| ● 時代 |
: 戦国時代後期 |
| ● サイズ |
: 径 15.5cm×高さ 0.7cm、重量330g |
| ● 価格 |
: \  |
細かな渦文と雷文を無作為に描き分けた緻密な地文の上に、連続の龍文様を描く薄手の三弦鈕白銅鏡。前漢前期の50〜70年ぐらいの期間は、戦国期の文化的伝統が色濃く残された時期で、蟠ち文鏡も地文が次第に粗雑なものに退化してゆきながら製作され続けていた。「抱朴子」には青銅鏡を用いた仙薬の調合法や邪気から身を守る鏡の威力について述べられているので、鏡は単に化粧品の道具ではなかった。幡ち文青銅鏡は長沙馬王堆女性墓の持ち物として出土している。
老舗「壷中居」扱い品と桐箱貼札で知れる。 |
| ● 時代 |
: 北宋時代(10世紀) |
| ● サイズ |
: 高さ 30cm×横 22.5cm×29cm |
| ● 価格 |
: \  |
鋳銀製の棺型舎利容器。
唐時代以降、舎利容器の外容器は概ね棺型の容器を入れ子状にするのが特徴となっており、本容器もそのような伝統を踏まえた舎利容器。本来は外容器に納置されていたもの。各部はそれぞれ別々に成型された銀板を組み合わせて完成させているが、大きく分けると棺身と底部・台座・及び蓋の三つの部分からなる。棺身は両側面を構成する2枚の銀板で短い前後の面を挟みこむように組み立てており、長側辺は両端の高低差が激しく棺身の側面形も傾斜のきついものとなっている。台座には欄干が取付けられ、両側面及び正面中央に開口部を持つ以外は棺身の周囲をぐるっと巡っている。台座には格峡間を造り出し、蓋は上部をアーチ形に切り出された前後の短辺に合わせて湾曲したカマボコ形に成形。前面には両端に龍頭を持つアーチ形飾、側面には花文を一列装飾する。
各側面の装飾を見てみると、長辺2面には雷文と8人の人物(菩薩と比丘)、正面には乳釘と遊環の付いた扉を囲んでアーチ状花文が線彫り・陽刻で表されている。欄干の板部は唐草文が線彫り、下部には透かし牡丹文飾が四囲に付属する。階段状3段の2段には花唐草文が線彫りされる。蓋部は5区に別けたそれぞれに牡丹唐草文が線彫りされている。僅かな部分を残し、鍍金が施され華麗豪華である。通例に照らせば木槨の中には同形状の小型棺が入り、その中には舎利の代用品の水晶小粒を納入したガラス瓶が納められる(唐代の作品が1985年陝西省新豊鎮慶山寺址から出土している)。贅が尽くされた華麗荘厳さは舎利に対する厚い信仰のほどを教えてくれる。
釈迦が亡くなって百数十年を経たアショカ王の時代には、インド全土に八万四千基のストゥーバが建立されたと伝えられている。仏像が造り始められるのは紀元1世紀と考えられているから、仏像に対する礼拝がおこる遥か前に舎利信仰が始まっていたことになる。舎利の礼拝は、仏教における最も古い信仰の姿である。やがて舎利信仰は中国・韓国・日本へと伝わり、これらの国々でも古代寺院では舎利を塔に安置するインド伝来の伝統が受け継がれた。
参照本
:@唐の女帝・則天武后とその時代展
:A仏舎利と宝珠 −釈迦を慕う心− |