| ● 時代 |
: 唐時代 |
| ● サイズ |
: 高さ 13cm×幅 10cm×奥行 7cm |
| ● 価格 |
: \  |
造形は、同時期の中国北方草原少数民族が使用していた皮袋壺を真似て、扁円体とする。壺口の上には覆蓮形の蓋、把手は弓形を呈し、蓋と把手は鎖で繋がれている。平らな底の下には楕円形の圏足が付いている。壺腹の両面にそれぞれ杯を銜えた舞う様な姿の馬の文様が打ち出され、首にリボンを結び、前足は空を踏み、腰を落としている。
玄宗の時代から8月5日の天子の誕生日を祝う千秋節(天長節)が始まり、最大の呼び物はよく調教された白馬が「傾盃楽」などのメロディーに乗って首を震わせ尾を動かして舞うことだった。三重の板状の上や壮士が差し上げた長椅子の上で舞い、口には献寿の盃を銜えていたという文献の記載を裏付ける資料といえよう。銀製・鍍金の作品は知られるが、金鍍金作品は初見。厚い鍍金が見事。
唐時代には「金銀の食器は不死を得るべし(金銀食器を使えば死なずに済む)」 という思想が加わったことで、金銀器を日常生活用品としてだけでなく、さらには豊かで美しい工芸品たらしめた。
参照 : DK-167
参照本 : 中国美術全集I 金銀器・ガラス器・琺瑯器 |
| ● 時代 |
: 唐時代 |
| ● サイズ |
: 高さ 0.7cm×径 4.5cm |
| ● 価格 |
: \  |
袖珍鏡などとも呼ばれる、今で言えばコンパクトにあたるような小型の鏡。分厚い六花形の周縁をした素文の鏡に、文様を打ち出した銀板に金メッキを施して嵌め込んでいる。中央の鈕と鳥や獣は背面から槌で叩いて銀板を延ばして浮彫風に浮び上がらせたもので、地には極小の魚々子と呼ばれる小円をぎっしりと打って敷き詰めている。唐代は西アジアから流入した金銀器の製作技術が頂点を極めた時期で、本鏡はその技術が鏡に導入されたもの。銀貼鏡は平脱鏡・螺鈿鏡と共に宝飾背鏡とも称される。盛唐代には単なる鋳造の青銅鏡には表現できない、一層の装飾性と色彩的華やかさが鏡に求められたものと思われる。文様・魚々子の打ち出しは精微であり、白銅地・錆色と鍍金色の対比が美しい。銅鏡鋳造の中心地は揚州であり、揚州の銅鏡は朝廷皇族への貢物となっただけでなく、民間においても広く賞賛されたことが文献にもよく見受けられる。
参照 : DK-082 |