● 時代 : 北魏正光元年(AD520年
● サイズ : 高さ 20cm×横 11cm×奥行 11cm
● 価格 : \

最も初期の金銅仏で、大小の連弁を鋳出した光背。光背の裏の孔に差し込み、蓮華文を打出した傘蓋、四脚台と完備する。鍍金もよく残り、尚輝きを放っている。仏は袈裟を通肩に纏って、護法の獅子座に座し、禅定印を結んで静かに瞑想に耽る。面貌、左右相称性など中国化・形式化が顕著な一方、ガンダーラの名残り、インドの曼荼羅に見られる仏像の特徴を備えている。
光背銘「正光元年二月三日 張門村張徳順為○父敬造佛像一區願亡者○登扱牙生生不息」がある。正光元年は北魏後期様式が完成した頃。
作行きは上々で、金色は素晴しい。今のところ中国最古の紀年金銅仏像は建武4年(AD338)。この形式の仏像は山西・オルドス方面からの出土が多いと北京の古玩舗では言っている。

参照 : DK-319
参照本 : 中国国宝展 2004〜2005
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▼ DK-444 ▼ DK-445

青銅獅子鎮柄香炉

青銅獣文盂
● 時代 : 唐時代(8世紀中頃)
● サイズ : 高さ 12cm×横 41cm×奥行 12cm
● 価格 : \

柄香炉は僧侶が手にもって仏前で献香するために用いる。六朝時代(220〜589年)以来、仏教儀礼を中心に使用された。この炉は二重になっており、内に香を焚く落とし炉が填め込まれている。その炉縁の上に複弁の蓮台に座す獅子が付けられて、鈕の役割を果たす。炉と炉底に柄から伸びた肘木、炉を支える束と蓮華座、そして二十花に小さく削られた台座を裏から鋲で接合している。柄の尾端に置かれた獅子鎮もよく似た同形鋲で接合する。
柄の炉に近い部分に二つの半球状の飾金具が付けられた変形ハート形の板が飾られる。正倉院には全体を金銀珠玉で装飾した紫檀製の柄香炉が同形品として知られ、今年2007年の正倉院展に初出品された。中国では普通、境内の和尚墓に納められた錫杖・浄瓶・塔碗・錫杖など、遺物の一つとして出土する。柄香炉は水瓶と同様、響銅による物作りの技術と共に北魏時代に中国そして仏教に取り入れられた。やがて、柄香炉は仏教と共に新羅、更に奈良時代の日本へと伝わり、法隆寺や正倉院に往時のまま残されている。

参照 : DK-348
参照本 :
第59回 正倉院展
保利蔵金 保利芸術博物館精品選
唐皇帝からの贈物
● 時代 : 商代後期(BC11世紀)
● サイズ : 高さ 14cm×横 26cm×奥行 19.6cm
● 価格 : \

口縁が外に反り、底の深い鉢形の胴体に一対の把手と高台を付けたものを盂という。飲食物の容器として用いられるほか、沐浴用に用いられたことが知られる例もある。大型・小型例が有り、大小の差が大きく用途その他による使い分けも考えられる。
商後期から西周中期頃までに製作され、製作時間も短く類例も少ない部類に属する器形。正面中央と高台部に突稜、左右には獣面と龍文、肩部中央には獣面、左右には龍文を装飾。地は雷文で埋め、把手は龍首である。高台内底はあ斜線菱形文で中央に2文字銘がある。
白銅質であるため、局部にみられる緑錆との対比が美しい。周の発祥地、宝鶏市郊外墓出土。
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▼ DK-442 ▼ DK-443

青銅鍍金獣文博山炉

青銅飾金具
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 15.5cm×盤径 15cm
● 価格 : \ 問い合わせ

博山炉とは香炉の一種で、六朝時代の文献により名が知られるが、漢代に多く見られる。蓋には山岳の間に多くの獣が、縁には渦文繋ぎが線刻され、頂上には鳳凰が付けられている。円形盤上には獣文が線刻される。盤上の獣文間を除いて、厚い鍍金が施される。香木を炊くという風習は古代からあり、香りを楽しむだけでなく、衣服で覆い、香を付け防虫を兼ねるという使い方もあった。香が山間から立ち上る香煙の雰囲気から雲上に届く深遠の仙境を象ったもの。神仙思想の流行を背景として、この種の香炉は貴族の生活に用いられた。

参照 : DK-097DK-103DK-209
● 時代 : 時代
● サイズ : 高さ 3.5cm×横 3.5cm×奥行 1.8cm(台除く)
● 価格 : \

円管が四方に付き、正面に獣面を装飾する。「手沢」味。2000年余前という古きよき時代に思いを馳せ、このような商品を慈しむのが本当の古美術を愛するということだ。
趣味を持てる人間は幸せだ。ましてそれが風雅の世界であれば尚更である。
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▼ DK-440 ▼ DK-441

青銅鍍金麒麟筆架

青銅鍍金男女俑
● 時代 : 明時代
● サイズ : 高さ 7.5cm×横 13cm×奥行 4cm
● 価格 : \

宣徳銅で作られた水滴兼筆架。部分鍍金が施された喜びの象徴であり慶賀をもたらすという霊獣 麒麟。
日本伝来箱添。
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 高さ 7.5cm×横 2.1cm×奥行 1cm
● 価格 : \

両腕を欠いた裸身の像。厚い鍍金が施され、顔の表現は殊の外入念に行われている。高さ60cm余の加彩裸身像が景帝陽陵に属すると考えられる従葬坑から男女合わせて万に達する数が発見されているが、これらは腕は木製で作られ、絹の衣服が着せられていたと考えられている。男子は武士、女子は女官。

参照 : GK-182
参照本 : 平凡社版 中国の陶磁A 陶俑
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▼ DK-438 ▼ DK-439

青銅金銀貴石象嵌羊鎮

青銅博山炉
● 時代 : 前漢時代前期(前206〜前100年)
● サイズ : 高さ 5.5cm×横 8cm×奥行 7cm
● 価格 : \

体表に隈無く金・銀・緑松石・赤瑪瑙・黒瑪瑙でもって象嵌装飾する華麗な鎮。春秋時代後半から漢代にかけては、青銅器に金・銀・貴石の象嵌を施すことが流行し、鎮・帯鈎は特に優れた作品が見られる。中国古代金工品の魅力が充満している。

参照 : DK-392DK-303DK-277DK-212
● 時代 : 後漢時代
● サイズ : 高さ 17.5cm×横 9cm
● 価格 : \ 問い合わせ

博山は霊峰五缶の一つである崋山のことといい、秦の昭王がこの山において天神と博棋(つまり賭博・博打)をしたので、別称を博山と呼ぶ。香炉山形を博山に見立てて博山炉の名称が付いた。蓋・炉体・底盤の3部分でなる。蓋部は部分的に大きく透かし、霊樹と動物・人物を表わし、脚部台は3頭のち龍を透かし模様とする。炉体部は二段に分けて瑞雲文を刻する。実用品であったものを、副葬用明器としたもの。博山炉は漢代の香炉でも最も流行した形。

参照 : DK-103
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▼ DK-436 ▼ DK-437

十二支四獣鏡

青銅人頭像
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 18cm×厚 1cm×重量 940g
● 価格 : \ 問い合わせ

内側に四神、外側に十二支の動物を描いている。十二支はもともと木星の軌道(黄道)を十二等分して暦の進行の目安としたもので、古くから天文学が発達したバビロニアから中国に伝わったもの。現在のように動物を当てはめて名称とすることは、前漢の終わり頃(紀元前1世紀末)の文献に認められる。鏡ではこの鏡より遡る。
南北朝(4〜5C)に既に絵画化された例が確認されている。隋唐鏡は全て蝋型鋳造であり、鋳抜けが明確である。

参照 : DK-231
● 時代 : 商時代(前13〜11世紀)
● サイズ : 高さ 13.5cm×横 6.5cm×奥行 6cm
● 価格 : \

三星堆文化。
人頭像に共通しているのは、吊り上がった眼・堅く閉じしかし笑っているようにも見える大きな口・耳には耳飾りの孔が開けられていること。頭部の形には円頭・平頭の2種類がある。その頭部には、ある像は冠を付け、ある像は簪で飾り、また後頭部に三つ編みを長く束ねるなどバリエーションに富む表現がなされている。祭祀の際には神樹や大型の神獣・仮面と共に、これらの像が並べられたのであろうか。発展の過程において殷王朝の強い影響を受けつつも、中原から隔たっていたため濃厚な地域色をもった古蜀文明へと発展を遂げた。

1986年四川省で発見された長江上流域の三星堆遺跡。大量の青銅器群から、この地にかなり高度な古代王国が存在していたことが判明した。鋳抜けがシャープである。三星堆遺跡出土の同意匠品は、高さ49.4cm×横23.7cm。

参照 : DK-337
参照本 : 三星堆 − 中国5000年の謎・驚異の仮面王国
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▼ DK-434 ▼ DK-435

龍首青銅金銀象嵌帯鈎

青銅しょう車
● 時代 : 戦国時代(BC4〜BC3世紀)
● サイズ : 長さ 21.5cm×幅 6cm×高さ 2.5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

琴形板上には頭を擡げ、尻尾を龍首近くまで伸ばし搦める龍を立体的に装飾する。龍頭・体表・裏止具には金・銀薄板・銀細線象嵌を施す。このような大型・華麗な帯鈎は高位の人たちが晴れの場で着用、威信を示すものであった。

参照 : DK-305
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 横 23.5cm×奥行 13cm×高さ 17cm
● 価格 : \

一頭立ての小さな馬車をひろくしょう車といった。輿は横長方蒲鉾形で全面に瑞雲・斜線文が細密に刻される。日月の運航を象徴する2つの車輪には12本の軸(スポーク)が見える。幌形状は珍しく、恐らくは高貴婦女子用であろう。頭が小さく堂々とした体躯、脚も長くフェルガナの汗血馬であろう。静止状態でなく、足を踏み上げる動きの態様が見事に作品化されている。

参照 : DK-398
参照本 : 中国文明史図説C 秦漢 雄偉なる文明
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▼ DK-432 ▼ DK-433

金糸鳥文簪

青銅鍍金虎鎮対
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 横 18.5cm×幅 7cm×高さ 12cm
● 価格 : \ 問い合わせ

差し棒部は細金線で、頭・体部を鱗状に装飾した鳳凰。下げ部は止まり木に乗る同様な形態の鳥を組み合わせた作品。差し棒部の鳥の冠・目は赤瑪瑙が嵌め込まれ、下げ部鳥枠上部の瑞雲・竹・珠部にはそれぞれ青・緑・赤瑪瑙を流し込み、鳥の胸毛は赤・緑瑠璃、目は赤瑠璃。左右の餌入れは赤瑪瑙が流し込まれている。鳥の足は金環で、止まり木に繋げられている。全て金(24K)で造られており、豪華さは特筆に価する。唐代には髻を高く結うことを好み、多種の髪形を競った風習があったが、ゆらゆらと揺れる簪は特に好まれた。如何程の貴婦人の髪を飾ったことであろうか。貴婦人の間では鳥を飼う事が流行ったことは三彩俑(CS-109)などの遺品からも知る事が出来る。今も小鳥を可愛がる趣味の多い中国人の伝統的なものであろう。好まれた形状と見え、明時代の遺品は知られていたが、遡って唐時代作品の出土は初。唐時代の金線条細工は古代ギリシャの宝石装飾品に匹敵するような技術を持っている。

参照 : DK-252
参照本 : 明清金銀首飾
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 3.5cm×幅 6cm
● 価格 : \ 問い合わせ

虎が体を抱え蹲る姿を円形に纏めた一鋳の袖鎮(墓鎮)。西方の「動物意匠」に学んだ写実といえよう。内型を用いない鋳造で重い。元来四点一組とされ、敷物などの角を押さえた。当時は床に座る文化で、床に敷物を敷いてその上に座ったいたことがわかる。
厚い鍍金・精緻な造形は漢代金工の魅力であり、発掘された品が文人の書鎮として愛された。こうした古器物愛玩も文人の大きな楽しみであり、また嗜みでもあった。

参照 : DK-001DK-392
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▼ DK-430 ▼ DK-431

青銅鍍金龍首帯鈎

銅鍍金八花形鳥花文盤
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 3.4cm×幅 15cm×奥行 4cm
● 価格 : \ 問い合わせ

龍首の胸上にはち龍が大きく造形され、全面厚い鍍金が施されている。頭部は高く透され立体的に造形され、2体の龍の顔・鬣・尾などには厳しい刻がなされている。
● 時代 : 唐時代前期
● サイズ : 径 26cm×高さ 2cm
● 価格 : \ 問い合わせ

八弁の花形に成形された表裏2枚重ね盤。内底に団華文とひしくい(大型の雁)を、八弁の口縁には花草文を立体的に打ち出し鍍金する。文様には生動感があり、鏨使いも力強い。器は高台まで一体になり、口縁に嵌め込んで固定する。上流階級の屋敷で果華を盛り分けるなどして使用された器と想像できる。同類の銀盤も知られる。文様部分にのみ鍍金をのせるのは唐時代銀器の常套手段でもある。
安禄山は胡国好みの玄宗皇帝や楊貴妃の寵愛を受け、下贈される食事は全て金銀器に盛ってあったという。「安禄山事蹟」にはその邸宅と共に賜った器具調度の目録が記されているが、金銀珠玉の製品がずらっと並び、あたかもわが正倉院の「東大献物帳」を見ているようである。

参照 : DK-401
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▼ DK-428 ▼ DK-429

青銅鳥文扁脚方鼎

鍍金簪
● 時代 : 西周時代早期(BC11世紀)
● サイズ : 高さ 22cm×幅 18.5cm×奥行 15.5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

器腹四面には鳳凰文が装飾され、立耳が付き四足は鳥である。器の部分が浅めで脚がその割りに長いところに、西周前期の少々遅くなった時期の特色が出ている。器の四隅と各面の中央を飾る鰭が様式化し、F字状をなす点も同時期鼎の特徴。鳳凰文の地は渦文で埋める。表面は緑色でこれに赤錆と緑錆の斑点が古銅器の魅力を増している。方鼎の中でも鳥足は稀少。鳥は鉤上の嘴を持ち、強く鋭い爪で直立する。腹部と底の外側に煤がついた方鼎も見つかり、神々や先祖の霊に供える肉を煮るのに用いられたと考えられる。古銅器は上古に初めて九鼎を鋳造して以来、久しく建国を象徴する宝物であり、陶磁器・玉器より重要文物であった。
西安郊外宝鶏銅器収蔵家旧蔵。ブランテージコレクションに同品が知られる。

参照 : DK-414
● 時代 : 明時代
● サイズ : 高さ 12.5cm×幅 6cm
● 価格 : \ 問い合わせ

鍍金細線でもって花弁形に形成し、赤瑪瑙と四個の緑松石を嵌め込む。

参照 : DK-408
● 別角度画像 → 裏面側面内側底面拡大 ● 別角度画像 → 裏面拡大側面

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