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▼ DK-426 ▼ DK-427

青銅春宮鏡

青銅海獣葡萄鏡
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 19cm×高 2cm、重量 1000g
● 価格 : \ 問い合わせ

鈕の周囲の円圏内と周縁に蔓草文、間には異形性交態様の人物が4ヶ、間に異形裸体四女性が蔓草文とともに鋳出される。盛唐時代の鏡の文様は思想性が影を潜め、これに代わって人々の趣向を敏感に反映した写実性・装飾性に富んだ図柄が持て囃される様になるが、本鏡もその一つ。中国の鏡の最後の最盛期が始まる。青銅に含まれる錫分が多いために白銀色。婚姻調度品とも考えられる。類例を知らない図柄。
後漢時代(AD25〜220)から種々の性交体位が装飾された春銭が有り、嫁入り道具として清代まで使われている。

参照 : DK-199
● 時代 : 初唐時代
● サイズ : 径 13.5cm×厚み 1cm、重量 520g
● 価格 : \

中央に付く鈕は前足を前方に出し、後足を畳んだ伏獣形で表現され、鈕座は無く、伏獣鈕の囲りに張り巡らされた葡萄唐草の中に六体のさん猊を配する。外区は全体に葡萄唐草文と鳥が配置される。全体の鋳上がりは精緻で極めて良好。

参照 : DK-370DK-339
● 別角度画像 → 裏面拡大側面 ● 別角度画像 → 裏面拡大側面

▼ DK-424 ▼ DK-425

青銅銀錯緑松石嵌剣

青銅剣
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 長さ 60cm×剣身幅 4cm
● 価格 : \

柄茎と柄には獣面が装飾され、眼等には緑松石が嵌め込まれている。剣身は剣先まで山形文が整然と銀錯され、両身同文12文字銘の刻が施されている。戦国時代、軍事の後方業務が戦争の勝敗に係る重要な要素になったため、各国は中央と地方に武器庫を設けて武器を管理した。武器庫では武器も生産し、随時調達に供した。山形紋様は高錫合金の粉末をペースト状にした金属を表面に塗装して工芸処理をした効果であり、早くも2500年前に中国においてこの種の特殊かつ精密な表面合金加工技術が会得されていたことは驚きである。
呉には干将と莫邪という夫婦の名匠がいて、越には欧治子という鋳剣の名人が鋭利な剣を作り出した。
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 長さ 56.5cm×幅 4.8cm
● 価格 : \ 問い合わせ

古来の戈や戟を操る馬車戦から接近の騎馬戦となるにつれ、剣が普及することとなる。剣首と剣格には細微な雲気文が彫り出される。剣柄に糸を巻いて太くし、掌にしっかり納まるようにして使用した。くびれは深く刺すことができ、刺殺を容易にする工夫。漢代に鉄剣が流行するや青銅剣は次第に姿を消していった。
春秋期、名剣とうたわれた欧冶子や莫耶の剣をはじめ、呉越の製作技術が抜きん出、越王句銭の剣や呉王光の剣などが遠く山西省でも出土している。

参照 : DK-235
● 別角度画像 → 裏面柄部剣先拡大 ● 別角度画像 → 裏面柄部剣先拡大

▼ DK-422 ▼ DK-423

青金石玉嵌銅鏡

踞坐俑銅勺
● 時代 : 戦国時代中晩期
● サイズ : 径 19cm×厚み 2cm、重量 1080g
● 価格 : \

伝河南省洛陽金村出土のハーヴァード大学フォック美術館収蔵品が類品として著名。
ラピスラズリを欧米ではウルトラマリンと呼んだ。19世紀にフランス人ギメが人工ウルトラマリンを作り出すまで、ラピスラズリは時間が経っても退色しない唯一の青の天然顔料だった。世界のどの場所でも、金銀と同等の高値で取引されていた。日本では「瑠璃」と呼ばれた。

参照 : DK-092
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 長さ 37.5cm×口径 8cm
● 価格 : \ 問い合わせ

参照 : DK-299
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▼ DK-420 ▼ DK-421

咬獣文金帯鈎

鞘付青銅剣
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 4cm×幅 12cm×奥行 12cm
● 価格 : \

剣を握る狩人が虎に襲われ倒れた様を写実的に表わす動物闘争文。裏板上に立体的膨らみを持つ。虎・人物の造形を組み合わせ、牛の体表には緑・赤・青玻瑠・緑松石・金の半円を数箇所に装飾。眼は赤玻瑠を埋め込み、人物の体表と共に極小金粒で飾る華麗な帯鈎。金(24K)製。DK-382と同墓より出土。
動物闘争文はスキタイを始めとする北方遊牧文化特有なもので、基本的形状は漢時代からあるもの。

参照 : DK-156
● 時代 : 春秋戦国時代
● サイズ : 鞘共/ 長さ 70cm×幅 5.5cm
: 剣  / 長さ 68cm×幅 5cm
● 価格 : \

呉越の造り出す剣の技術は中原より遥かに優れ、後に天下を統一した秦の始皇帝は呉越の名剣を手に入れたく二百七十年後に名剣コレクター呉王こうりょ(前496没)の三千剣を求めて墓を暴いたことは知られる。鞘は糸が巻かれた上を黒漆で固め、朱漆で神獣雲気文を描いている。刃先は今なお鋭利な円茎剣。
春秋晩期から戦国にかけては青銅剣の最盛期であったが、漢代に鉄剣が流行するや次第に姿を消していった。文献には秦人は戦いで鉄製武器を大量に使用したとあるが、始皇兵馬俑坑から出土するのは全て青銅器であって、これはおそらく青銅の武器が精巧に作られ美しく輝いていたため、儀杖や待衛の使用に適していたからであろう。その頃青銅は美金、鉄は悪金と呼ばれていた。

参照 : DK-329
● 別角度画像 → 裏面拡大側面 ● 別角度画像 → 裏面拡大1拡大2

▼ DK-418 ▼ DK-419

青銅鍍金舗首

青銅鍍金銀狩猟動物文酒尊
● 時代 : 戦国〜漢時代
● サイズ : 高さ 6cm×幅 4cm×奥行 2cm
● 価格 : \

環を銜えた獣面を舗首という。これらの飾りは扉の引き手、漆太鼓・漆漆器・漆棺類の装飾として用いられた。怪異な獣は鬼神でもあり、その霊力で邪悪なものを退ける役を負った。地域により、時代により多種多様な形体表現がなされている。
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 高さ 23cm×幅 20cm
● 価格 : \ 問い合わせ

前漢時代の主要な器形の一つ。緑・褐釉陶や彩画陶としても作られ青銅器にも遺品が多い。従来、鏡などの粧具類を収める容器の「れん」と呼ばれた器形であるが、「れん」は近年の漆製出土品でも明らかなように器と同じ深さの蓋がすっぽりと覆い、無足の容器である。一方、本器と同制の青銅器に「温酒尊」という自銘を持つ出土品があり、元来は酒を温めるための器であったことが知れる。三足は火にかけるために付けられたものであり、その小ささからすれば炭火を入れた炉が用いられたであろう。客に供する時は火から下ろし承盤に乗せて出され、勺が添えられたその様子は画像石などの描写に暫々見受けるところである。酒ばかりでなく羹(スープ)を入れて供されることは象嵌・鍍金(銀)・彩画の三種があるが、この器には鍍金・銀が施されている。身部は熊・兔・鳥・虎・牛・鳳凰類を浮彫りし、それぞれに鍍金銀が施され、左右には舗首が付き、熊足3ヶで支える。蓋は多くの峰の重なる博山炉の形で、山岳紋様の中に騎上狩猟文・動物文を表わし鍍金している。神仙の世界であろう。鍍金銀という最高に華麗な装飾、多様な生き生きとした動物文と類品を見ない豪華さは富家の品。
1962年山西省右玉県大川村出土の類品は河平3年 (BC26)銘。

参照 : DK-217CK-049
参照本 : 中国文物精華 1992別冊太陽 台北故宮博物院
● 別角度画像 → 拡大分割裏面 ● 別角度画像 → 裏・側面拡大底面内側蓋部

▼ DK-416 ▼ DK-417

青銅鼎

青銅鍍金如来坐像
● 時代 : 西周時代早期(紀元前11世紀〜前10世紀)
● サイズ : 高さ 23cm×幅 17.5cm
● 価格 : \

身は平たくやや下膨れであり、肩部には龍文が表わされ、獣蹄形脚部に獣面文を飾り、耳が立つ。西周早期の青銅器の特色を持つ。端整厳粛な宗教的雰囲気、神秘的険しさを持っており、重厚で美しい。饗宴の際は、主人の地位・階級によって厳格な規定があり、天子は9鼎、卿は7鼎、大夫は5鼎、士は3鼎と定められ、それによって「上下を別ち、貴賤を明らかにす」る標識とした。最大の鼎として知られる高さ102cmの大盂鼎はこの形式。
礼器は大きく、酒を盛る盛酒器・盛食器・調理器・飲酒器・楽器に分けられるが、鼎は食にかかわる礼器の中心であり、伝国の宝器・王の徳と覇者の象徴ともいうべきものであったし、中国の文化においては法統(国家継承の正統性)の象徴である。三代(夏・商・周)では鼎を実際に国家を継承するものとして用いたが、秦の始皇帝が正統性を欠いていた為に三代の九鼎はみずから泗水に沈み失われた。それ以後、中国では御璽で国を伝承するようになった。しかし中国人の精神上では鼎は依然として法統である事に変わりはない。
青銅器の製造は西周の主な手工業であり、陶器製造同様細かく分業され「百工」と呼ばれていた。奴隷主は手工業を独占し、奴隷は常に懸命に働いていた。青銅器上には周の天子が一貴族に褒美として1700人以上の奴隷を与えたり、奴隷主から5人の奴隷を馬一頭と糸一束とで交換したとか記載されている。
参照 : DK-286
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 16cm×幅 5cm×奥行 4.5cm
● 価格 : \

台座・仏身・光背の三つで構成されている。仏の顔は丸みがあり、肉髷が高く、広い肩で細い腰。厳かに慈悲深い表情をしている。身には右肩と右腕が露出する。途中が細くなった蓮華座に結跏趺する。周辺に火炎を飾る光背が付く。全体整っていて、鍍金が輝いている。
● 別角度画像 → 裏面側面底面拡大内側 ● 別角度画像 → 裏・側面拡大底面

▼ DK-414 ▼ DK-415

青銅人面方鼎

銅鍍金無量寿仏
● 時代 : 商時代後期(紀元前11世紀)
● サイズ : 高さ 33cm×幅24.7cm×奥行 16.8cm
● 価格 : \ 問い合わせ

立耳を持ち、器腹は深く、柱足が付く。器腹には人面を飾っており、人面の耳の下には手爪がある。柱足の上部には饕餮文、下部には弦文を四本飾っている。器腹の四隅と足の上部には突稜が付いている。
鼎壁に人面を主題とした装飾を施すのは、かって湖南省博物館蔵「大禾人面方鼎(内壁に大禾の銘がある)が唯一の例であった。黄帝四面伝説に関係があると考える中国の学者もいる。人面は頬が高く、その表情は厳粛であり、高い芸術的価値を持つ。方鼎は商後期から西周後期まで製作された。現在知られている超特大の鼎には方鼎が極めて多い。商周時代の礼器の器である青銅彜器(当時の支配者層が定期的に行う祖先祭祀を初めとする様々な祭祀や、これに伴なう賓客のもてなしに用いられた器)の中でも筆頭にあげられる重要な器種が鼎であって、祖先の霊に供える肉を入れるのに用いられた。
中国の青銅器を著録する古い書物によく「地下愛宝」という言葉を見るが、この「地は宝を愛します」とは私達が捜し求めさえすれば大地はその中に蔵した宝物を惜しむことなく私たちの前に開き示してくれるというのである。近年の青銅器に限らず、あらゆる分野にわたる中国発掘品の成果を見ていると、この言葉に偽りの無いことを痛感する。嬉しい悲鳴とはこの事だ。
内面底に数文字の銘文が見られる。漢の武帝は、周朝の古い鼎を得ると年号を改め、天下に罪人を許す大赦を行ったことが知られる。
商の奴隷職人は、銅と錫と鉛を一緒に入れ青銅を精錬したが、炉の温度は1000度前後にまで達した。溶かした液状の青銅を陶の鋳型に注ぎ、青銅器を鋳造した。西安郊外宝鶏銅器収蔵家旧蔵。

参照 : GK-321
参照本 : 中国美術全集C 青銅器@
● 時代 : 清朝時代(19世紀)
● サイズ : 高さ 14cm×幅 9cm×奥行 6cm
● 価格 : \

厚い鍍金・宝冠・飾り部の数ヶ所に緑松石を象嵌する西蔵仏。

参照 : DK-125
● 別角度画像 → 裏面側面底面拡大内側 ● 別角度画像 → 裏・側面拡大底面

▼ DK-412 ▼ DK-413

銅鏡

青銅鍍金仏
● 時代 : 宋時代
● サイズ : 径 3.5cm×厚み 0.3cm
● 価格 : \ 10,000

「庄蔵陽光」銘の寸鏡。清時代初め頃にガラス鏡に取って代わられるまで、銅鏡は日常用品として広く普及し続けた。
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 8cm×幅 2cm×奥行 1.5cm
● 価格 : \

光背頂上に化仏が装飾され、光背・顔・衣紋など鏨も鋭く刻され、鍍金も厚く小品勿ら佳品である。

参照 : DK-294DK-111DK-035
● 別角度画像 → 裏面拡大側面 ● 別角度画像 → 裏・側面拡大底面

▼ DK-410

▼ DK-411


蟠ち文鍍金鏡

金胴観音菩薩五尊像
● 時代 : 戦国末〜秦時代
● サイズ : 口径 11.8cm×高さ 0.8cm、重量400g
● 価格 : \ 問い合わせ

円圏鈕座のまわりに絡縄帯・凹面圏帯・細線帯がそれぞれめぐり、その外側に主文が配される。地文は細微な線の雲雷文地で、その上に蟠ち文が施される。蟠は口を開け、細長い胴尾を頸の両側に展開させ、横の菱形に繋がる。細い浮彫形式で表現され、中に細い沈線で目・牙・爪・羽状飾などを入れる。これを単位として三回繰り返している。細い胴の中に細い沈線が入る形式は秦代に多く見られる。内面全体を鍍金する作品は極少。

参照 : DK-362
● 時代 : 北魏時代 太和13年(AD489)
● サイズ : 高さ 16.3cm×横 8cm×奥行 4cm
● 価格 : \

主尊は頭に高い宝冠を戴き、両脇は蓮花座上の二仏とともに四脇侍菩薩が立つ。像の背後には蓮弁文の頭火と火焔文の挙身光背が付く。光背面には「太和13年3月○九○○○○○○○○法生○○父佛」の紀年銘が刻される。鍍金が厚くかかる。
● 別角度画像 → 裏面拡大側面 ● 別角度画像 → 裏・側面拡大1拡大2底面

▼ DK-408 ▼ DK-409

楼閣人物鍍金簪

透彫龍文鍍金方鏡
● 時代 : 明〜清時代
● サイズ : 高さ 15cm×横 6cm×奥行 1.5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

葉形地上に立体的効果を狙い細銀線でもって幾層の楼閣を形成。正面は七人の人物と四囲を飾る花を、裏面は七宝繋ぎ文を細微な透細工で造っている。富家女性は金製であったことは今の時代も同様。簪のほか、明朝の女性達は金銀の装身具を付けるのを好み華やかさを求めたため、金銀装飾品製作の一大躍進となった。明朝の皇帝は服飾についても厳しく等級づけ、庶民の衣服や装飾に関する禁止を出したが、社会の発展はこの種の規定によって制限できるものではなかった。

参照 : DK-262DK-271
参照 : 中国美術全集I 金銀器・ガラス器・琺瑯器
● 時代 : 戦国時代中期
● サイズ : 径 11cm×厚み 0.5cm、重量 280g
● 価格 : \

透彫文様を持つ鏡背面に、厚さ3ミリほどの鏡面板を嵌め込む二重体鏡。透彫紋様は四葉文を中心として相対する龍が四頭。鍍金が施され、龍の体表面・四葉には線刻が施される。二重体鏡は春秋後期から戦国後期にかけて製作されたが、遺品は極めて少ない。すこぶる華美な作品。

参照 : DK-233
● 別角度画像 → 裏面拡大側面 ● 別角度画像 → 裏面拡大側面

▼ DK-406 ▼ DK-407

金銀象嵌獣雲文銅盤

鍍金蝶簪
● 時代 : 戦国時代後期
● サイズ : 高さ 4cm×径 24.7cm
● 価格 : \

内面中央部の四葉文を中心として複雑に絡み合った龍文と雲文が、側壁と広縁には龍文が金・銀錯で密に華麗に装飾される。ち虎文形状は戦国時代後期〜秦時代の鏡に見られるもの。料理を盛るための器の形状であり、一般実用品は漆器であった。宮廷の注文品であろう。豪華な好尚は工芸の発逹をうながした。
類品は永青文庫蔵 国宝「金彩鳥獣雲文銅盤」が知られ、これは筆を用いて金で描いている。10年がかりで洛陽収蔵家から入手。

参照本 :
@ 吉祥 − 中国美術に込められた意味
A 永青文庫 細川家の名宝
B 世界四大文明 中国文明展
● 時代 : 明時代
● サイズ : 高さ 6.5cm×横 17.5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

細鍍金銅線でもって翅を形成する蝶の2点組簪。差棒の先端には緑松石玉・金輪が付けられ揺れ動き、留め飾りは8個の緑松石半球が嵌め込まれ、華麗な簪としている。蝶は華麗な飛翔と色鮮やかな容姿から美の象徴であり、対になって戯れながら舞う双蝶は相思相愛を表して幸福な結婚生活の寓意である。

参照 : GK-094DK-252
● 別角度画像 → 裏面拡大底面 ● 別角度画像 → 裏側拡大分割

▼ DK-404

▼ DK-405


玉嵌双鸞瑞花八花鏡

貼銀鍍金海獣唐草文八陵鏡
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 15.5cm×高さ 1.5cm、重量 540g
● 価格 : \

鈕の左右に双鸞を配する八花鏡。紋様を削り出した白玉板を嵌め込んだ新資料珍品。鈕下には瑞花、外区には小花文を配し、外区との境界線は銅線を埋め込んでいる。
唐の玄宗は常に百官に鏡を下賜した。また銅鏡は当時の娘が必ず準備した嫁入り道具でもあった。

参照 : DK-169DK-092
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 径 18cm×高さ 2cm、重量 1240g
● 価格 : \ 問い合わせ

鈕の回りには四本の瑞花を配し、間に姿態の相違するサン猊を厚肉浮出し、街区には蝶と忍冬文を配し、地は細密に乱れの無い魚子文を打つ。鍍金した銀板を貼付した鏡。厚手の鏡体で、周縁に沿うような形で幅広の外区をつくる。八陵形の切り込みや尖った先端部がシャープな傍ら、内部に表わされた紋様はダイナミックで躍動感に溢れ見映えのする作品としている。この種の遺品の中でも最高位に位置付けられる作例といえよう。繊細で優美な雰囲気は同時期の金銀器とも相通じ、盛唐期鏡の成熟度を表わしている。
獣は「海獣」と呼んでいるわけであるが、そう呼ぶべき確たる根拠は無い。むしろ鬣や尾の様子からすればライオンを不正確に模したと見るほうが良い。近時洛陽郊外墓出土であり、西安や洛陽はその地がしばしば国家の首都となった関係から、未だ出土遺物の宝庫である。

参照 : DK-360
● 別角度画像 → 裏側拡大側面 ● 別角度画像 → 裏側拡大側面

▼ DK-402

▼ DK-403

青銅虎符

鍍金歓喜天
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 4cm×横 10cm×奥行 1.5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

符、すなわち割り符は二つに割って分有し、必要時に合わせて二者の信用を確認する為のもの。漢時代には竹使符と銅虎符とがあった。朝廷と各郡とで分け持ち、軍を動かすときには朝廷から虎符の片側を携えて使者が発つ。郡に至って二符が合致すればはじめて兵を発した。虎の背には所属の郡名を刻み、これが左右に分かれる。一方の内側にはほぞ、他方の内側にはほぞと合致するほぞ穴が設けられており、左右の文字とこのほぞの合致によって信が確かめられた。「符合」という言葉の由来である。戦国時代実施された兵符制度は、秦が中国を統一した後もそのまま用いられた。
銘文は「甲兵之符右」 「在君左在杜」。「杜」は地名で咸陽の西北約100kmにある「杜陽」(現在の麟游付近)。
北京国家博物館には陽陵虎符といわれる秦始皇帝が全国を統一した後に、陽陵駐守将領の兵符としたものがる。二つが合って、はじめて地方官は兵を出すことができた。
隋代になると虎の形は立った姿に変わった。唐代では高祖李淵の祖父李虎の名を避けて銅獣符と呼ばれる。

参照 : DK-264
参照本 : 秦の始皇帝とその時代展
● 時代 : 清朝時代(18世紀)
● サイズ : 高さ 6cm×幅 4cm×奥行 3cm
● 価格 : \

大聖歓喜天の略で聖天とも言う。厚い鍍金が施されている。
● 別角度画像 → 前後内側外側拡大裏側 ● 別角度画像 → 裏・側面拡大底面

▼ DK-400 ▼ DK-401

青銅刀子

鍍金臥獅子文銀盤
● 時代 : 西周〜春秋時代(前9〜7世紀)
● サイズ : 長さ 17.5cm
● 価格 : \ 80,000

柄頭として虎の全身像が付けられている動物を飾る刀子は初期遊牧民文化の早い時期にユーラシア草原地帯の様々な地域に見られるもの。兵士でも猟師でも皆短剣を身に付けた。それは身を守るにも飲食時の道具としても使うことが出来た。後漢時代になると北方遊牧民族の特色を示す青銅器は急速に減少する。
完全な鉄器時代に入って利器類が全て鉄で作られたこともあり、特徴的な青銅器としては帯金具(参照:DK-261、DK-127、DK-023)とフクが目立つだけとなる。

参照 : DK-376DK-188
参照本 : 大草原の騎馬民族 - 中国北方の青銅器
● 時代 : 唐時代(8世紀)
● サイズ : 高さ 2.5cm×径 25cm
● 価格 : \ 問い合わせ

六曲花弁形、平縁銀盤。内中央部には咆哮する獅子を裏側から打ち出し、平縁部には花の文様を打ち出し。側面にかけては、牡丹文を線刻する銀板の鍛造(打ち出し)。全体を鍍金する。
獅子の主題は西アジア・ヘレニズムやローマ由来のものであり、盤全体の雰囲気は一件ササン朝早期、或いは東ローマのものを思わせ、このような中国各地で出土した金銀器は技法や文様表現からササン朝ペルシャ・中央アジアのパクトリア・ソグドなどで製作されたものである可能性も考えられる。

参照本 : 中国美術全集I 金銀器・ガラス器・琺瑯器

● 別角度画像 → 表裏刃先柄部 ● 別角度画像 → 側面拡大裏面

▼ DK-398 ▼ DK-399

銅車馬

青銅鍍金舞馬銜杯文壺
● 時代 : 後漢時代(25〜220)
● サイズ : 高さ 9.5cm×横 14cm×奥行 8cm
● 価格 : \

一頭の馬に轅一本の二輪車を繋ぐしょう車。輿の前部には御者が跪坐している。後部の箱には円形の屋根が付いており、屋根の文様は中央にち虎文を、周囲には四頭のち虎を陽刻している。馬の体表にはち虎文が刻されている。
漢時代を思う幽情をかきたてる遺物であり、このような品を我手に出来る現代は何と夢のような醍醐味・幸せといえよう。

参照 : DK-288

● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 17cm×幅 11.7cm×奥行 9.3cm
● 価格 : \

銅の錆色と鍍金の色の対比が美しい。馬上を家とした契丹族にとって、水やミルクを常に携帯しなければならなかったため、革で袋を縫って鶏冠壺と呼ばれる袋を作った。磁器製の副葬品と違い、実用品であったのであろう。杯を銜えた馬は唐の玄宗皇帝の宮廷行事に舞馬を盛んに行ったといわれ、こうした姿を写実的に写し出したものであるが、天宝年間((742〜55年)以後は禁止されたという。
銀製鍍金の類品は、西安南部の何家村で唐時代の窖蔵から発見され、初めて玄宗が楽しんだ舞馬の具体的な姿がわかった。。

参照 : DK-167
参照本 : 遣唐使と唐の美術
● 別角度画像 → 裏面前後底面上部 ● 別角度画像 → 裏側側面底面拡大

▼ DK-396 ▼ DK-397

銀貼青銅鼎

銅鍍金跪坐人像
● 時代 : 春秋戦国時代〜漢時代
● サイズ : 高さ 22cm×横 27cm×奥行 22cm
● 価格 : \ 問い合わせ

獣文と花唐草文を打ち出し、地は魚子文で埋める銀板帯を胴面一周に嵌め込む鼎。殷・西周時代の礼器の体系をそのまま継承したものに鼎がある。鼎は肉類の煮炊きの器として炭火や火にかけられ、食にかかわる礼器の中心であった。
● 時代 : 殷時代後期(BC13〜11)
● サイズ : 高さ 15.5cm×横 6.5cm×奥行 5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

三星堆文化。
薄銅板で形成し、鍍金を施している。厳粛な祭祀の姿勢であるのか、何かへの服従を表わしているのか、又客人を迎える姿勢であるのか、色々と想像できる。

成都平原の統治は、BC4世紀に秦の恵王によって滅ぼされるまで連綿と続いた。その後彼らの末裔は、南方のベトナムへと落ちのびていった。
参照 : DK-243
● 別角度画像 → 側面拡大裏側内側底面 ● 別角度画像 → 裏・側面拡大底面

▼ DK-394 ▼ DK-395

単輪六環銀鍍金錫杖

金貼鳥獣文方鏡
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 長さ 33.5cm×横 9.5cm
● 価格 : \

サンスクリット語 Khakkhara の訳語、また「声杖」 「鳴杖」とも訳す。仏教の法器。比丘十八物の一つでもあり、暫々供養具にも転用される。
1987年法門寺塔基地宮後室より3件の錫杖が発見され、一個は同型品。それらは法門寺の舎利に対する信仰の広がりとともに、密教を介した当時の中国と日本との結びつきを辿る事ができる資料。日本の仏像では千手観音像、僧形八幡坐像が錫杖を持物としている。

参照 : DK-247DK-146
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 1.5cm×径 14cm、重量 440g
● 価格 : \

純金で装飾された外区には鳥文と唐草文を、内区には獣文と草花文を主文様とし、地は鎮珠を細密に埋め込む。鈕はアカンサス文を金線で、地は鎮珠、周囲は金玉で装飾する。鳥・獣文は打ち出し、唐草文・草花文は金細線で形成されている。金板が面取り入隅形の青銅板に嵌め込まれた宝飾背鏡。中国は黄金の産出量がとても少ないので、古代より金製品は少なく、玉が最も貴ばれたのも幾分かその理由があろう。

参照 : DK-310
● 別角度画像 → 裏面拡大 ● 別角度画像 → 裏側拡大側面

▼ DK-392 ▼ DK-393

青銅金銀貴石象嵌虎鎮対

青銅鍍金舗首対
● 時代 : 前漢時代前期(前206〜前100年頃)
● サイズ : 高さ 5cm×幅 7cm
● 価格 : \

前漢時代初期には都城に隣接し、宮廷の動物園かつ狩猟地でもあった上林苑は、その規模を増し重要性も高まった。帝国のミニアチュルと考えられたこの苑林は、皇帝とその延臣達が当時知られていた様々な種類の動物を観察し、それらについて学ぶことができた。
平伏した猪が獰猛な虎に打ち負かされる様子を表わしている。虎の3本の足は猪の肉に強く食い込み、牙を剥き、猪の方に近い背骨付近に噛み付いている。虎・猪の体表には金・銀・緑松石・緑瑪瑙・赤瑪瑙の縞紋様を、目にはオニックスを象嵌する。円盤の周囲にも緑松石、赤・緑瑪瑙の半円が象嵌されている。この豪華な品物は敷物の4隅を押さえるという実用的な機能を持っていた。床の上に織製敷物を敷き、人々はその上に足を組んで座したもので、これらは宴会に用いられたと見られるが、更に墓内に置かれることもあった。ミホミュージアムに類品が知られる。

参照 : DK-379
参照本 : MIHO MUSEUM 南館図録
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 8cm×幅 9cm×奥行 5cm
● 価格 : \

鋳成後、鏨で彫刻・整形し、厚い鍍金が見事に掛かる。肉厚である。下げ環は紛失している。

参照 : DK-210
● 別角度画像 → 裏・側面拡大底面 ● 別角度画像 → 本体拡大裏面

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