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CC-186 CC-187

青磁蓮弁鳳凰文鉢

青磁牡丹文有蓋壷
● 時代 : 五代〜北宋時代
● サイズ : 高さ 7cm×径 20cm
● 価格 : \

越州窯。
見込みには尾を長く引いた相向かう鳳凰とも鸚鵡とも取れる鳥が宝珠の周りを巡り、口縁内には雲文をそれぞれ線刻で細かく繊細に施し、裏面は大きく三重迎蓮弁浮文で飾る(盛唐以来の金銀器の打ち出しや鏨彫りに倣っての事)。
高台内は長方形状5ヶの目跡があり、中央に「千」の文字の印刻。細密に洗練された胎土であることにより、釉は滑らかにとけたいわゆる秘色釉であり、深い味わいを持つ。殷代以来連綿と続いてきた灰釉が最後に辿り着いた極致の色合いである。薄造りであって軽量。
越州窯系の器は早くは殷時代から淅江省で生産されて、中国南部の窯形式である登窯で還元炎を用いて焼成された。同手品として、繭山順吉氏が「欧米蒐集中国陶磁図録」で紹介の英国デビッド財団蔵 径17,9cmが著名であり(本品は一段と美品)鳳凰文の線刻としては、米国メトロポリタン美術館蔵の水注が知られる(参照:CW-024)。線刻鳳凰文は12世紀前半朝鮮にも影響を与え高麗青磁にも鳳凰線文碗の類品が知られる。古来越州窯の名声は極めて高いにもかかわらず、多嘴壷・長頸瓶など特殊な器種を除くと、不思議と遺品には恵まれず、歴史の謎が秘められているが、この鉢はそうした状況の中にあって重要な資料である。凛と響く造型には北宋11世紀の越州窯の特色が良く示されており、越州窯の傑作。近時杭州郊外墓よりの出土品で、競争業者を差し置いて入手、日本へ運べた喜びは大きい。
五代の呉越王銭氏が越州の磁業に手厚い保護を加えたということは良く知られているが、あるいは王室の銀器などを参考に供したこともあったでろう。その結果としてこういう精作が現れた。この段階に於いて、白磁に先行されていた越州青磁は、殆ど無文の器しか作らなかった白磁を逆にリードする地歩に立ったといえる。
● 時代 : 元時代
● サイズ : 高さ 25cm×横31cm
● 価格 : \ 問い合わせ

龍泉窯。
俗に言う天龍寺青磁で深い緑色に発色している。厚手に作られ、牡丹唐草文を胴と蓋全面に巡らしている、地を浅く彫り窪め牡丹唐草文を彫り出しており、彫跡は急で鋭さが目立ち刃先を斜めに用いている。浮牡丹といわれる貼花より生き生きとしている。
元時代になると文様による装飾を前面に出した新たな作風の青磁が登場し、著しく大型の器物が多数見られるようになる。南宋末〜元・明初にかけては成形・焼造の技術が進んだ為、巨大な花瓶・大香炉・60cmに余る大皿といったものを作るようになった。形状は酒会壷と呼ばれる壷で、酒会の名称は平安期の有識故実書に見え、室町時代には書院飾書の中でも酒会あるいは酒海の名が見える。文字通り酒を入れ、杓で汲み出す使い方がされ、日本の茶の湯では、水差として用いられることが多い。元様式らしい量感たっぷりの質実雄揮な形をなしている。
高台は厚く、底を打ち抜いて孔をあけ、ここに別に共土で調製した皿状の栓を入れて釉でくっつけている。龍泉窯に限ってこの手の込んだ成形が何故行われたのか定かでない(青花酒会壷には見られない)
酒会壷は「青磁縞文壷」が横浜市称名寺から出土し、重要文化財として知られる。(称名寺には青磁貼花牡丹文大瓶の一対も伝来している。)

参照 : CC-116
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CC-184 CC-185

青磁双鳥文鉢

澱青釉紫紅斑觚
● 時代 : 北宋時代
● サイズ : 高さ 6cm×口径 19cm
● 価格 : \ 問い合わせ

耀州窯。かつては汝窯といわれた。
相向かう双鶴を中心に空間は梅花・竹・瑞雲で埋めた模様を流麗な片切彫りで表現している。釉は濃いオリーブ色。
北宋に入ると徐々に越州窯から耀州窯に取って変り、北方青磁の花形となる。珍しい図柄であり、巧みに見込みに収まり、見るものをして快感を起こさしめる。このような高度の芸術は決して短い修行で得られるものでなく、また一般社会の高い文化的背景無くては現れない。

参照 : CC-128CC-159
● 時代 : 北宋時代
● サイズ : 高さ 21cm×口径 14cm
● 価格 : \ 問い合わせ

鈞窯。
殷周時代の青銅器「觚」を模したもの。器胎は薄く、明るい天青釉が掛けられ、1箇所銅紅斑が絶妙な配置で装飾される。宋代の鈞官窯の造型は、古代の青銅器を模すのが鈞窯の特色の一つ。釉全体に細かな氷裂文が入り、稜角部の釉は流れ薄くなり、青釉の濃淡が美しい。鈞窯の釉色は天青・天蓋と称され、色の淡いものは月白釉とも呼ばれる。底裏には褐色の釉が塗られている。商時代青銅器「觚」は祭祀用礼器で祭壇に酒を供える為に用いられた。宋代の皇帝は殷周の古代を手本とする復古思想が強く、陶磁・銅・玉等礼制品だけでなく、愛玩・装飾用品を多く作った。
鈞窯独特の青磁釉、その青味を帯びた失透性の乳濁釉が始めて使われたのは11世紀頃とされる。これは唐時代に河南省で多く作られた黒釉に白濁釉を散らした技法と関連があるとして、唐時代のこのような釉調を「唐鈞」ともいう(参照:CM-023)。窯址は河南省宝豊県あるいは兎県に位置しており、北方青磁の系統に属す。宋磁の醍醐味をここに最も端的に味わうことができる。中国では「出戟尊」といわれる形で、頸・銅・足それぞれの四方に戟(予と戈を組み合わせた長柄武器)に似た稜飾りが付けられることからこの名があるが、本品は頸部には稜が無く、すっきりとした形状としている。

参照 : CC-155
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CC-182 CC-183

褐釉耳杯

青磁牡丹文稜花盤
● 時代 : 後漢時代〜六朝初
● サイズ : 高さ 4,5cm×長さ 13,3cm×幅 11,5cm
● 価格 : \

褐飴釉の「羽鯣」「耳杯」と通称された品。漆器は高級品であったため、戦国〜漢時代、灰陶・緑釉などの陶磁の耳杯が多く作られ、生活に実際用いられた。汁物を入れたり、酒盃としたりした。
肉厚に造られ、釉もたっぷりと掛かり美しく、両耳には斜行線が刻される。後漢末期から三国時代、そして六朝時代頃(3〜6世紀)の江南の青磁を日本では「古越磁」と呼んでいる。古くは羽鯣と呼ばれた耳杯は青銅・玉等でも作られた。

参照 : CK-027CK-028CK-029CK-076
● 時代 : 元〜明初時代
● サイズ : 高さ 5cm×径 25cm
● 価格 : \ 問い合わせ

龍泉窯。
牡丹の花を見込みにあらわし、深い緑色の青磁釉が厚く掛けられている。いわゆる天龍寺青磁であり縁の稜花が品格を高めている。
器形は明初洪武期の釉裏紅・青花盤に見られる。茶方の菓子器として最適寸法。同型状50cmを越す大盤はイスラム圏に多くの伝世品がある。近時「龍泉県金村」近郊窯址出土のため、釉肌の艶は失われていない。龍泉窯は明時代初期まで優品が作られ、やがて釉薬や胎土の質が悪くなり、成型も粗雑となり、質・量ともに下降線を辿っていく。そして俗に七官青磁と呼ばれる些か品位に欠ける作品となる。龍泉窯の急速な衰退の裏には元時代後期に景徳鎮窯に於いて、青花磁器の技法と様式が完成されたことが大きな原因と言える。韓国新安沖沈没船から同型品が引き揚げられている。
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CC-180 CC-181

青磁刻花牡丹唐草文瓶

青磁鉄斑不遊環花生
● 時代 : 北宋時代
● サイズ : 高さ 30cm
● 価格 : \

耀州窯。
宋代には「経瓶」と呼ばれていた。口は小さく、口縁は外に開き、頸部は短く、形は大きく膨らみ、裾に向かってすぼみ圏足となり、胴部は長くいわゆる梅瓶で、宋代の典型的な様式。底部は先端が尖った二重迎蓮弁文をめぐらせ、残り全体を牡丹唐草文で枝と茎は絡み合い、花と葉は躍動感に溢れている。形にはまった文様構成でありながら、深い手慣れた勢いのある片切彫りは生き生きとし、浮き上がる立体感は見事である。 極めて軽量。宋磁の魅力を堪能させる品。
上海博物館蔵、著名な48cmの同形類品が知られるが、類品は極めて少ないもの。
耀州窯では唐時代に黒釉や三彩などを生産していたが、晩唐の10世紀頃に青磁を作り始めた。そして宋時代になると深い刻花や型押文様のある器にオリーブ色の光沢がある透明性ガラス質の釉を施した青磁を専門的に生産するようになった。耀州窯の青磁は同じ頃の越州窯の青磁に似ており、両者の間には何らかの関連があったものと推測されるが、越州窯の青磁に比べると色がやや暗く、また器形・文様に鋭い気分があるのが大きな違いと言える。
● 時代 : 南宋〜元時代
● サイズ : 高さ 24cm
● 価格 : \ 問い合わせ

龍泉窯。
美しい艶のある梅子釉。古銅器を写した頸の左右に角耳と不遊環を付ける。全体に鉄班の散らされた配置は計算されたしっかりとした装飾効果を狙った絶妙のハーモニーを醸している。飛青磁の早い例は東晋時代の古越瓷の鉄斑文に見られるが、その装飾効果を意識した作例は主に元代の龍泉窯に始まる。我国で茶人が珍重したため、日本に伝世した優品が多く、「飛青磁」も我国での呼称。
我国の鉄斑文瓶指定品は3点。大阪市立東洋陶磁美術館蔵「玉壷春形の青磁鉄斑文瓶」が国宝、重要文化財は2点、ブリジストン美術館蔵「青磁鉄斑文瓶」と大阪市立東洋美術館蔵「柑子口青磁鉄斑文瓶」が有る。

参照 : CC-079CC-053
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CC-178 CC-179

青磁菊弁盤

青磁洗
● 時代 : 南宋時代
● サイズ : 高さ 5,5cm×径 18,2cm
● 価格 : \ 問い合わせ

龍泉窯。
口縁は波型状外側に向かう20の大小の稜で構成されている。釉色は淡い青緑色であり、全体に大きく氷裂文が入る。「玉」を目指して作られた釉肌が見事に完成されたものといえよう。菊弁型状の碗・盤等は南宋官窯、早期の修内司官窯で作られ始めたが、茶方の菓子器として程好い寸法の嬉しい盤であり、碗・盃に比べ稀少。

参照 : CC-041
● 時代 : 南宋時代
● サイズ : 高さ 5,7cm×径 15,5cm
● 価格 : \

官窯。
口縁五方に刻みをつけ輪花型とした鉢。明るく澄んだ水色の青磁釉がたっぷりと掛かり、その全面に官窯の見所とも言うべき「二重貫入」が現れている。これは何層にも重ねが消された青磁釉が、焼成後冷却してゆく過程で、黒色の胎まで深く届く貫入と雲母片のように浅く入る貫入を生じさせたためで、釉に一層深みのある美しさを与えている。静謐な気品に満ちた碧玉のような幽邃な趣を持ち、威厳と風格が感じられる。
高台内の目跡は見られない極細の鋭い高台畳付は黒赤色に焦げ、いわゆる鉄足。口部は紫がかって見え、いわゆる紫口である。南宋官窯は鉄分の多い黒色の土を用いるから釉の発色が良好な場合でもその色は汝窯の明快なるのと相違し、沈静した碧色となる。
加賀前田家伝来、中村記念美術館蔵「青磁輪花洗」(龍泉窯・水差)が同形状として知られる。
※口縁部極小ソゲ直し。
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CC-176 CC-177

紫斑文香炉

青磁刻花文盤
● 時代 : 北宋時代
● サイズ : 高さ 5cm
● 価格 : \ 100,000

鈞窯。
肩部に堆線を施し、口縁は稜花形。ミニチュア香炉ながら端正な造型は、小品であっても力強さを失わない中国陶磁の特質がある。全体に天青釉の鈞釉をかけ、還元銅程色が形質されたところに美しく紅紫の斑を大きく現している。紅紫色の釉は汝窯の窯址から出ており、汝窯との関係が特に深い。典雅な味わいは、煎茶道用香炉としての要に相応しい。

参照 : CC-154
● 時代 : 元〜明時代
● サイズ : 高さ 6cm×径 26cm
● 価格 : \

龍泉窯。
内底面には蓮花文が描かれている。釉層は厚めで何層にもかけられた釉のため、貫入が多く入る器体は重厚で堅牢な造型。
一般に天龍寺青磁と呼ばれるものであるが、これまで説かれたように砧青磁が粗悪化したものではなく、大作主義を標榜する元形式のために特に調整された青磁釉をかけたもの。高台内は灰白色の胎土が現れ無釉。古くから日本伝来品で、古桐箱入り。ざっくりとした味わいは茶方の菓子器として珍重されたと思われ、使い込まれ伝世品ならではの釉の潤いでもって茶味がある。
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CC-174 CC-175

青磁稜花洗

青磁管耳瓶
● 時代 : 南宋時代
● サイズ : 高さ 3,5cm×径 12cm
● 価格 : \

南宋官窯。
六稜花形に形成された浅い盤は金属器を思わせる鋭い造型である。淡い天晴釉がたっぷりとかかり、大小の貫入が流れ、氷裂のような美しさが見られる。青色の釉は、澄み切った耀きを見せ、玉にも似た深い美しさをたたえ(類氷と讃美された)口縁の釉が薄くなった部分は紫色、高台露胎部分は醤褐色でいわゆる「紫口鉄足」の特徴を示している。
筆洗であり、士大夫の嗜みとしての文房具には良品が求められたわけで、その要求に応えた品。中国に於いて文房具用品の占める評価は非常に高く、市場価も高い。端正な姿・繊細な作り・静謐な品格を備えた作品。 我国と中国の識者との間には、北宋官窯と南宗官窯がどんな青磁であるかということに於いて見解の違いがあるのが現状であるが、北宋の汝官窯と共に中国陶磁の至宝とされる南宋官窯の佳品を入手できる今の時代に感謝したい。

参照 : CC-096CC-097 CC-124
● 時代 : 南宋時代
● サイズ : 高さ 21cm
● 価格 : \ 問い合わせ

龍泉窯。
長く伸びた頸部の両端に、円筒形の耳を貼り付けた古銅器を模した瓶で、元々は南宋官窯で作られた器形。下膨れに気持ちよく蕉形の張りを持った胴と管耳の取り付けられた位置の均衡が見事で、堂々とした落ち着きと品格の高さが感じられる。明るい粉青色に発色した青磁釉の肌合いも玉の様に美しい砧青磁。花写りの良さで、鳳凰耳瓶・算木形瓶・筍形瓶等と共に茶方の世界で好まれる器形。景徳鎮窯・青白磁の遺品も知られる。砧青磁の出現の年代はおよそ12世紀末から13世紀初頭頃、すなわち南宋時代中期。

参照 : CC-107
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CC-172 CC-173

青磁瓜形菱瓶

天青釉瓶
● 時代 : 南宋時代
● サイズ : 高さ 12,7cm
● 価格 : \

南宋官窯。
首都杭州にあった青磁の窯。海棠・白菜型と言われる小品瓶。北宋の汝官窯と共に中国陶磁の至宝とされる。端正厳格の形状。一面に大小の貫入があらわれ精巧な作風を見せ、高台畳付は露胎で暗褐色を呈し、鉄分の多い陶質の素地であることが分かる。醤褐色といわれる紫口鉄足の約束に従って、口縁は釉が薄く黒紫(紫は中国では褐色をも含めた広い色域をもつ)色。近時の出土品であり、全体に風化班が出ている。南宋の官窯には修内司官窯と後南宋中頃郊壇下に築かれた新官窯があるが、両窯作品の明確な分類には未だ難解な問題が有る。官窯器は玉に似た質感で「類氷」と讃美された。本品は郊壇官窯。
この形状瓶は龍泉・渓口窯などで官窯青磁を模して作られている(黒胎青磁)。前後を片面ずつ型つくりし、貼り合わせて成型している。香港著名古董店鑑定書付。

参照 : CC-096CC-049
● 時代 : 北宋時代
● サイズ : 高さ 23,5cm
● 価格 : \ 問い合わせ

鈞窯。
淡い白濁性の天青釉がたっぷりと掛かる玉壷春と呼ばれるラッキョウ方の瓶。澄んだ水色の釉一色は、なまじっか紫紅班が無いのもすっきりとして気持ちよく、花写りの良い佳品。
鈞窯は後世、宋代の五大名窯の一つとみなされているが、宋代の文献に見られず鈞窯の初期の歴史はまだ明らかにされていない。焼成を始めた時期は宋であり金ではないこと、北宋の後期が鈞窯の最盛期であったことはわかっている。河南省禹県ある窯址は100ヶ所に達し、中原の重要な製陶地域であり続けた。鈞窯は北方青磁の系統に属し、乳濁釉中に少量の銅を含む点で耀州窯とは異なり、汝窯とも異なる。
鈞窯は北宋時代に焼成にも深く意を用いたのか、よく還元して美しい点青をしたものが多いが、金・元のものは形が崩れ、作りが厚く、釉調も粗く、腰以下は露胎となる。焼成も還元が充分でないので黄色味を帯びたり、鼠色になったり、青黒くなったりする。いいものを作っても高くこれを買う人たちが南に移り、地方の民窯としてその命脈を保っていたからであろう。
● 別角度画像 → 裏側底面拡大鑑定書 ● 別角度画像 → 底面拡大

CC-170 CC-171

青磁斗笠碗

青磁双耳香炉
● 時代 : 南宋時代
● サイズ : 高さ 5,3cm×径 15,2cm
● 価格 : \

龍泉窯。
南宋時代中期から元時代前期頃まで生産された。このタイプの碗は釉溜まりが口縁の下地に帯状にできる品が多いが、本品は厚い青磁釉が高台まで流れ切り幕釉という厚い釉となり、全体を覆う。曇りのない翡翠釉は極めて美しく佳品である。
CC-156と4個で同墓出土。
● 時代 : 南宋時代
● サイズ : 高さ 10cm
● 価格 : \ 問い合わせ

哥窯。
三足・双耳の香炉。ゆったり大きな貫入は古玉の迷走脈と見て珍重された。米黄色の釉面に、黒褐色・米黄色の貫入が内面にまで全体を被い美事である。いわゆる「金絲と鉄綫」の大小貫入が構成する哥窯と幾分類似する。滑やかな釉肌・美的風格は落ち着きが合って雅であり、双耳の技巧の巧みさが表現され見事である。近時の出土品であり、南宋官窯・郊壇下官窯との関連が考えられる。偶然の貫入を一種の器面装飾としているところに、独特の高度の趣味生活がうかがわれる。口縁・双耳部は釉が薄くなり、足端は露胎して灰黒色で光沢があり「柴口鉄足」となる。南宋時代、士大夫にとっての文房清供には香を焚き、清福を受用する香炉は重要な用具であり、鈞窯・龍泉窯・景徳鎮窯・磁州窯等で多く造られた。

参照 : CC-097
● 別角度画像 → 内側底面拡大 ● 別角度画像 → 後側内側底面口縁

CC-168 CC-169

青磁有蓋壷

粉青盤口鳳耳瓶
● 時代 : 南宋時代
● サイズ : 高さ 9cm
● 価格 : \

龍泉窯。
豊に膨らんだ胴部を持ち、鍔部のやや広い蓋を伴なう壷。大型品は酒会壷とも称され、文字通り酒を入れ杓で汲み出す使い方がされた。
青味がちの青緑色。典型的な天龍寺青磁。

参照 : CC-025CC-116
● 時代 : 南宋時代
● サイズ : 高さ 27cm
● 価格 : \ 問い合わせ

龍泉窯。
中国の陶磁器の色の本流は「白」と「青」である。故宮博物院に展示されている三千年以上も昔の殷墟帝王墓からも青銅器や玉器と共に青と白の2種類の陶器片が発掘されて話題となった。釉を土に掛け焼成することにより、堅く水をもらさない陶器となる技術が実用化されて間もなく、既に「青」と「白」の陶器が作られていたことを物語る。青い陶器片は、天地の神や先祖の霊に肉を供えるために用いられる青銅器の「豆」という祭祀具をかたどった物だった。当時、青銅器は余程の権力者でなくては手に入れることのできない貴重品であり、青銅器の代用品として青い陶器が用いられた。
宋王朝は定窯・汝窯・官窯などの直営の窯を設けたが、金の侵略によって19年余りで途絶えてしまった。そして脚光を浴びたのがかっての越窯の流れを汲む龍泉窯であった。北宋時代から民間窯として知られ、生活雑器を製造していたが、朝廷にも時々良品を献上していた。南宋の都が近くに移ってきたために、朝廷から直接注文が舞い込むようになった。古玉にたとえられる梅子青・葱翆青と呼ばれる色が古い文物に関心を寄せた南宋の皇帝に愛されたのだろう。
素地に鉄分を含んだ雲母が混ざることが微妙な青を生じさせ、釉には長石の含有量が多く、焼成によってできる細かい気泡が落着いた色合いをつくる。全体のバランスが取れた形状。頸部の左右につけられた鳳凰の造型は力強く、かつ均整の取れた姿で美しく砧青磁として最高の焼き上がりを見せ、極めて優品。造りは薄く軽量である。神品と呼ばれる宋磁の魅力、静謐な美しさが迫る逸品。
南宋の中頃、都市は豊な教養を身につけた商品などの資産家が集まり、ゆとりの有る暮らしをしており、自由な社会の雰囲気の中で宮廷の上品な文化と交わり、都会の知識人は豊かな時代にあった磁器を求めていた。そうした求めに応じて新しい青磁を生み出したのが龍泉窯だった。龍泉には磁器に適した土が豊富であり、水と燃料の木材にも恵まれ、最盛期には200を超える窯がひしめき、互いに色や形を競っていた。窯の長さは66mに達するものも有り、一度に8000点を超える磁器が焼かれたという。
青磁鳳凰耳花生は現在我国に於いて国宝2点、重要文化財3点が指定されているが、特に優品とされる万声・千声に勝るとも劣らない品といえる。香港著名収蔵家旧蔵品。

参照 : CC-125CC-149CC-114
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