| ● 時代 |
: 唐時代 |
| ● サイズ |
: 高さ 5cm×口径 19,6cm |
| ● 価格 |
: \  |
見込みには蓮花文を大きく表わし、渇釉地を緑・白抜き魚子状と三色で、周りは藍釉を掛ける美しく印象的な盤。銀器や銅器の影響を強く受けた盛唐の作品。染織のロウケツ染の技法の応用であるが、やきものらしい柔らかさを持っている。三彩盤には三足のもの・揆形の台が付いたものと、本品のような平盤とがある。明器として8世紀前半頃製作、貴族墓に納められたものであり実用性はない。位人臣を極めた皇帝や貴族たちの最後の宿望は、不老長寿であり、死後の栄光であった。そのために都に営まれる墳墓は荘厳され、大規模となり、納まる明器の勢い多種多様となり、数量が増えていく。このようにいわゆる厚葬の風習は一層エスカレートするばかりであった。例えば乾陵に陪葬されたい徳太子墓には三彩陶を含めて905件の(激しい盗掘を受けていたが)陶磁器が納められてあった程一般の想像を超える大規模な明器群であった。 |
| ● 時代 |
: 唐時代 |
| ● サイズ |
: 高さ 16,8cm |
| ● 価格 |
: \  |
単髪に髪を結った貴婦人俑。唐時代、盛期の開元・天宝年間頃にはこのようにふくよかなパンクーニャン(太美人)が好まれ、墳墓の副葬品として作られた。俑にも数多くの例が見られ、優品も少なくない。顔の表情や肢体の造形に小品勿ら技巧が凝らされている。このようなふくよかな婦人を好んだ習慣は唐の文化を手本としていた日本の奈良朝にも伝えられ、正倉院に残る島毛立女図などにその開放的で(騎馬・婦人俑でも知られる)。歴代の女性の中では最も華麗で美的センスに富んでいたとされる。又、貴族社会の女性は服装に髪型に、そして葬ジングにと贅を極めた。宮廷を中心として、その華やかさは贅沢と浪費の裏返しでもあり、唐の滅亡(907年)の一因ともなった。
大きくぼかし白抜き模様藍釉一色の服装であって仕草から侍女と思われる。女俑は加彩作品は多く残っているが三彩は極めて少ない。 |