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▼ DK-390 ▼ DK-391

青銅獣面文平底双柱爵

彩漆絵銅碗
● 時代 : 商代前期(BC16〜1057)
● サイズ : 高さ 16.5cm×幅 14cm×奥行 8.5cm
● 価格 : \

青銅器は、新石器時代後期には中国西北部を中心に華北各地に現れるが、青銅の容器が作られ始めるのは二里頭文化になってから。長城地帯の北方青銅器文化が銅剣などの武器を中心とするのに対し、二里頭文化や殷代の青銅器は容器が主体。この青銅容器のことを青銅彝器と呼ぶ。儀礼に用いられた彝器は、元々新石器時代以来の白陶や黒陶からなる「き」や「か」といった酒器が青銅器に置き換わったもの。二里頭文化では、酒器を中心として青銅彝器が身分を示す礼制の要となった。
現在中国では、国家をあげて夏・殷・周三代を科学的に証明しようとしている。国家的プロジェクトを立ち上げて夏王朝の存在を証明し、殷周の暦年代を証明することは現代中国の国家的威信を高め、中国国民のアイデンティティを確率する試みでもある。二里頭遺跡の宮殿区が夏王朝の都であるとする中国考古・歴史学会の見解に対して、それと同時代の文学史料から論証されねば王朝の存在を認められないとする日本や欧米の研究者との意見の違いが見られる。爵は平底形に始まり、西周になると殆どが丸底となる。胴部饕餮文も含めて優美と力強さを兼借し、最も優れた青銅器が作られた時期の特徴を示している。

参照 : DK-257
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 高さ 10cm×口径 19.5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

薄い銅板でもって半円鍔縁碗を形成。総体に黒漆を塗り、外側面2節の上段には虎を始めとする怪獣と瑞獣を。下段には平縁同様の交差直線紋を、朱・黄漆で描く。紋様は細かく丁寧に美しく描かれている。軽量である。
● 別角度画像 → 裏側拡大底面 ● 別角度画像 → 左右裏面拡大内側底面

▼ DK-388 ▼ DK-389

銅車馬

青銅鍍金鳳凰
● 時代 : 後漢時代
● サイズ : 高さ 8cm×幅 20cm×奥行 12cm
● 価格 : \

この車は二輪で轅は一本、それに四頭の馬を繋いでいる輿の前部には、御者が手綱を握って跪坐し、冠を着けている。御者の後部には箱があり、頂部には楕円形の屋根が付いている。屋根の文様は柿葉文を中心として4区に別けられ朱雀・龍文が、箱の後部は鬼面、左右部は龍文、馬の体表はち虎龍文が刻されている。
秦始皇帝兵馬俑からは本器と同形態、実物2分の1縮尺の銅車馬ともう一台同時出土している。本器は安車(座って乗るようになっている)であり、秦王朝の最高級馬車。始皇帝の巡遊専用車であった。
小品ながら、精微な造りである。古代の車制の研究にとっても重要な価値を持つといえる
実物は車と馬とに3400以上の部品が使われている。始皇帝は在位期間の3分の1ほどを巡行に費やした。馳道という幅3車線の皇帝専用道路を全国に建設した。

参照 : DK-288
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 高さ 30cm×幅 16cm×奥行 12cm
● 価格 : \ 問い合わせ

翼を広げた姿の鳳凰(朱雀)は漆器や画像石に数々見られるが、陶器・青銅器にも立体的な像がある。博山形の香炉や温酒尊の頂部にはばたく鳳凰、灯盤を銜えた姿の鳳凰など。融節円筒形上花の蕾に乗る。厚い鮮やかな鍍金と相俟って、原器は時代の頂点を示す華麗さを備えていたものと想像され、胸の張り・足爪・翼の力強い表現は彫刻としても優れた作であったことを示している。本品の大きさから相当高い神樹の装飾の可能性もあるし、儀式で用いられたのであろう。造形からみて、三星堆文化の流れを汲む。冠部が損傷。

鳳凰は「鳳皇」とも書き、瑞鳥・神鳥・麒麟・龍・亀と共に「四霊」の一つ。全ての鳥類を生んで「百鳥の祖」としてきた。中国古代思想の陰陽を併せ持ち、陰陽を一体化した存在であり、仁愛と慈悲の象徴・輝く黄金色の雉の翼と絢爛たる孔雀の尾を具え、蒼鷺の如き姿という。昼は「善哉、善哉」と鳴き、夜は「凶吉、凶吉」と鳴くという。

参照 : DK-349
● 別角度画像 → 上部底面拡大分割 ● 別角度画像 → 裏・側面拡大底面

▼ DK-386 ▼ DK-387

獣面銅鉞

青銅舗首対
● 時代 : 商代後期(BC13〜BC11世紀)
● サイズ : 高さ 21cm×刃幅 21.5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

鉞身には怪獣面が透彫りされている。内(刃部と反対の方向にのびた柄を装着する部分の名称)は扁平で雷文が装飾され、下部には4文字が刻される。鉞は惨殺に用いられ、権力を象徴するものであった。このため鉞身は凶悪で恐ろしい人面や饕餮文で飾られていることが多い。「王」という漢字は刃を下に向けた鉞を象った象形文字であるという。諸侯が王から鉞を賜るのは刑罰を行う権が王から臣下に授けられることを象徴的に示すものであった。

参照 : DK-183
● 時代 : 戦国〜漢時代
● サイズ : 各 高さ 20cm×幅 11.7cm
● 価格 : \ 問い合わせ

門扉・棺等器物の引き手金具。大きな丸環を花部分で咥え、下にも小鬼面が付属する。怪異な獣は鬼神でもあり、辟邪の意を持つ。眼には紅玉髄が嵌め込まれ、丸環を始めとする全面に細刻模様が施される。鉛を多く含む白銅質。地域・時代により多種多様な形態表現がなされている。背面には凸状取り付け具が施されている。舗首は商周青銅器に大きく表わされた饕餮文の名残りと考えられる。

参照 : DK-210
● 別角度画像 → 裏側側面拡大 ● 別角度画像 →本体裏側分割拡大

▼ DK-384 ▼ DK-385

青銅鍍金舞馬銜杯文壺

貼銀鍍金鳥獣文六花鏡
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 13cm×幅 10cm×奥行 7cm
● 価格 : \

造形は、同時期の中国北方草原少数民族が使用していた皮袋壺を真似て、扁円体とする。壺口の上には覆蓮形の蓋、把手は弓形を呈し、蓋と把手は鎖で繋がれている。平らな底の下には楕円形の圏足が付いている。壺腹の両面にそれぞれ杯を銜えた舞う様な姿の馬の文様が打ち出され、首にリボンを結び、前足は空を踏み、腰を落としている。
玄宗の時代から8月5日の天子の誕生日を祝う千秋節(天長節)が始まり、最大の呼び物はよく調教された白馬が「傾盃楽」などのメロディーに乗って首を震わせ尾を動かして舞うことだった。三重の板状の上や壮士が差し上げた長椅子の上で舞い、口には献寿の盃を銜えていたという文献の記載を裏付ける資料といえよう。銀製・鍍金の作品は知られるが、金鍍金作品は初見。厚い鍍金が見事。
唐時代には「金銀の食器は不死を得るべし(金銀食器を使えば死なずに済む)」 という思想が加わったことで、金銀器を日常生活用品としてだけでなく、さらには豊かで美しい工芸品たらしめた。

参照 : DK-167
参照本 : 中国美術全集I 金銀器・ガラス器・琺瑯器

● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 0.7cm×径 4.5cm
● 価格 : \

袖珍鏡などとも呼ばれる、今で言えばコンパクトにあたるような小型の鏡。分厚い六花形の周縁をした素文の鏡に、文様を打ち出した銀板に金メッキを施して嵌め込んでいる。中央の鈕と鳥や獣は背面から槌で叩いて銀板を延ばして浮彫風に浮び上がらせたもので、地には極小の魚々子と呼ばれる小円をぎっしりと打って敷き詰めている。唐代は西アジアから流入した金銀器の製作技術が頂点を極めた時期で、本鏡はその技術が鏡に導入されたもの。銀貼鏡は平脱鏡・螺鈿鏡と共に宝飾背鏡とも称される。盛唐代には単なる鋳造の青銅鏡には表現できない、一層の装飾性と色彩的華やかさが鏡に求められたものと思われる。文様・魚々子の打ち出しは精微であり、白銅地・錆色と鍍金色の対比が美しい。銅鏡鋳造の中心地は揚州であり、揚州の銅鏡は朝廷皇族への貢物となっただけでなく、民間においても広く賞賛されたことが文献にもよく見受けられる。

参照 : DK-082
● 別角度画像 → 左右裏面拡大底面 ● 別角度画像 → 裏側側面拡大

▼ DK-382 ▼ DK-383

金貼玻瑠象嵌舞鳳獅子唐草文方鏡

青銅犀形帯鈎
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 1.2cm×径 9cm、重量 680g
● 価格 : \

裏面の鈕は伏獣、回りを双鳥。双鳥が巡る意匠を純金板で打ち出し、花唐草は細金線で装飾。地は1ミリに満たない極小金粒で埋める。四隅と花部は緑・赤・玻瑠を埋め、白銅方形上に装着する華麗豪華な宝飾背鏡。このような鏡は、銀器・三彩陶と共に盛唐の華とも言うべき文物。
こうした細金細工も西方から取り入れられたものと考えられ、中国では唐代以前には殆ど見られなかった黄金と赤・緑・青の玻瑠による配色が豪華さを醸し出し、華麗な唐代の文化を象徴している。高級な手鏡として使用されたもの。玻璃嵌の宝飾背鏡では、正倉院蔵(黄金玻璃鈿背12稜鏡)が知られる。

参照 : DK-310DK-304
参照本 : 正倉院のガラス
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 長さ 18.5cm×高さ 7cm
● 価格 : \ 問い合わせ

漢代当時、身近に見られた犀を的確写実的描写力で鳥首の帯鈎としている。

参照 : DK-101
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▼ DK-380 ▼ DK-381

青銅鳥貯貝器

青銅ゆう
● 時代 : 前漢時代(前206〜8年)
● サイズ : 高さ 31cm×幅22.5 cm×奥行 16cm
● 価格 : \

貯貝器は安産を象徴する子安貝を貯めておく容器。蓋の上は多くの作品には牛を配するが、本作品は蓋の中央には魚を銜える鳥が、周囲には5羽の羽根を広げる鳥が、縁には4ヶの獣面が装飾される。器身は腰が締まり孔雀が2羽、底足には3頭の鹿が付いている。器面は菱文・渦文の3段の間の2段に船に乗る人物と2頭づつの鹿・虎が繊細な線刻装飾されている。ボートレースであろう船に乗る人物は5人の漕人を含め7人裸で入墨をしている。魚と水鳥を共に表した文様は新石器時代にも見られるが、漢代には陶器や銅器だけでなく墓の建築などに用いる画像石にも屡見られ、何らかの独自の吉祥の意味を持っていたと思われる。鳥の羽毛・鹿の模様など、極めて細微な刻となっている。テン人の貯貝器の装飾は多種多様で、鋳造は非常に精巧、題材は日常生活に取材したものが多く、当地の社会状況を研究する上で非常に重要。もともとテン文化では牛が突出した扱いを受けていたが、その後虎や鹿といった他の動物象や騎馬人物像などが立体装飾として頻繁に作られるようになると牛に対する絶対的な扱いは見られなくなった。
鷺と魚を一緒に描けば「一多十餘(余)」と呼ばれ、古代では「多」は「鷺」と同じ音だったといわれる。「魚」は「余」と同音。食べるものが余るぐらいたくさんあるようにという期待が込められ、象形印章に良く使われる図案でもある。三星堆文化銅器と共に、テン国銅器は近時の発掘により市場に登場したものであり、収蔵家にとっては嬉しい時代となった(三星堆発見は1986年、テン国銅器発見は1956年であり、それまでは中原の青銅器が主として知られていた)。本作品は卓越した技術を示した極めて優れた芸術佳品といえよう。貯貝器に納められた子安貝(宝貝)は三星堆遺跡からも数千個に及ぶ量が出土しており、富の象徴であった。
雲南の古代民族であるテン族の立てたテン国の青銅器である。成都の三星堆・テン国銅器著名収蔵家旧蔵品。

参照 : DK-254
● 時代 : 商晩期(紀元前14世紀〜前11世紀)
● サイズ : 高さ 36cm×横 18.7cm
● 価格 : \ 問い合わせ

形態はがっしりとして重々しく4つの角には何れも稜飾りをもち、さらに荘厳な感じを与えている。文様の主体が全て高い浮彫りとなっており、非常に繁密な雷文を地とし、主文と地文がはっきりと分かれている。蓋部には対照的な龍文を、身部には鳳凰文・龍文・饕餮文を飾る。
堤梁には蝉文を装飾、両端には羊型の犠首を飾る。主文以外は装飾しうる空間を全て小動物で埋め尽くし、その余白には雷文を施すのは商晩期の青銅器文様の特徴。ゆうは酒やウコン草の煮汁を容れる容器として用いられた。商中期から西周中期まで製作され、商代には縦に細長い壺形が多いが、西周から胴体が下膨れとなり、断面がかなり扁平な楕円形のものに次第に定型化されていった。殷周青銅器の基本的な文様である饕餮文の原形が林巳奈夫氏によつて良緒文化の獣面文であることが指摘されて久しい。
方ゆうには蓋から圏台まで角型のものと胴部以下が方形をしたものがあり、本作品は前者。方ゆうの遺品は稀少。台湾故宮・住友泉屋博古館に蔵される。青銅器は「熟坑」(伝世品であり、銹を落とし油を塗る)であり、本品のような「生坑」(出土まもないもの)の初な美しさは良いものだ。
西アジアをはじめとする文化圏では脱脳法であるが、殷周時代の青銅器の製作法は陶模法(外氾分割法)と呼ばれる。非常に複雑で精密な工程を必要とする技法で製作されている。殷周青銅器は世界中の古美術収集家を魅了しているもの。
参照本 :
@ 文物鑑賞図録 青銅古器
A 故宮博物院蔵 文物珍品全集 青銅器礼楽谷
● 別角度画像 → 裏側底面孔雀蓋部 ● 別角度画像 → 前後側面拡大上部底面

▼ DK-378 ▼ DK-379

有輪銅戟

鍍金駱駝鎮
● 時代 : 戦国時代後期
● サイズ : 横 37cm×高さ 12.5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

勾状の刃が付き、右側には渦文を刻した円形部が付き、差込基部は葉文が装飾される。特異形状の戟。右の円形部は恐らく大きく突出た勾状刃とのバランスで考えられたのであろうが、実戦用でなく戦場で指揮を執ったり儀杖式典の時に用いた。
基部柄穴は菱形状で基部に止め具穴が穿たれている。戦国時代には戦争が頻繁に起こった為に武器の鋳造技術においても大変革が行われ、実戦向きとなった。戦国の世に生きる戦士らしく、男性の埋葬墓からは、戈・矛・戟・剣などの武器が発見されるのが常態。鋳上がりは精巧。中原の武器と相違する異形武器

参照本 : 故宮博物院蔵 文物珍品全集 青銅礼楽器
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 5cm×横 7.3cm×奥行 5.5cm
● 価格 : \

一瞬の動きを捉え、腹ばい状態を纏めた的確な造形力は工人の技が冴える。目には赤瑪瑙を嵌め美しい。山吹鍍金には毛の線刻が鋭く施される。袖鎮・袖押さえ・墓鎮とも古来呼ばれるこのような鎮は、筵押さえとして本来4個・2個セットで製作されたものと考えられている。程良い錆色と金色との対比も味わい深く、古代中国金工品の魅力を発散する。鳥・熊・虎鎮は多いが、駱駝は初見・稀品。
唐代になると駱駝の造形物は多いのに、漢時代には印章鈕に見られるぐらいで造形遺品は少ない。中央アジアには主に双瘤駱駝が棲息し、一瘤駱駝は西アジアからアフリカに棲息。中国で見られたのはキャラバン隊の双瘤駱駝。鎮は筵を地面に敷いて座った春秋戦国・漢時代の人々にとっては日用品であった。南方の習慣では、竹の筵と玉鎮であった。
西安著名銅器収蔵家旧蔵品。

参照 : DK-291DK-180
● 別角度画像 → 裏側底面先端 ● 別角度画像 → 前後裏側底面拡大

▼ DK-376 ▼ DK-377

青銅馬首剣

銅戟
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 横 31.5cm×刃巾 3.2cm
● 価格 : \ 問い合わせ

オルドス青銅器であり、オルドスとは内蒙古自治区 黄河の湾曲部を指す。この一帯は漢時代以前は匈奴を中心とする遊牧諸族の活動範囲であり、彼らが遺した青銅の器具を総称していう。早くも商時代と平行期に青銅製の器具があり、以後漢時代初期に至るまで遺品があるが、戦国から前漢時代の初期に至る時期の遺品に優れたものが多い。遊牧民の青銅器文化は、中原の漢民族に影響を及ぼしただけでなく、チベット高原の東辺を経て南方雲南一帯の文化にも影響を及ぼしている。

参照 :DK-089
● 時代 : 戦国時代中期
● サイズ : 長さ 36cm×横 15cm×柄径 3cm
● 価格 : \ 問い合わせ

長い矛と鎌形の刃をつけた異形武器。矛部は2方向にも刃が出る。基部は勾雲文、鎌部には前後5文字の銘文がある。銘の文字は当時の美術的書体で篆書とは異なる字体で、奇字の一種。差込口は円形状。類品を見ない。
中国の戦法は古来馬車戦であり、一両に戦士と介添えの兵士と御者の3人が乗り、戦士は長柄の戟や戈を振り回し、敵戦士の首を刎ね鎧甲の札の糸を切り刺して戦った。細い木を芯に、細かく割った竹を20本近く巻きつけ糸で全体を巻締め、上から朱漆や黒漆を装飾的に塗り別け、補強している。戟の長いものは、4cm〜17cmを超える戈よりも長い柄をつけ、こう兵(かぎ状の兵器)と刺兵の働きを兼ねさせた。漢代以降は鉄製の戟が主流となり、唐代まで使われた。乾隆帝の皇子たちとの団欒図を見ると、皇帝の傍らで皇嗣が戟を持つのが見られ、後代には威信用になったと知れる。異形武器は周人が北方少数民族の武器の特徴を吸収して作ったもので、形は中原で一般的に使われる武器と大変異なる。

参照 : DK-221
● 別角度画像 → 裏側刃先拡大 ● 別角度画像 → 裏側基部底面

▼ DK-374 ▼ DK-375

青銅鍍金羊頭角杯

銀宝相華文函
● 時代 : 漢時代
● サイズ : 高さ 7cm×幅 13.5cm×口径 6cm
● 価格 : \ 問い合わせ

羊頭・角部に鏨で勾連雲文を線刻、鍍金を施している。動物の前駆を装飾したリュトンは、アケメネス朝ペルシャ(前538〜前331頃)の西アジアで流行した容器。1983年 前2世紀の南越王墓から類型玉角杯が出土している。
中国では戦国時代から青銅製角杯の作例があるが、その伝統は一度途絶え、唐時代の角杯は西方からの新たな刺激によって再度作られ始めた。馬車の轅飾にも同意匠作品が見られる。

参照 : DK-325
参照本 : 南越王墓玉器

● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 12cm×幅 10cm×奥行 10cm
● 価格 : \ 問い合わせ

身・蓋の四辺と蓋上に宝相華文。蓋部各面に16ヶの花文の浮き出しを貼り付け・鍍金をし、蓋上面と身部の空間は唐草文で線刻する。正面に鍵が備わり、背面に設置された2個の蝶番で蓋を開閉する。
大量の金銀器や茶器の出土で知られる法門寺地下宮からは仏舎利を収めた同類の小箱が7つ出土し、何家村出土の銀箱は宝物や化粧道具入れとして使用されたものであり、本品も同様。

参照 :DK-208
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▼ DK-372 ▼ DK-373

青銅鍍金神樹

青銅星雲連弧文鏡
● 時代 : 商時代(前13〜11世紀)三星堆文化
● サイズ : 高さ 50cm×幅 19cm×奥行 19cm
● 価格 : \

この世の中心軸にあって天と地を結ぶ巨大な樹木は「生命の木」、或いは「世界樹」と呼ばれ、世界各地の創世神話の中に残されている。三星堆祭祀坑から出土の高さ384cmの巨大な青銅製樹木もまた中国の古代神話に残る聖なる樹木、すなわち神樹を表現していると考えられている。山の形をした台座からは1本の太い幹が伸び、幹には9本の枝がある。全ての枝先に花と花の蕾にとまる鳥・剣の形が装飾されている。根本には、幹に身体を絡ませる龍の装飾が施されている。
中国には十個の太陽が代わる代わる世界を照らすという「十日神話」がある。古代の神話を記した「山海経」には「九日は下枝に居り、一日は上枝に居る」とあり、九つの太陽は「扶桑」の樹に留まり、順番になると鳥の背に乗り天に昇って世界を照らすという。神樹は巨大仮面や人頭像と並んで三星堆の特殊性を象徴するものであり、三星堆二号祭祀坑からは大小樹木が数点出土している。
鳥や樹木を用いた稲の豊穣儀式が現在でも中国南方の少数民族の中に残されており、稲作文化との関連性も考えられる。神樹に関する謎は多いが、神樹からは大自然の中に聖なる存在を感じ取り崇拝していた三星堆の人々の精神を読み取ることが出来る。このような古代の文明の残映は、四川独自の文化が中原文化との融合によって次第に消滅していく漢代以降の揺銭樹にも現れている。そのような用途で作られたのだとすれば、これは最古の揺銭樹といえよう。古代の貨幣である貝殻の形をした飾りが数多く出土していることから、当時の人々は銅銭の代わりに貝貨を掛けたのかもしれない。台座・鳥には鍍金が施されている。
三星堆出土の巨大神樹の幹の先端は欠落してかって鳥がいたかどうか不明と報告しているが、本作品でもって同様な鳥がいたと知れることも貴重資料。神樹・立人像・仮面・人頭像といった神殿に置かれたであろう一群の青銅器から、殷王朝には全く見られない祭祀体系があったと推測できる。

参照 : DK-349
参照本 : 三星堆 中国5000年の謎 驚異の仮面王国
● 時代 : 前漢時代
● サイズ : 径 15.8cm×縁厚 0.5cm×鈕高 2cm、重量 500g
● 価格 : \

九曜文形の小乳によって4等分された内区に多数の小突起を曲線で繋いだ同一の文様を入れる。その形が夜空の星雲のように見えることから星雲文鏡と名付けられているが、本来は羊肉刻龍文が退化して体の節々が小突起に変形したもの。
中央の連峰状の鈕と鈕座・弧を連ねた内区の内周と外周も含めて深く鋭利な彫りで表現され全体に重厚な厚みのある造りとなっている。中国の青銅鏡は、中原では商後期に始まって清時代にガラス鏡と交代するまで、足掛け3千年に及ぶ長い歴史を持つ伝統工芸品。古代の中国においては、実用よりも魔術的な用途に多く用いられた。そして、しばしば死者に光を与えるようにと、その墓の中に一緒に埋められた。

参照 :DK-333
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▼ DK-370 ▼ DK-371

青銅海獣葡萄鏡

神亀形盒硯
● 時代 : 初唐時代
● サイズ : 径 20.7cm×高さ 1.8cm、重量 2400g
● 価格 : \

中央に付く鈕は前足を前方に出し、後足を畳んだ伏獣形。鈕座は無く伏獣鈕の周りに張り巡らされた葡萄唐草の中に9体のへい猊3羽の鳥を配する。へい猊は様々な動きをしている。界圏帯外側の外区は全体に葡萄唐草文・へい猊・鳥が、縁部は小花文が装飾される。海獣葡萄鏡の文様構成は種々のバリエーションが有るが、本作品の文様構成は極めて珍しい。質が良く鋳上がりも鋭く文様表現も軽快華麗で、葡萄の果実と葉の表現は一つとして同じ形が見当たらないほどに個性的に描かれ、蔦草も単純な突線のみではなく、二重線や断面凸状の線を交えて変幻極まりない20cmを超える海獣葡萄鏡は稀少であって、市価も一段と高いもの。白銅鏡が持つ硬い銀白色の質感に比して、本鏡は表面は鉛色に近い灰色を呈しており、鉛の含有量が多いことを示している。聖地で躍動感あふれる文様構成となっているところに、国際色豊かで活力に溢れた唐文化の特色を見て取ることが出来る。

参照 :DK-339
● 時代 : 後漢時代(1〜2世紀)
● サイズ : 高さ 11.5cm×幅 26cm×奥行 14cm
● 価格 : \ 問い合わせ

頭から2本の角が延び、大きく口を開け威嚇する獣の合子。両脇の翼状部、頭毛には細刻が施される。錫を多く含んだ白銅製。
南京博物院にほぼ同寸法「鍍金嵌貴石獣形盒硯」が知られ、本来硯仕立て用の品。
歯を剥き出し、獅子鼻を開いて唸っているかのように眉間に皺を寄せ、切れ長の目は妖気を放ち、先の鋭い二本の角が臀部まで伸び、心持ち腰を落として四肢を踏ん張り今にも跳びかかろうとする。このおどろおどろしき造型は充実し、力動感が漲っている。この神亀は海底にあって仙人の棲む蓬莱山を背負っているというごうを象ったもの。

参照 :GK-053DK-067
参照本 : 世界美術全集 東洋編A 秦・漢
      中華人民共和国 南京博物院名宝展
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▼ DK-368 ▼ DK-369

金銅塔鋺形盒

青銅鍍金五鳳香炉
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 高さ 16cm×径 7cm
● 価格 : \

銅鋳造後轆轤成形し、鍍金を施している。塔碗形合子は紀元前2世紀頃の古代インドにおいて既に現れており、当時は主に舎利容器として用いられた。中国や日本では玉虫厨子や刺繍釈迦如来説法図に僧侶が柄香炉と共に塔碗形合子を捧持する図が見られるように、香合として用いられることが多かった。仏前において香合として用いられたのであろう。砂張・銅製が多く、金銅は稀少。

参照 :DK-108
参照本 : 保利蔵金
● 時代 : 前漢時代(前3〜前1世紀)
● サイズ : 高さ 16.5cm×横 22cm×盤口径 16cm
● 価格 : \ 問い合わせ

盤上に魚を銜えた朱雀であろう鳥を置く。背中で左右に開く翼の上と胸には小鳥が装飾され、翼の中央には透かしが施され、香がたゆたう香炉。羽根には鏨で羽毛が刻される。盤の内面以外は厚い鍍金が施される。魚と小鳥を共に表した文様は新石器時代の彩陶にも見られ、古代から富を獲得することに繋がるという吉祥の意味を持っていたと考えられ(又、男女の合歓を象徴するという説もある)、魚を銜えた鴨の「雁魚燈」も知られる。また、「一鷺食魚」は「十多十余」と読め、富が多くて余る程ある意で大吉のめでたい事を表す。
戦国時代に至って生活水準の向上により、未だ上層の人々に限られたことではあるが、座右に置く香炉の遺品が俄かに増えた。これに焚く香は漢の特産の絹などと交換に遥か西方から輸入された。前漢の初めは非常に高価で皇帝と諸侯王だけが楽しむことが出来た香も、中期になると香を焚く風習がより広く貴族階層に流行した。

参照 :DK-254
参照本 :
平凡社版 中国の陶磁@ 古代の土器
悠久の美 中国古国家博物館名品展
TREASURES FROM THE HAN
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▼ DK-366 ▼ DK-367

銅牛頭

海獣葡萄鏡
● 時代 : 前漢時代(BC4〜AD1)
● サイズ : 高さ 7.5cm×幅 16cm×奥行 11cm
● 価格 : \

テン国では牛が突出した扱いを受け、青銅器の装飾・図柄などに富の象徴として表現されている。写実的牛顔半面の額には渦状葉文が刻されている。恐らく壁面に飾った品であろう。

参照 : DK-345DK-342
参照本 : 雲南民族美術全集 テン国青銅芸術
● 時代 : 初唐時代前期
● サイズ : 高さ 1.3cm×直径 13.4cm、重量 540g
● 価格 : \

麒麟の形をした伏獣鈕の回りに様々の姿態をとるサン猊8頭が鈕を中心にして十字形を描いて旋回し、蔦から多数の葡萄と実を派生させた流麗な葡萄唐草文を表わす。鋳上がりも鋭く、文様表現も軽快華麗で鮮明且つ良好である。錫の含有率が高く、白っぽい銅色を呈する白銅製。
海獣葡萄鏡は正倉院にも蔵される。当時揚州は銅鏡製造の中心地であって、唐朝に献上する鏡の主要産地であった。

参照 : DK-339
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▼ DK-364 ▼ DK-365

貼銀鍍金禽獣唐草八稜鏡

青銅鍍金獣形灯
● 時代 : 唐時代
● サイズ : 直径 9cm×厚さ 0.7cm、重量 260g
● 価格 : \ 200,000

海獣葡萄鏡と同一の伏獣鈕の周囲に蔓草が廻り、中に鳥2羽と獣2頭が入る。一段高い外区には、花卉と蜂が配された銀板を打出し鍍金を施して、八稜形(菱花形)鏡縁に嵌め込んでいる。
地には魚々子と呼ばれる小円をぎっしりと打って敷きつめている。銀板の打ち出しも高く、表現も鋭く且つ精緻で、鏡縁の八稜形も小型鏡には珍しく、小型貼銀鏡中の優品。銅鏡は婦人が見繕いをする時に用いられる他に、官吏が自らを見つめ直し律するシンボルでもあり、鏡を持つことで清廉且つ公平な執政の精神を明らかにした。
● 時代 : 戦国時代
● サイズ : 高さ 16.5cm×横 20cm×奥行 10cm
● 価格 : \ 問い合わせ

台座を獣形で作り、大き目の灯皿を備えている。長い頸・三本の指・長い尾の獣と灯皿には鍍金が施される。戦国時代金工品の洗練された造形感覚を窺う事が出来るし、丸みのある体に量感を伴なった表現が認められる点も古代彫刻の特徴を知る上で興味深い。

参照本 : 灯火器 - 東アジアのあかりの歴史
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▼ DK-362 ▼ DK-363

蟠ち文青銅鏡

銀鍍金舎利槨
● 時代 : 戦国時代後期
● サイズ

: 径 15.5cm×高さ 0.7cm、重量330g

● 価格 : \

細かな渦文と雷文を無作為に描き分けた緻密な地文の上に、連続の龍文様を描く薄手の三弦鈕白銅鏡。前漢前期の50〜70年ぐらいの期間は、戦国期の文化的伝統が色濃く残された時期で、蟠ち文鏡も地文が次第に粗雑なものに退化してゆきながら製作され続けていた。「抱朴子」には青銅鏡を用いた仙薬の調合法や邪気から身を守る鏡の威力について述べられているので、鏡は単に化粧品の道具ではなかった。幡ち文青銅鏡は長沙馬王堆女性墓の持ち物として出土している。
老舗「壷中居」扱い品と桐箱貼札で知れる。
● 時代 : 北宋時代(10世紀)
● サイズ : 高さ 30cm×横 22.5cm×29cm
● 価格 : \

鋳銀製の棺型舎利容器。
唐時代以降、舎利容器の外容器は概ね棺型の容器を入れ子状にするのが特徴となっており、本容器もそのような伝統を踏まえた舎利容器。本来は外容器に納置されていたもの。各部はそれぞれ別々に成型された銀板を組み合わせて完成させているが、大きく分けると棺身と底部・台座・及び蓋の三つの部分からなる。棺身は両側面を構成する2枚の銀板で短い前後の面を挟みこむように組み立てており、長側辺は両端の高低差が激しく棺身の側面形も傾斜のきついものとなっている。台座には欄干が取付けられ、両側面及び正面中央に開口部を持つ以外は棺身の周囲をぐるっと巡っている。台座には格峡間を造り出し、蓋は上部をアーチ形に切り出された前後の短辺に合わせて湾曲したカマボコ形に成形。前面には両端に龍頭を持つアーチ形飾、側面には花文を一列装飾する。
各側面の装飾を見てみると、長辺2面には雷文と8人の人物(菩薩と比丘)、正面には乳釘と遊環の付いた扉を囲んでアーチ状花文が線彫り・陽刻で表されている。欄干の板部は唐草文が線彫り、下部には透かし牡丹文飾が四囲に付属する。階段状3段の2段には花唐草文が線彫りされる。蓋部は5区に別けたそれぞれに牡丹唐草文が線彫りされている。僅かな部分を残し、鍍金が施され華麗豪華である。通例に照らせば木槨の中には同形状の小型棺が入り、その中には舎利の代用品の水晶小粒を納入したガラス瓶が納められる(唐代の作品が1985年陝西省新豊鎮慶山寺址から出土している)。贅が尽くされた華麗荘厳さは舎利に対する厚い信仰のほどを教えてくれる。
釈迦が亡くなって百数十年を経たアショカ王の時代には、インド全土に八万四千基のストゥーバが建立されたと伝えられている。仏像が造り始められるのは紀元1世紀と考えられているから、仏像に対する礼拝がおこる遥か前に舎利信仰が始まっていたことになる。舎利の礼拝は、仏教における最も古い信仰の姿である。やがて舎利信仰は中国・韓国・日本へと伝わり、これらの国々でも古代寺院では舎利を塔に安置するインド伝来の伝統が受け継がれた。

参照本
@唐の女帝・則天武后とその時代展
A仏舎利と宝珠 −釈迦を慕う心−

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